こんにちは、こうたろうです。 前回の記事で、セルフコンパッション(自分自身への思いやり)が人生の様々な面で有益であることが心理学の研究でわかってきていることをお伝えしました。 ただ、自分を大切にすることがいいとわかっていても、実践には難しさを感じる人も少なくないと思います。 そこで今回のテーマは、 「なぜ自分を思いやることは難しいのか?」です。 自己犠牲を美徳とする文化無視できない大きな要因の一つに、自己犠牲が重視される文化が挙げられます。 私たちは学校で集団行動を
近年、心理学の分野で急速に注目を集めている概念の一つに「セルフコンパッション」があります。 これは日本語に訳すなら「自分自身への思いやり」といった意味で、簡単に言うと、大切な他者に接するのと同じように自分自身にも接する、そのような態度のことを言います。 自分を愛すること=自愛の大切さについては、これまでも多くの精神的指導者が語ってきたところです。 ではセルフコンパッションの何が新しいのかというと、それは『自分を大切にすることがどのように人生を良くすることに繋がるのか、そ
劣等感とはどのような時に生まれる感情でしょうか? 例えば、学歴コンプレックスというものがあります。 自分よりも高学歴な人を前にすると劣等感を感じる人は学歴コンプレックスがあると言えます。 一方で、自分より学歴が高い人を前にしても劣等感が刺激されないという人もいます。 その違いはなんでしょうか? それは、高学歴であることを「理想」だと思っているかどうか、です。 人は劣等感を感じる時、単に他人と自分を比べているわけではありません。 他人の中に自分の理想を見ると、その理想
自分自身を重要な価値ある存在だと思える感覚のことを「自己重要感」といいます。 自己重要感は目には見えないし、普段意識することは少ないかもしれませんが、実は人が生きていく上で欠かせないものの一つなんですね。 水を飲まないと身体を維持できなくなるように、自己重要感が枯渇すると心を維持できない。それくらい大切な物なんです。 そんなわけで、人は自己重要感を潜在的に求めながら生きている、と言えます。 褒められたら嬉しいのは大人も子どもも一緒ですよね。 昨今自己肯定感という言葉がはや
おじいちゃんから聞いた、寿司の教えというものがある。 ぼくがこの話を聞いたのは幼稚園に通っている頃だったが、大人になった今でも忘れずに覚えているのは、幼心にもすごくいい話だと思ったからだ。 目の前に握り寿司が一人前あったとしたら、それをどんな順番で食べるかが大事なんだとおじいちゃんは教えてくれた。 2通りの食べ方を比べてみる。 1つ目は、嫌いな物を先に食べて好きなものを後に残しておくという食べ方。 まず1番嫌いなものを食べて、そして次も残っている中で1番嫌いなものを食べ
何か嫌なことがあってその気持ちを引きずってしまう時、皆さんはどうしていますか? 美味しいものを食べる、カラオケで発散する、温泉で身体を癒す…等々、気持ちを切り替えるためにする気晴らしや切り替え方法をそれぞれお持ちかも知れません。 引きずった後の対処も大切ですが、そもそも引きずりにくくなるためにできること、つまり嫌な気持ちを引きずるのを予防する方法もあるので、今日はそれをご紹介したいと思います。 反芻とセルフコンパッション一度生じたネガティブな思考を何度も頭の中で繰り返し
こんにちは。今日は「2つの努力」というお話を書きたいと思います。 ぼくは努力には2種類あると思います。 1つは、自己満足の努力。 例えば、子どもが夢中で泥だんごを作っていて、気が付いたらツルツルピカピカの凄く綺麗な泥だんごが出来上がっていたとします。 その子は何も無理して頑張ったわけではありません。泥だんごを作る行為自体が楽しくて熱中していました。 そんな、そのこと自体に充実感があり満足感に繋がる努力を、ぼくは自己満足の努力と呼びます。 2つ目は、自己犠牲の努力。 先ほ
『ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』という映画を観てきました。東ヨーロッパに位置するジョージアの古都を舞台にした、ちょっと風変わりなラブストーリーです。 この映画、見始めてまず思ったのはストーリーがなかなか進まない・・・。 例えばただ道路を人や車が通り過ぎるといったストーリーの本筋とは関係のないシーンが多用されているのが特徴で、引き込まれるような展開がなかなか起きません。 もどかしい・・・初めはそんなふうに思いました。 ただ、見続けている内にだんだんと違う感覚
最近ストレッチを日課にしています。 もともと身体が固い方なのですが、姿勢を良くして疲れにくい身体になりたいと思って始めました。一人だと続かなかったと思うのですが、妻が一緒にやってくれるので夫婦の時間として楽しく続けられています。 YouTubeでエクササイズ動画を見ながらそれに合わせてやっているのですが、自分ではお手本を真似しているつもりでも実際には同じように出来ていないということがよくあります。 どうしても自分のクセが出てしまうのです。 そんな時は妻がパーソナルトレーナー
セルフコンパッションという言葉があります。 自分自身に対する思いやりを表す言葉です。 心理学におけるセルフコンパッションの研究では 自分へ思いやりの心を持つことや自分へ優しく接することが 人生の様々な点において自身を助ける大切な要素であることがわかってきています。 しかしながら、自分には厳しく接するべきであるという価値観が世の中には根強くあるようにも思います。 「自分に厳しく、人に優しく」が美徳であるとの考え方もあるでしょう。 確かに人生には厳しさも必要です。 でも厳し
大人になるのはつまらないことだと思っていた。 大人の日常は平坦であるように勝手に思っていた。 でもなってみると、案外そうでもなかった。 年を重ねると、経験が増える。 経験が増えると、感じ方が変わる。 例えば飲食店で働くと 1つのお店を始めて、繁盛させて、維持していくことがどれほど大変なことかがちょっとずつわかってくる。 すると1杯のコーヒーの裏には、作り手やそこに関わった人たちの人生が詰まっていることがわかってくる。 今まで何気なく飲んでいたコーヒー、お金を払った対価と
「グッとくる一節集」第2弾は THE BLUE HEARTS の「NO NO NO」よりこの歌詞を紹介します。 ぼくは中高一貫のいわゆる進学校に通っていました。 そこでは中学に入学するとこんな話を聞かされます。 「1年浪人して大学に進学すると、浪人しなかった場合と比べて生涯賃金が1,000万円下がると言われている。だから君たちは現役で進学できるよう今からしっかりと勉強するように」 子どもから大人に変わろうとするサナギのような時期に、この話は夢も希望もないように感じられ、
「謙虚なのはいいこと?」から始めて 「自信を持つために大切な自己価値感について」までお話しした動画を作りました。 自己価値感とは自分自身に価値があると思える感覚といった意味です。 前向きに生きていくために絶対に必要な感覚だと思うのですが 今の社会にはこの感覚を育てていくような機会が乏しいんじゃないかなと感じています。 たとえそんな社会でも、そんな時代でも 自分で自分を育てていくことはきっとできる。 それも鞭打つように厳しく急かしてではなく、愛情をもって優しく忍耐強く育て
今日はちょっと今までとは趣向の違う記事を書いてみようかなと思います。 ぼくは音楽が好きです。気持ちに寄り添ってくれる曲、励ましてくれる歌、作者の心意気に感動する音楽・・・などなどこれまで色々な音楽に生きる力をもらってきたように感じます。 そんなすてきな音楽たちの中でも特に歌詞に注目をして、心に残った歌詞についての記事をこれから時々書いていこうかなと思っています。 シリーズのタイトルは「グッとくる一節集」。 第一弾は吉田拓郎の「人生を語らず」より、この一節を取り上げます。
「自分に優しく」ということが、なんだか悪いことのように感じられてしまう人がいます。 自分に優しくすることは自分を甘やかすことであり、それは堕落につながるように感じるのかもしれません。 あるいは、頑張っている自分でないと価値がない、自己犠牲を払って努力し続けないと人から認めてもらえないと感じているのかもしれません。 この「自分に優しく」という言葉からイメージされることは人それぞれだと思います。 みなさんはどんなことを思いますか? ぼくは「自分に優しく」という言葉をより具体
来年春頃から「心の柔軟たいそう」というワークショップを定期的に開こうと準備を進めています。 ジムに行き普段使わない筋肉を使って鍛えるように、普段使っていない部分の“心”をあえて使ってみる機会。ただし、鍛えるというよりも、柔らかくほぐしていくようなイメージ。 そんな思いから「心の柔軟たいそう」というタイトルを付けました。 実際にやっていく内容は、ぼくのバックグラウンドにある演劇とカウンセリングを掛け合わせたようなものになります。 身体の緊張に気がつき徐々にほぐしていく…