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おにぎりのくせに生意気だ

おにぎり屋さんがブームらしい。
そう言われる前から、おにぎり屋さんに通っていた。
なぜ、おにぎりなのか。
そんな深いことを考えなくていいから、
おにぎり屋さんに通っていたのかもしれない。

炊き立てのごはんに、明太子や昆布や味のついた卵の黄身が
乗っていればいいのではないか。
確かにそうかもしれない。
握ってある必要は無さそうだし、炊き立てのごはんだって十分美味しい。

でも、何かおにぎりがいいのだ。

考えたくないけど、考えてみる。

人が心を込めて握ってくれるから良いのか?
最近のおにぎり屋さんは、型にごはんを詰めて作っているらしいから、
それはきっと違う。

海苔がくっついているから良いのか?
人それぞれだと思うけど、海苔がなくても美味しいときがある。
(もちろん海苔があるとすごく美味しい)

持ち運びできて、いつでもどこでも取り出せる携帯食だからいいのか?
確かにそれもある。
でも、そういう機能性が良いから、おにぎりが良いわけでもない。

考えたくないのに、考えてしまった。

でも、たどり着いた。
あくまで、炊き立てのごはんとの比較だけど、
2つの良さを見つけたので、少しだけ聞いてほしい。
別に取り立てた発見じゃないけど、まあ聞いて。

ひとつは、「かぶりつける」こと。
炊き立てのごはんを食べる時、お茶碗から箸で持ってきて
口の中に入れる感じが、いつも何か違うなと思っていた。

日本人は、お茶碗とお箸を持って、炊き立てのごはんを食べる。
これ最高。という、既成概念が実はあった。

本当は、お茶碗とお箸が出来る前からやっていた
「かぶりつきたい」のだった。
お上品な人たちが集まるこの現代、思い切りかぶりつけることが無かった。
何か「かぶりつきたい」のだ。二回も言ってしまった。

かぶりつくと、良いことがもうひとつあって、
中から、具が出てきたり、出てこなかったり。
あの宝探し感が、おにぎりにしか無いアトラクション。
かぶりついて宝探しができるという楽しい食事だったのだ。

もうひとつ、おにぎりの良さは、「にぎってある」こと。
これはお寿司にも共通するのだけど、
ごはんって、にぎると何故かおいしくなる気がする。
お米がぎゅうぎゅう押されることで、何か旨味成分が出てくるのか。
あれは不思議だ。お茶碗から食べるごはんには無い味がする。

ただ、にぎっただけなのに、
急に「おにぎりの具」がバリエーション豊かに出てくるあたりもすごい。
ツナマヨとか、炊き立てのごはんの時は発想がないのに、
おにぎりになると、上位に君臨する存在感。

おにぎりのことを褒めてしまった。
普通にそこに居て欲しい存在なだけなのに。

ちなみに「おむすび」という名前もあるけれど、
お米を結ぶだなんて、何て素敵すぎる名前。
握るくらいの粗雑さがまた良いね。


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