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【あの日あの時あんなこと】 暮らしのなかにあるモノやコトをなんとなく見ながら、時間や空…

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【あの日あの時あんなこと】 暮らしのなかにあるモノやコトをなんとなく見ながら、時間や空気のことを考えています。

最近の記事

カルビは若いうちに食え

この文章をご覧になっている若い皆さんは、 そんなこと想像だにしないだろうが、 年を取ると(そこまで年を取らないタイミングから)、 カルビが食べられなくなってくる。 え、カルビなんて、あんな脂も乗って、 肉食べてる~って感じで、 白ごはん何杯でもいけちゃうし、 カルビ以外焼肉って何か食べるものありますか?って 聞かれそうなくらい、焼肉=カルビだろう。 でも、食べられなくなってくる。 あの美味しい脂が何かウッとくる年頃があるのだ。 例えば、大人が「上カルビ」を頼むのを躊躇して

    • ネガティブなときはクリエイティブなとき

      いきなり逆の話をすると、 幸せなときは、あまり良いアイデアが浮かんだり、 独創的な面白い作品ができたりしない気がする。 だからといって、無理してつらいことをする必要もなく、 幸せなときは幸せに過ごしていればいいと思う。 無理は禁物。 何か人生でつらいことがあったり、 頭の中でもやもやすることがあったり、妙に疲れていたりすると、 何か逃げ道を作りたくなっているのか、 思い浮かぶメッセージやアプローチが面白くなっていることが多い気がする。 ふだん生きていて、ネガティブなこと

      • マツケンサンバのメッセージ性のない優しさ

        マツケンサンバという歌がある。 俳優の松平健さんがスパンコールの着物を身にまとい、 江戸時代の旦那のお遊びのごとく、踊って歌って終わるというショーが セットでついた歌だ。 正確に言うと、私たちが知っているのは「マツケンサンバⅡ」のようで、 本当は「Ⅰ」も存在するようだ。 それを考え出すとキリが無くなるので、ここではマツケンサンバⅡを マツケンサンバとさせてほしい。 マツケンサンバの歌詞のことをよく考えたことがなかった。 日々の暮らしに忙しかったせいもあるし、 そもそも考え

        • 博多通りもんで出来た壁

          「博多通りもん」というお土産お菓子がある。 お饅頭といっていいのか分からないが、 ねっとりとしたミルキーな餡が入っていて、 緑茶にもコーヒーにも合う、 嫌いな人はきっと居ない博多ナンバーワンお菓子だ。 北海道では白い恋人、伊勢では赤福が 我が世の春を送っているように、 博多は博多通りもんが天下を取っているといっても 過言ではない。 「博多通りもん」の箱はオレンジ色と黄色。 この箱が博多駅や福岡空港でうず高く積まれている。 積まれた「博多通りもん」の占める割合がとてつもない

        カルビは若いうちに食え

          眠気をムダにせず有効活用しよう

          眠気っていうものは 覚まさなきゃいけないものだと思われている。 眠気が来たら、気をつけるように言われたりもする。 眠気はずいぶん悪者に思われているけれど、 うたたねが心地よいように、人間にとって大切な睡眠に向かう途中の とっても人間的な現象だ。 せっかく来た眠気にお帰りいただくのは申し訳ないから、 何とか有効活用したいと思う。 眠気があると、あまりネガティブなことを考えられなくなる。 目の前の睡眠に向かっているから、謎の幸せ感がある。 つらいことや明日のこともひとまず考

          眠気をムダにせず有効活用しよう

          毛1本の破壊力

          毛。 それは細くて頼りない。1本あっても何の役にも立たないように思われる。 タイトルと相反する頼りなさ。 しかし、毛1本のくせに、異様な存在感を放つことがある。 例えば、鼻毛がちょろっと1本。 それはたった1本なのに、目のやり場に困るくらいの強烈な1本。 相手の表情は真面目になったり、笑顔になったりするのに、 表情ひとつ変えない鼻毛1本。 他にもある。 例えば、ひげのそり残しの1本。 たった1本しかそり残していないのに、 強烈にちゃんとしていない感があふれ出す、不可思議な

          毛1本の破壊力

          阿佐ヶ谷姉妹の属性のない安心感

          阿佐ヶ谷姉妹をよく見かけるようになって どれくらい経つだろう。 最初は、ハモりの上手な、遅いデビューのおばさまユニットという印象で (もしかしたらその印象はずっと変わらないかもしれない) いつの間にか、見かけない日はないくらいになっている。 カギカッコつきの「姉」と「妹」という設定で お揃いのピンク色のよそいき衣裳を着ながら、 二人でああでもないこうでもない会話を続ける。 設定自体は叶姉妹と同じなのに、ここまで棲み分けができるとは。 考えてみれば、叶姉妹もずいぶん息の長い

          阿佐ヶ谷姉妹の属性のない安心感

          アイスコーヒーとホットコーヒーの境界線

          日本には四季があるみたいだが、 天気予報を見ていると、 「今日10月2日は5月上旬並みの天気となりそうです」 「9月ですが、7月中旬の気温です」というアナウンスを聞くことがあり、 いまが春なのか、夏なのか、秋なのか、冬なのか、 よく分からなくなりつつある。 何を持って、「ああ、夏が始まったなあ」と思えるか、 「秋になってきたなあ」と感じるか、 手がかりが少なくなっている気がする。 都会に生き物も減ったし、いつまでも暖かい気温だったりするし。 自分にとっての、季節を感じるほ

          アイスコーヒーとホットコーヒーの境界線

          エビの殻はコンディションを統一してほしい

          「エビの頭やしっぽも揚げてありますので、そのまま お召し上がりいただけます」と料理屋さんでたまに言われることがある。 そう言われる時はもちろん、特に何も言われずに エビの天ぷらや揚げ物が出てきた時に緊張が走る。 エビの頭やしっぽの中には、 本当にさくっと口の中でほどけて崩れるような、 スナック感覚で味わえるものがある。 程よく塩味がついていたりすると、幸せな気持ちになる。 でも、そうじゃない時もある。 えびの頭を口に頬張った時に、「硬っ!」みたいなことがある。 しかも、

          エビの殻はコンディションを統一してほしい

          焼きナスはどうして別人になれるのか

          調理の仕方によって、全然「別人」になる食材がある。 トマトは生でサラダで食べるあの感じと、 火を入れて、トマトソースみたいにして食べるあの感じでは 全然別人だ。「え、きみトマト?」と聞き直したくなる。 そんな、別人食材っていろいろあるけれど、 ナスも結構そうだと思う。 そもそも、ナスってパンチが弱い。 トマトの赤み、甘味、酸味、みずみずしさ、コクなど タレント性抜群のスペックが並んでいるのに対し、 ナスは、味がはっきりしない。 ナスを炒め物で食べていて、 「これ、何かナ

          焼きナスはどうして別人になれるのか

          年齢を重ねて見えなくなったもの

          レンガの壁を見つけると、線に沿って あみだくじが頭から離れなかった。 石畳の道で、色が同じ石を見つけては、 ぴょんぴょん、次から次へと跳んで歩いていた。 大人になったら、そういうのが見えなくなった。 恥ずかしくなったのか、気づくこともなくなったのか。 大人の余裕とはいうけれど、代わりに、無くした心の余裕もあるかもしれない。 ガラスのコップのふちの丸みを帯びた境界線の美しさを眺めたり、 ペットボトルのなだらかな曲線を何度も目線でなぞったり、 そんなことも無くなった。 ひ

          年齢を重ねて見えなくなったもの

          クリームパンはカスタードを食べる器である

          カスタードクリームは、穏やかな時間そのものだ。 卵と牛乳と砂糖だけでできた優しい世界。 カスタードクリームという名前より、 「ウフマヨ」みたいな名前をつけてあげたいくらい、 「ウフ」っと微笑んでいる感じがする。 当の「ウフマヨ」も卵とマヨネーズの組み合わせで 「ウフ」っとしているから、名前は譲れないと思うけど。 クリームパンは、当たり前だけど カスタードクリームがたっぷり入っていた方が良い。 たまに「クリームちょっとパン」みたいな、 パンの存在感が大きいクリームパンがあ

          クリームパンはカスタードを食べる器である

          東京駅発の新幹線に持っていく甘いものを決めておきたい

          名古屋発の帰りの新幹線では、赤福を買って、 新幹線でペットボトルのお茶を飲みながら、ゆっくり食べる。 大阪発の帰りの新幹線では、喜八洲総本舗で何か甘いものを買って、 新幹線が京都駅を過ぎたあたりでゆっくり食べる。 名古屋や大阪の帰りの新幹線に持っていく甘いものは 決まっているけれど、 東京駅発の新幹線に持っていく甘いものの定番が決まっていない。 新幹線という超高速列車のスピード感や、 旅行や出張という、ちょっとした緊張感を 同時に和らげるような甘くて優しい味が必要なのだ。

          東京駅発の新幹線に持っていく甘いものを決めておきたい

          チラシデザインをリスペクトする

          「198円!」「激安!」みたいな、スーパーのチラシ。 馬鹿にされがちなあのチラシのデザイン、 すべてのデザイナーさんが作れるわけではないらしい。 むしろ、作れる人は少ないみたい。 一般的にデザイナーさんは、 通常「キレイ」「素敵」「かっこいい」ことがしたくて 仕事を始めている人が多いから、 「あっち側」に行きたくないところがあるそうだ。 「あっち側」や「こっち側」があるのか分からないけど、 シンプルに整然としたものが良しとされる中で、 雑然と、赤や黄色のとにかく目立つ色

          チラシデザインをリスペクトする

          さようならと言いたくない

          「おっす」「グッモーニン」などの挨拶はあっても、 たいていの人は「おはよう」「おはようございます」を使う。 「ちわっす」「ハロー」などの挨拶はあっても たいていの人は「こんにちは」を使う。 でも、「さようなら」はめったに使わない。 「じゃあね」「バイバーイ」「またね」などはよく使っても、 「さようなら」とは言わない。「さよなら」も言わない。 「あばよ!」と柳沢慎吾は言うかもしれないけど。 本当に最後の最後、もう少し言い換えると、 最期の最期にしか言わない気がする。 この

          さようならと言いたくない

          おにぎりのくせに生意気だ

          おにぎり屋さんがブームらしい。 そう言われる前から、おにぎり屋さんに通っていた。 なぜ、おにぎりなのか。 そんな深いことを考えなくていいから、 おにぎり屋さんに通っていたのかもしれない。 炊き立てのごはんに、明太子や昆布や味のついた卵の黄身が 乗っていればいいのではないか。 確かにそうかもしれない。 握ってある必要は無さそうだし、炊き立てのごはんだって十分美味しい。 でも、何かおにぎりがいいのだ。 考えたくないけど、考えてみる。 人が心を込めて握ってくれるから良いのか

          おにぎりのくせに生意気だ