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【知られざるアーティストの記憶】第85話 キミの仕草が女らしく見えて

Illustration by 宮﨑英麻

*彼は何も遺さずにひっそりとこの世を去った。
知られざるアーティストが最後の1年2ヶ月で
マリに遺した記憶の物語*

全編収録マガジン
前回

第12章 S医院に通う日々

 第85話 キミの仕草が女らしく見えて

一所懸命に生きた結果
あまり長く生きられなかったとして
それは私に対して申し訳なく思うことではありません
そのときは私
しっかりと見届けますから
だけど
「もう生きているのがイヤになった」
という言葉は
いったい誰に向かって言っているの
私はあなたと一緒に生きるために
何だってしようと思っているのに
いつまででも構わないから
一緒に前だけを向いて生きていきましょうよ

「マリの言葉」:ノート『愛』より
2022/1/27 「愛18」

この言葉は、彼と初めてS医院を受診した2022年1月27日にマリがノートにこぼしたものだ。彼には伝えていない。彼は「もう生きているのがイヤになった」と言いながら、新たにS医院の門をたたいたのだ。マリはもどかしくやるせない気持ちを持て余したのであろう。

「キミと食事を一緒に作って食べただろう?そのときにキミがお皿に盛りつける仕草やゴミ箱のフタを開けるときの仕草が女らしく見えて、それからはキミを女として見ているよ。」

「マリの言葉」:ノート『愛』より
2022/1/30 「愛19」

かと思えば、彼は突然そんなことを伝えてくれたりもした。服を脱いで迫ってもまるで相手にしてもらえずにしょげかえっていたのだが、こういうさりげない場面で彼はマリの中に女らしさを見出したというのだ。ひとまずは嬉しかった。


©Yukimi 彼のスケッチブックより 下描き、色見本



あなたの気持ちを抑えないで下さい。
あなたは私とどんな関係でいたい?
私はあなたに出会うために
生まれてきました。
私はこの地上で家族と共に暮らすことを
選択しているけれど
あなたと共に生きることも
同じように大切なことです
もし引き離されそうになったら
命を懸けて抵抗するでしょう
あなたと共にあること以上に
優先させるべきことはありません
あなたの魂と1つにならない理由は
私にはないのです。


あなたの気持ちを抑えないで下さい
あなたは私と
どんな関係でいたい?
        2022/2/2
         Mari
イクミ様、

マリの手紙2022/2/2より
元は、ノート『愛』より 2022/1/30「愛20」


私にわずかに残されている
女としての部分を
余すことなくすべてあなたにあげたいと思う
私はあなたに出会うために生まれてきた!
        2022/2/2
         Mari
イクミ様、

マリの手紙2022/2/2より
元は、ノート『愛』より 2022/2/2「愛22」


「もうこの家は滅びる。弟もそうだし、私も終わりだ。」
なんて言われたら、
あなたのことが好きで仕方ない私は、どうすればいいの
        2022/2/2
         Mari
イクミ様、

マリの手紙2022/2/2より
元は、ノート『愛』より 2022/2/2「愛23」


2022年2月2日、二度目のS医院受診のあと、マリは単身でメイに会いに行き、久しぶりにゆっくりしゃべった。これらの彼に宛てた手紙は、メイが帰ったあとのファミレスで、カレンダーを小さくカットした裏紙に書きなぐったものである。これまでの長い手紙とは違い、小さな紙に短文で書かれたメッセージからは、どこを向いているのか分からない彼を揺さぶり、問いを突きつけたいという必死さが滲み出ていた。もちろん、これまでと同様に、彼からの返答はなかった。

「あなたと共に生きることも同じように大切・・・・・・・」と書かれているが、直後に「あなたと共にあること以上に優先させるべきことはありません」とあるように、マリの中には明確な優先順位が存在していた。すなわち、マリが彼を愛し彼と共に生きることを夫が許容できないようであれば、マリは夫と別れることに迷いがなかった。夫もそのことを理解していたからこそ、マリと別れないことを選んだのだが、夫の気持ちはその後も細やかな波風に揺れ動いた。


©Yukimi 『LAGRANGE POINT JMN-003』P・33(完)


私は長いこと夫のことが嫌いで背中を向けていたんだけどね、今回のことで、「すみずみまで愛されている」と感じることができて、喜びを感じたし、私も夫のことを愛してるな、という感覚を取り戻せたんだよね。

今回の形になってね、なんだかとてつもなく満たされた気持ちになったの。こんな幸せがあったのかってくらいに。
私は二人の人を、それぞれ違う形の愛しかたで愛せるのだよ。今はそう感じてる。それもまだ、気持ちに蓋をしている部分もあるだろうし、これから向き合っていく過程で変わっていくのかもしれないね。今回行き着いた地点がスタートなんだよね。

(中略)

私たち3人の気持ちが、食い違ってたり、お互いにちょっと捉え違いをしていたりする部分もあり、そういう意味で葛藤は続くし、修正していかなければいけないことも出てくるし、何より私は、隠さなくてよくなった分、夫のことを今までの何倍も気遣わなくてはいけなくなったしね。
この三角関係は必ず運動していくのだろうけど。

「幸せ」と言っていられない事態にもなるかもしれないけど、今は幸せだよ。

メイに宛てたマリのメッセージ2022/1/31より


(前略)
「本命はイクミ」と即答できる。

(中略)

私は現世で夫と作った家族がやはり大切で、バラバラにではなく一緒に過ごしたいと思ったんだよね。

イクミちゃんは私にとっての魂の居場所なんだよね。だから側に居たいけれど、もしかしたら物理的には離れていてもいいのかもしれない。魂のパートナーとは。
でも一緒にいると最強!なのも感じるよ。


これらは女友達に向けて吐き出した、マリの半分独り言のような、奔放な本音であった。

今回の一件での思わぬデメリットは、イクミがますますマリに対して心と体を閉ざしてしまったことであった。真面目な彼は、マリの夫のことも裏切れないのだ。マリがこれまで少しずつ温めて解かそうとしてきた彼の性欲も、再びカチッと蓋がされてしまったように見えた。

2月3日、マリが抱きしめる彼の口から
「気持ちが解放されなくてごめんな。」
という声をマリは背中に聞いた。
「私はこれハグだけでいいんだよ。」

その言葉の意味するところは、
「キス以上のことはしなくていい、やめようね。」
に他ならなかった。

彼の病状による免疫低下のこと、流行病への懸念ももちろんあるのだが、先日の夫とのやり取りを受けて、彼がそこ・・に「ちょうどいい関係」を見出したようにも思えた。

ハグをすれば、お互いに纏っている分厚い上着を通しても、マリの体には温かいものが駆け巡るのであるが、以前には感じられていた相手の体の中に、退院後からは一切それを感じられなくなっていた。

2月5日、マリは彼の態度に耐えかねて、彼に本音を訴えた。それに対して彼は、
「病気が再発していて、この先どうなるかが分からないから、気持ちが解放されないんだよ、ごめんな。キミにそう言われても、どうやって気持ちを開放したらいいのか、自分でも分からないんだよ。」
と正直に答えた。
「これから気候が暖かくなれば、また変わってくるかもしれないから、悪いけど我慢してほしい。」
「暖かくなったらとか、病状が好転したらではなく、いかなるときも一緒に生きよう。もっと側にいさせてよ!」
マリは彼に伝わるように精一杯訴えた。

つづく

★この物語は著者の体験したノンフィクションですが、登場人物の名前はすべて仮名です。

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