巡りあう おなじ光 i am Love
夢の中に大好きだった祖父が出てきた。
2019年に亡くなってから初めてだと思う。
いつも記憶の真ん中にある、あの山々に囲まれた家。
久々に訪れられた、ずっと辿り着きたかった場所に、わたしは静かに興奮していた。
実際の祖父の家とは仕様が全く違ったけれど、印象的な家までの道中はよく似ていて、その光景にわくわくした。
夢の中の家には、素敵なアンティーク調の階段があって、その一番上にある窓からは、優しく穏やかな太陽のような光が差し込んでいた。
階段に映る光と影のコントラストがあまりに美しくて、夢中で写真を撮る。
階段を登った先にはさまざまな絵が飾ってあって、そこに自分の絵がないことになんだか少しもやもやしている。
飾れる絵をまた探してこようと思っていると、胡座をかいている祖父の後ろ姿が、淡い光に包まれて、少し遠くの宙に浮いていた。
先へ進んでまた別の階段を下ると、現実に引き戻されるような、大きくて賑やかな玄関があった。たくさんの履き物が散乱していて、子ども用の乗り物が並べられている。
そして、その近くにいた母にちょっと変わったデザインの薄手のダウンジャケットを手渡された。
何この柄?色的にあれに合わせたらイケるかもやけど、とか話しながら、それを受け取り、身体に合わせてみているわたしがいて…
…あとのことはあまり覚えていない。
眠れない日々が続いている。
浄化の大波が来ていると言えば簡単だが、実際の苦しみは言葉にならない。
年始の能登の地震をきっかけに、何十年と蓋をされていた栓が抜けてしまったようだ。
そこから徐々に身体に異変が現れ始め、倒れそうになりながらも、なんとか、東京の旅を終えて戻ってきたら、あっという間に症状が溢れ出した。
あまりの苦痛に夜中に泣き叫ぶと、しばらくしておさまったりすることがある。
ただこうして泣き叫びたかった、そんないつかの感情は、今、ようやく自身の許可がおりて、出すことができている気がする。
浄化の方法も人それぞれ、わたしにはこの流れが必要で、身体がそこへ導いてくれている感覚だ。
世の中の情報に振り回されず、耳障りの良い言葉に逃避することなく、わたしはわたしのタイミングで、この身体が納得するまで、ただこの心身を任せる。
祖父の光を夢で見る前、案の定眠れなかったわたしは、身体を掻きむしりながらなぜか歌を歌っていた。
過去に自分で作った歌。
どこか小っ恥ずかしく甘酸っぱい世界。
歌詞の内容がどこかしら歪んでいるのに、溌剌とした真っ直ぐなエネルギー(音)に乗せられているものだから、素直に表現していると勘違いしてしまう。
【悲しみのSecond Lover】というタイトルとはうらはらに、超ポップに愛を叫ぶ軽快ソングや【Selfish Love】という複雑に拗れた男女の心模様を冷静な目で突き放して見ている恋愛ソング。絨毯についた染みに罪悪感を投影した【オレンジジュース】や、すべてがあべこべの鏡の国へトリップして今ここにある幸せに気付く【MAGIC MIRROR】。いろんな曲、作ったなぁ。
いろんな歌を歌って、さまざまな人に出会って、たくさんの経験をして、頭ではずっとわかっていた。
でも、ここぞと言うときに、どうしても一致しなかったわたしの心と言動。
やっとやっと腑に落とせたよ。
本当は、強がらずにただ、素直になりたかっただけだってこと。
こうして、あるがままの素直さに、今、わたしは少しずつ還ろうとしている。
【いつも素直になれなくて】
これはわたしが16歳の時に描いた歌のタイトルだ。
選択音楽の授業で、友人とKiroroスタイルで楽曲を作り、発表した。
わたしがボーカル&歌詞で友人がピアノ&曲。
なんとなく、ここから始まってここに帰ってきた。
そんな感じがする。
この歌を作ったときは、特定の恋愛の存在があったのだと思うけれど、今こうして改めて記して読んでみると、あまりに深く永い間封印されてきたものの重みみたいなものを感じて、涙が溢れてくる。
ただ、素直でありたい。
それが永い歴史の中で、人が願った唯一のことなんじゃないかって思えるほどに、拗らせ歪んでしまったあまのじゃくがきっとたくさんいるのだろう。
友人が素敵なメロディーをつけてくれて、当時は学校中の話題になったこの歌。
音楽の力、拡がるエネルギーってやっぱりすごいね。
夜中の一人歌唱、最後の方は、Mrs.のナハトムジークを歌った。まるで浄化中の苦しみを歌ってくれているような歌詞にハッと気付いて、また癒された。
『全部背負わなくていい、あなたのせいじゃないから。』
そんな声が聴こえてきたような気がした。
なるようになってるだけ。
だから自分を責めてはいない。
先日、アメブロにたまたま上がってきたブログのタイトルが気になって開いてみた。
まるで、これは自分が書いたんじゃないか…と錯覚を起こすようなエネルギーに触れて、心が救われたような気持ちになった。
どこか懐かしい、この人(エネルギー体)知ってる…そんな風に思えるような出逢いは、出逢いの瞬間そのものだけで、もう成就している。
そうやって、必要なときに必要なものを与えてくれる、そんな世界の仕組みが愛だ。
だから安心して、苦しんだり悲しんだりできる。
大丈夫だってわかったから、泣き叫べる。
声を出せるってほんとうにしあわせなことだね。
“やっとあなたの本当の音を聴かせてくれたね”
そんな囁きが、奥の奥から聴こえてきたような気がした。
巡りあう おなじ光 i am Love
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