見出し画像

阿佐ヶ谷姉妹の属性のない安心感

阿佐ヶ谷姉妹をよく見かけるようになって
どれくらい経つだろう。
最初は、ハモりの上手な、遅いデビューのおばさまユニットという印象で
(もしかしたらその印象はずっと変わらないかもしれない)
いつの間にか、見かけない日はないくらいになっている。

カギカッコつきの「姉」と「妹」という設定で
お揃いのピンク色のよそいき衣裳を着ながら、
二人でああでもないこうでもない会話を続ける。
設定自体は叶姉妹と同じなのに、ここまで棲み分けができるとは。

考えてみれば、叶姉妹もずいぶん息の長いタレントだ。
何となく「息の長さ」については、共通点があるかもしれない。

タレントは、多くの場合属性がある。
ジャニーズ事務所所属、吉本所属みたいなところ。
スポーツ界出身、宝塚出身みたいなところ。
誰の先輩後輩、誰の師匠弟子、誰と親子、誰と仲良しみたいなところ。
番組の中でMC、アシスタント、ひな壇などの役割になってくれば、
自然と関係性ができて、いじり・いじられキャラみたいなものも確立される。

日常、親子や会社の上司部下同僚、お店の主人と客など、
属性で縛られている。何となくそこからどこかへ解放されたい時がある。
それでテレビを見ていても、結局、そこでは
誰と誰が仲良しで…とか、二世タレントで…みたいな話題になっていて、
なんだかな~という想いになる時がある。

そこへきて、阿佐ヶ谷姉妹はそういうしがらみが無く見える。
誰かの親や娘にも見えないし、上司や部下にもいない。
見ている自分との関係性が全然見えない。
その関係の無さが安心感につながっているように思える。

どこに所属しているか、誰と関係しているかで
成り立っている芸能界において、
その属性が見えないというのは貴重かもしれない。

阿佐ヶ谷姉妹には今後も特定の誰かと仲良くなってほしくないし、
「○○ファミリー」みたいなところに属してほしくないし、
先輩風も吹かせてほしくない。
そう、叶姉妹みたいに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?