犯罪も自殺も引きこもりも精神疾患も友達がいれば防げる説

今日漫画家が自殺したニュースを見た

かくいう私も以前自殺を考えていた

死刑囚も見つかった

死刑判決が出て泣き叫ぶ、死刑囚の親の動画が拡散された

こういう、社会から外れた人間になった人、あるいはこの世から外れた人間になった人に共通するのは、友達がいないということ、あるいは少ないということだ

友達さえ多ければ犯罪を起こそうなどとは思わない

友達さえ多ければ、しょうもない理由で仕事を辞めようとは思わない

友達さえ多ければ、失業しても仕事をしようと思うし、仕事をついていない状態がやばいなと思う

友達が多ければ、結婚式は絶対開催するだろう

友達が多ければ、結婚相手もその友達の輪の中に入ることになり、自分が築いた社会の構成員の一部になると思う
まぁ、本当の意味の友達じゃない限り、松本人志みたいになるパターンもあるけどね

今に集中できず、過去にくよくよしてばかりいるのも、友達がいないからだと思う
毎日色んな友達と心の通った会話ができていれば、過去は清算できるだろうし、仮にそれが難しいような出来事が起きてしまったとしても、今が忙しくなるはずだから、過去のことが頭の中をひしめく割合が格段に減るはずだ

"友達がいる"という言葉の定義も難しい

たとえば、自分には信頼できると思う友達が数人いる

が、自分が本当に病んでしまう前、密に連絡を取っていたかというと、そうではない

悩んでいたことを抱えていたことを吐き出す場が無かった

もちろん、吐き出そうと思えば、誰かに電話したりLINEしたりして吐き出すことは出来たのだろう

だかしかし、人間、追い込まれている時、自発的に、能動的に、建設的に、誰かに会話して問題解決に向かおうとできる強さを持ち合わせていられるか?というと、必ずしもそうではない

大学を留年してしまう人も、友達が少ないゆえに、過去問が回ってこなかったり一緒にテスト対策をする友達がいなかったりして留年してしまうパターンが多いらしい

もはや友達は現在を生きるための軍事力といっても過言ではない。

自分との関係性がアクティブステータスになっている友達の数が多ければ多いほど現代の日本社会を生きやすくなっていると思う


世の中に溢れている暗いニュース……。例えば、戦争が起こるかもしれない、日本が海外に皆、叩かれるかもしれない……など。

実際にそれが実現してしまった時、世界中に友達がいれば、自分にとってのシェルターになってくれるかもしれない

そもそもトランプ大統領は北朝鮮やロシアに友達がいるのだろうか

金正恩には外国人の友達がいるのだろうか

プーチンやゼレンスキーはお互いの国に友達が一人でもいるのだろうか

一生懸命お金を稼いで、それでもいっぱい稼いで稼いで稼いで稼いでいる人は、特にすべてを犠牲にしては声出るような人は、将来の備えに対して、自分がお金を蓄えることでしか対応できないのだろう

極論を言えば、メチャクチャ友達がいっぱいいれば、何かの事情で本当に困った時、みんなが助けてくれるから保険に加入する必要もないし、次の仕事を見つけるまでの時間、居候させてもらったり、ご飯を食べさせてもらったりすることはできるだろうし、体に何か大きな病気や障害を抱えてしまっても、それの人達に助けてもらうかもしれない

範馬刃牙に範馬勇次郎という登場人物が出てくるが、彼の思想やセリフの中で、喧嘩が弱いからお金を稼いだり勉強したり徒党組んだりと色んな事をしなきゃいけないという趣旨のものがある

これは、武力や喧嘩だけではなく、友達の数に置き換えることもできるのではないかと思う

世界中の政治家が、自分とは異なるバックグラウンドを持つ人を友達にすればするほど、世界は平和に向かっていくのではないかとすら思う

前回書いた記事で言う、社会的資産、は、数と質が多ければ多いほど、社会から漏れてしまうことを防げるのではないか

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