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自己重要感と、落し穴。

自分自身を重要な価値ある存在だと思える感覚のことを「自己重要感」といいます。

自己重要感は目には見えないし、普段意識することは少ないかもしれませんが、実は人が生きていく上で欠かせないものの一つなんですね。
水を飲まないと身体を維持できなくなるように、自己重要感が枯渇すると心を維持できない。それくらい大切な物なんです。

そんなわけで、人は自己重要感を潜在的に求めながら生きている、と言えます。
褒められたら嬉しいのは大人も子どもも一緒ですよね。
昨今自己肯定感という言葉がはやっていますが、その背景にもこの人間の持つ自己重要感を求めるという性質があると思います。

そんな誰もが求めている自己重要感ですが、それを満たすには2種類の道があると思うんです。

1つ目は、「他者と比較する道」。自分の長所にスポットライトを当てて「他人よりも自分は優れている」と思えると、自分は価値ある存在だと思うことに役立ちます。
自分の長所を素直に認めることは、精神的な安定のためにもいいことだと思います。

ただ、この道にばかり頼ることには大きな落とし穴もあります。
いつもいつも自分の優れている点を見つけられるとは限りません。調子の良し悪しがあったり、年齢と共に衰えるものがあったり。一度ある場所でトップに立てたとしても、それを追い越してくる逸材は広い世界にはすぐに見つかるかもしれません。

そうなってしまった時に、この「他者と比較する道」でのみ自己重要感を満たそうと思ったら、他者を無理やりにでも落とすしかありません。揚げ足を取る、重箱の隅をつつくように欠点を指摘する、時には事実を捻じ曲げてまで他者を陥れる。自己重要感を失うことが受け入れがたいあまり、人は時としてこのような行動を取ってしまいます。

このようなことが続くと、人は現実を直視することが怖くなってしまいます。現実をありのままに受け入れて、人よりも優れていないどころか人を陥れることに躍起になっている自分と直面するというのはかなりつらいものがあります。

さて、自己重要感を満たすのに2つの道があると言いましたが、もう1つは何かというとそれは「全体性を感じる道」です。
先ほどの「他者と比較する道」が自分の優れている点にスポットライトを当てたのに対し、こちらではもっと広く自分の様々な面に目を向けていきます。
『良い所もあれば、悪い所もあるし、どちらとも言い切れないところもある。人より優れている点もあれば、劣っている点もあるし、フツーな点もある。』
自分という存在の「優れている点」以外も、あって当然のものとして冷静に受け入れてみましょう。そうやって世の中のモノサシを外して直に自分を感じようとしていくと、そこにはただただ懸命に生きようとしている命というものがある。そんなことが感じられてくるのではないでしょうか。

この懸命に生きようとしている命にこと価値がある。人と比較して自分には特別価値があるんだなんて主張しなくても、もともと人間は等しく命という価値を内在した存在だったんだ。少し大げさな言い方かもしれませんが、このように自分の命と向き合っていった時に感じられる自己重要感というものもあると思うんです。

2つの道について話してきましたが、1つ目の「他者と比較する道」が必ずしも悪いとは思いません。比較するという事は人間らしい行為の一つだと思います。ただ、自己重要感の充足というものを他者との比較だけでまかなおうとすることには、自分を傷つけ他者を傷つけかねない危険な行為ではないかなと思います。

いま自分は他者と比較することで自己重要感を満たす道を歩んでいると思った人がもしいたとしたら、いったん立ち止まり、自分の命全体を感じてみる。そこに他者と等しい価値を感じる。そんな時間を持ってみてもらいたいなと思います。
わざわざ根拠を主張しなくても、私たちには等しく命という価値を持った存在なんだ。そんなふうに思います。