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#4「"いつもの環境"の外に出てみる」。稲田さんの「はたらく」ができるまで。

今回の「あの人の“はたらく”ができるまで」は、稲田裕さん。

稲田さんのキャリア展開は興味深い。

いきなり「カポエイラ」を習い出したかと思えば、それがキッカケでブラジルへ行く。

そうこうしているうちに、1年間のワーキングホリデーでカナダに行く。

先の展開が見えないながらも、その時、目の前にあることに一意専心する。

そして、気付けばしっかりと、縁のある土地に根差した生活を営んでいる。

お話を聞かせて頂いた中で、稲田さんの「はたらく」を紐解く要素は3つだと感じた。「越境」と「旅」と「偶発性」だ。この3つがキーワード。

本業以外にも、ブルーベリー農園まで営む稲田さんの「はたらく」は、どのようにして創られてきたのだろうか。お話をうかがった。


左:稲田さん。右:わたし(伊藤)。



【プロフィール】
稲田裕さん
大学卒業後、大手食品会社へ入社。その後、外資系生命保険会社へ転職。12年勤務した後、財務コンサルタントとして起業。現在は、株式会社稲田財務の代表取締役。その他の取り組みとして、経営塾をはじめ、「ザイムのラジオ」メインパーソナリティー、IFL(稲田フィナンシャルラボ)代表も兼務。広島県福山市にて2500㎡超えのブルーベリー農園を開園し、地域コミュニティ「ぼくらのブルーベリー畑」を運営している。


ブラジルに行っちゃう。カナダにも行っちゃう。

 
―本日は宜しくお願いします!東京と広島県福山市(以下「福山市」)を行ったりきたりされているようで、仕事、移住、ブルーベリー農園などなど。聞きたいことがてんこ盛りです。

稲田さん そうですね。ゆっくりお話しできればと思います。宜しくお願いします。

―ありがとうございます!お生まれは福山市とお聞きしていますが、現在は東京と福山市を行き来している状況でしょうか?

稲田さん そうですね。小学生の時、数年間だけ東京にいたこともあるんですが、中学校から高校までは福山市です。その後、大学入学のタイミングで東京に来て、気付けば30年の東京生活。でも、最近、福山市へ移住しました。とは言え、東京にも仕事のお客さんはいるので、行き来している状態ですね。

―東京生活、30年だったんですね。大学を卒業されて、食品会社に就職されていると思いますが、当時のお話をお聞きしても宜しいでしょうか?

稲田さん はい。当時は会社の寮で生活していたのですが、7時に出社して20時に帰る。その繰り返し。そのような毎日に、段々と違和感を覚え始めました。

―毎日、同じことの繰り返し。違和感を覚える点、何となく想像できます。

稲田さん 同僚を見ていると、帰宅後はおきまりのコースで飲みに行く。そんな毎日で。

―そう思って、どうされたんですか?
 
稲田さん カポエイラを習い始めました。

―!!私の周囲には「カポエイラ」を習っている人がいないので、その選択肢があることに驚きます。ブラジル発祥の格闘技ですよね。習い始めて何か変わりましたか?

稲田さん これが転機で(笑)

―おお(笑)気になります。

稲田さん それまでは会社内しか知らなかった訳ですよ。いつもの人間関係の中で生活している。でも、カポエイラを習い始めて、社外の色んな人たちと出会いました。そして、当然ですが、僕の知らない職業に就いている人もいて。そういう人の話を聞いていくうちに、「僕の人生、これでいいのか?」と思い始めました。

―なるほど、それが「転機」という意味ですね。そこから、どうなったんでしょうか?

稲田さん ブラジルに行きました。

―えっ(驚)?ブラジルですか?ええと、当時は食品会社へ勤務していて、習い事としてカポエイラを始めたんですよね(笑)?ブラジルに行ったのは、どういう経緯でしょうか?

稲田さん カポエイラを習っていた道場の師匠がいて、その師匠の師匠が、カポエイラの本場、ブラジルにいたんです。そして、日本の道場の師匠から「ブラジルにいる師匠に会いに行くから一緒に行く?」と声を掛けられたんです。

―「行く」と(笑)?

稲田さん そうそう。行っちゃった(笑)

―ワオ!(笑)仕事はどうしたんですか?

稲田さん 辞めちゃった(笑)

―ワオ!(笑)潔く辞めちゃうんですね(笑)ちなみに、ブラジルにはどのくらいの期間、行ったのでしょうか?

稲田さん 1ヵ月。

―短い(笑)!!いや、長いんですかね?それで、その後、どうしたんですか?

稲田さん 日本に帰ってきて、道場の師匠が、今度は「カナダに良い感じの団体があるから行けば?」と言ってきて。

―まさか(笑)?

稲田さん カナダに行きました(笑)

―ワオ!ワオ(笑)!カナダにはどのくらいの期間、行っていたんですか?

稲田さん 1年間。

―長い(笑)!!本場(ブラジル)より長い!いや~好きです、その感じ。もうとっても好きです(笑)サクっと行っちゃうんですもん。カナダは長期ですが、「旅行」になるんでしょうか?

稲田さん ワーキングホリデーですね。

―「ワーキングホリデー」ですか?言葉自体は聞いたことはありますが、どういうものでしょうか?

稲田さん 「ワーキングホリデー」は、海外で「ワーク」も「ホリデー」も体験できる制度ですね。つまり休暇を楽しみながら、働くこともできる、という感じです。

―そういう制度なんですね。海外生活は、どんなことをして過ごされましたか?

稲田さん 「アルバイト」「カポエイラの練習」「英語レッスン」。この3つをひたすら行う毎日でしたね。

―そうですよね、そもそもカポエイラがキッカケで行ったんですもんね。ちなみに、この時、その先の仕事のことは考えていましたか?

稲田さん いや(笑)目の前のことに夢中だったから考えてないですね。

―いいですね(笑)

稲田さん カナダでは、日本食レストランの厨房でアルバイトしていました。オーナーは日本人でしたが、厨房にいる日本人は自分だけでした。

―そういうものなんですね。意外です。でも、そのように充実した1年間も終わりがくると思います。その後、どうされたんでしょうか?

稲田さん とりあえず日本に帰ろうと思って。そのタイミングで、日本の友人や知人に声を掛けました。日本へ帰る旨を話していたら、たまたま「俺の会社手伝ってよ」という人がいて。

―おお、次の働くところが決まったんでしょうか。

稲田さん そうですね。「30歳で実家暮らしは嫌だな(笑)」と思っていたから、「よし!住む場所、仕事が見つかった!」と思いました(笑)その仕事場も東京だったので、カポエイラも継続できるし。

―なるほど(笑)それが次にお勤めになった映像制作会社ですね。

稲田さん そうですね。 


起業するまでの経緯、きっかけ。

―その後、保険会社へ転職されていると思いますが、保険会社から起業するまでを、少し深堀して聞いても良いでしょうか?

稲田さん はい。

―保険会社には通算12年いらっしゃったと思いますが、なぜ、会社を退社し、「起業」という手段を選んだのでしょう?「転職」「副業」等、他にも選択肢はあったとも思いますが。

稲田さん そうですね。理由は複数ありますが、最初のキッカケは、とある勉強会に参加したことです。それは「財務」の研修だったんですが、それまで持っていた金融知識、考えていたことに対して、「あれ?」と思うキッカケになって。具体的に言えば、例えば「保険」を節税目的で加入したりしますよね?

―ええ。よくあるスキームでしょうね。

稲田さん ケースバイケースでしょうが、「会社にお金を残す」とか「キャッシュフローをよくする」という観点から見ると、保険加入が正解にならない場合も多々あるじゃないですか?

―ええ。

稲田さん でも、当たり前ですが、保険会社に籍を置いている以上、最終的には保険というプロダクトを売らなければいけない。これは「財務のホントのところ」という観点でみていくと、もっと他にやり方があるかもしれない、と思いました。

―なるほど。財務状況に応じて、キャッシュフローを改善したり、会社にお金を残すことに重きをおくのであれば、「保険」以外の選択肢だって当然あるじゃないか、ということですね。

稲田さん そうそう。あと、12年間ほど在籍していたので沁みついていましたが、保険会社は、とてもヒエラルキーな組織形態です。当然、競争もあります。組織風土としても、当時は、基本的には全て「対面」で商談を行う必要がありました。その他にも、出勤の仕方をはじめ、ルールが結構細かく決まっていて。働き方の制約も多かったですね。だから、もっと「自由に働きたい」とも思いました。

―なるほど、そのような思いがあったんですね。それら複合的な要因で、思い切って起業することにしたんでしょうか?

稲田さん ええ。実際、法人のお客さん相手に自分も法人経営をしたことがないと、「実感」をもって接することもできないですし。そんな思いもあって。だから、自分でも実際にやってみよう!と思いました。保険じゃなくて「財務」に関するアドバイスを行う立場として。

―そういう経緯なんですね。研修がキッカケになって、その後、研鑽を積まれ、法人運営における「財務」アドバイザーとして活動し始めたのですね。

稲田さん そうですね。

―そう考えると、「社外(その時に身を置いている環境の外)からの刺激」は、稲田さんの「はたらく」を、その都度、方向付ける力を持っていそうですね。



「ブルーベリー畑」を介してコミュニティをつくる。


―話は変わりますが、現在行ってらっしゃる別の取り組み、「ブルーベリー農園」について、お聞きしても良いでしょうか?

稲田さん もちろん。

―まず、私が興味があるのは、なぜ「ブルーベリー農園」を始めたのでしょう?

稲田さん そうですね、前段階として、ある時、北海道旅行をしていたんですが、北海道の雄大な景色を見ていて、「自然のあるところがいい」「農業やってみたい」と思いました。

-なるほど。

稲田さん でも、当時住んでいたところは東京都内。畑を借りようとしてもかなり狭いし、なんか違うな、と。だから、移住しようと思いました。色々な候補地を考えたけど、最終的には故郷でもある福山市へ。

―そういう流れなんですね。「農業」と聞くとパッと思い浮かぶのは「野菜」ですけど、そっちを選ばなかったのが面白いですね。

稲田さん 色々調べましたが、「農業をやってみたい」とは思ったものの、兼業でもがっつりやるのは現実的に難しいと思いました。それで考えて、「果樹」はどうだろうと。そう思って、ブルーベリー農園をやっている果樹園へ複数見学しに行きました。

―見学に行かれたんですね。どちらへ行かれたんですか?

稲田さん 練馬区、木更津市、岡崎市、吉備中央(岡山県)、松山市、北海道とか色々ですね。行ってみて分かったんですが、それぞれ育て方も違うし、スタンスも違って。

―そうなんですね。具体的にはどんな違いがあるんでしょうか?

稲田さん 例えば、岡崎市のブルーベリー農園は観光農園で、「点滴栽培」や「養液栽培」なんです。つまり、いかに効率よく育てて、観光化するか。事業計画をたてて、融資してもらって、収益化する、みたいなイメージです。

―もはやビジネスですね。

稲田さん そうそう。かたや、北海道で出会ったブルーベリー農園は、真逆。肥料もなんもあげない。だから「ど根性栽培」というくくりになるんですが、その中でも、水と太陽の光のみで育てる自然農法のような育て方をする。

―全然違いますね!色々と見に行かれて、稲田さんはどのように感じたんですか?

稲田さん 最初は観光農園で収益化するのも良いと思ったものの、なんか違うな、とも思いました。「あれ?ビジネスやりたかったんだっけ?」と。自然に触れたかったのに、これなら都会でもできちゃうよな、と思いました。それで、北海道の自然農法を見た時に、「こっちかも!」と思いました。だから、僕のブルーベリー農園は、自然農法の方法を用いて育てています。

―なるほど!「こっちかも!」と思った感覚を起点に、そこから自然農法の方法論を選択して、ブルーベリー農園を始めたんですね。

稲田さん そうそう。でも、始めたばかりだし、実がなるまで3年かかります。だから、まだまだです。でも、その時間がかかるのが良い。もはや「消費」に飽きてる人も多いと思うし、「生産」する方が楽しいでしょう。

―「消費より生産が楽しい」。それ、めっちゃ分かります。確かにそうですよね。じっくりと生産する過程も楽しんでいるんですね。

稲田さん そうですね。それに、地元の人がとても良く手伝ってくれます。最初は、「自分の」ブルーベリー農園みたいな感覚だったんですが、ある時から「僕らの」ブルーベリー農園に切り替えました。それに、自分自身も近隣の人たちの手伝い等を積極的にしていたのも相まって、気付けば自然と色んな人が集まってきて。

―素敵ですね!コミュニティですね。

稲田さん そうですね。もはやコミュニティですね。ホイールローダーもってきてくれたり、一緒にブルーベリーの苗植えたり。「みんなのもの」と思ってからは、なんか変わっていきましたね。

―良いですね。段々畑で、太陽の光が降り注ぎ、海も見えて、素敵なところですよね。

稲田さん そうですね。瀬戸内海を見渡せる場所で、こうやって、色んな人と交流していく。こういうの、いいですよね。

―めっちゃ素敵です。本日は、貴重なお話を聞かせて頂きまして、ありがとうございました!!!


ブルーベリー農園から瀬戸内海を遠望。


ブルーベリーの苗木を植え、
3年間かけて「育ち」を見守る。



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