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人間嫌いの廃棄物
2024年3月20日 00:14
これの続きはいでは肉付けしていきます。多分色々バラバラした情報になりますが、とりあえず今回は父に焦点を絞ろうかな。そうですね。父と母は見合い婚です。理由としては「馬があった」ではなく「悪くなかった」からだそうです。とはいえ、母の「悪くなかった」は適当感(感覚と少しのコンプレックス)かもしれないですが、慎重派の父が「悪くなかった」と言うのは珍しくも思えます。出会った理由も、最近の
2024年2月9日 13:12
これの続き一日中動けない日も増えてきた(目が覚めない)ので、ちょっとチャートみたいにザラっと書いて、細かいとこは細かくするか、別記事に混入させるか、悩みますけどね。10歳くらいからですね。誤差があっても9歳からになります。私が希死念慮持ちになったのが、ちょうどこのくらい。いじめにあったり、悪夢しか見なかったり、今思えば「いじめられる学校より家にいたくない」と思っていたり子ども
2024年2月3日 23:55
全部貼れなかった。今この景色無いんですよね。勿体ないなぁ。見に行ったら変わり果ててました。さて、希死念慮者の生い立ちやら思考やらを紐解く上で、全貌を語る回2です。つっても私は、他の方みたいに繊細な悩みから希死念慮があるわけではないので、参考になるかは甚だ微妙ですが。私という自殺者の数値1は減らなくても、他の方の自殺数1が減るなら、大したことではありません。さて前回は両親について書き
2024年2月2日 02:53
noteを遺言状にする手前、34年分の膨大な情報を書き出さねばならないのでとりあえず両親に区切ります。後の世で役に立てばいいかな。まずは父について。こちらはあまり口を割らないので、事細かに書けないのですがまあ簡単に言ってしまうと昭和の頑固親父です。一族の成り立ちから、主君を失った落ち武者の武家であり、その一族の総本家がうちです。まあ平和な世の中になったのでそんなものは効力がないで
2023年12月3日 01:10
「にゃーさんってなんでそんな人(頼られ過ぎて疲れる程のお人好し)になったの?」みたいな話を振られたので、ちょいちょい書いてみようかな。うーんまず、最初の時点で、父と兄は身体障害者でした。網膜芽細胞腫。父は時代柄、身体障害(特に目なんて分野)は発展していなかったため、今でも障害認定はされていません。ただ、弱視近視網膜芽細胞腫と3コンボかましてる長男は片目がないため、昭和の偏見か言葉のあや