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たしかめ合うことの話。

今日はちょっと今までとは趣向の違う記事を書いてみようかなと思います。

ぼくは音楽が好きです。気持ちに寄り添ってくれる曲、励ましてくれる歌、作者の心意気に感動する音楽・・・などなどこれまで色々な音楽に生きる力をもらってきたように感じます。

そんなすてきな音楽たちの中でも特に歌詞に注目をして、心に残った歌詞についての記事をこれから時々書いていこうかなと思っています。

シリーズのタイトルは「グッとくる一節集」。
第一弾は吉田拓郎の「人生を語らず」より、この一節を取り上げます。



『わかり合うよりは たしかめ合う事だ
季節のめぐる中で 今日をたしかめる』


人と人がわかり合うということは、大変なことだと思います。
互いに心の底では愛情を感じ合っているような親子でも、夫婦でも、友人・恋人同士でも、わかり合うのが難しいことはあります。ましてや社会で出会う様々な他人同士がわかり合うのが困難なことは日常茶飯事です。


他者とわかり合うことは素晴らしいことかもしれない…
でもそれはとても難しいことだ…
それでも人はどこまでも「わかり合うべきだ」と努力し続けるしかないのだろうか…?


そんな疑問を持った時に、この一節がヒントをくれるような気がします。


わかり合えなかったとしても、たしかめ合うことはできる。
何をたしかめ合うのか?
それは「生きている」ということを。。

個人の意思を超えた大きな時の流れの中で、今日ただ「生きている」ということをたしかめ合う。


例えわかり合えない間柄だったとしても、自分が生きていること、相手が生きていることをたしかめ合うことはできる


そしてそれはわかり合うことをあきらめたという妥協の行為ではなく、それ自体が十分に美しく尊い行為なんだ・・・そんなふうに思います。


作者が実際どのような意図を込めたのかはわかりません。作品を聴いた人それぞれが色々な感じ方をしているものだと思います。
そんな中で、ぼくはこの一節からこんなことを感じてとても励まされる思いがしました、、というお話でした。