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自分に優しくできない

「自分に優しく」ということが、なんだか悪いことのように感じられてしまう人がいます。

自分に優しくすることは自分を甘やかすことであり、それは堕落につながるように感じるのかもしれません。
あるいは、頑張っている自分でないと価値がない、自己犠牲を払って努力し続けないと人から認めてもらえないと感じているのかもしれません。

この「自分に優しく」という言葉からイメージされることは人それぞれだと思います。
みなさんはどんなことを思いますか?

ぼくは「自分に優しく」という言葉をより具体的に表すとしたら、それは「大切な友人に接するのと同じように自分自身にも接する」ということなんじゃないかなと思います。

例えば、仕事で上手くいかないことが続いてしまい心も身体も疲れきっている友人がいたとします。
その友人はあなたにとってとても大切に感じられる人で、その人の幸せを心から願っています。
あなただったらどんなふうに声を掛けますか?

「本当によく頑張ってきたね。今は結果が出なかったとしても、自分を責めないで。」
「どうか無理しすぎないで、自分の身体を大切にしてね。これまで頑張ってきたんだから休息も必要だよ。」
「苦しい状況からは逃げてもいいんだよ。」

きっと何か相手の心が軽くなるような言葉を掛けてあげるのではないでしょうか。


ひるがえって、あなたは自分に上手くいかないことが続いている時、自分自身に心の中でどんな言葉を掛けていますか?

「上手くいかないのは自分が悪いんだ。もっともっと、頑張れ。」
「休んでいる暇なんてない。手を止めるな、足を止めるな。」
「今逃げたら負け犬だぞ。」

もし大切な友人に掛ける言葉よりも極端に厳しい言葉を自分には掛けている人がいたなら、その人は「人に優しく、自分に厳しく」という考え方を持っているのかもしれません。

世の中には「人に優しく、自分に厳しく」を美徳とする風潮もあるように感じます。それ自体を否定したいとは思いません。実際そういった考え方が自身を激励し生きる力となることもあると思います。

しかし、常にそういった考え方を持っているとしたら、それは知らずしらず自分で自分を追い詰めてしまっているのかもしれません。もし他人に「休むな、逃げるな、悪いのはお前だ」と言い続けていたとしたら、その言葉はその人の心を追い詰めてしまうでしょう。それは、自分自身に対してもきっと同じことです。


「自分に優しく」するということが「大切な友人に接するのと同じように自分自身にも接する」ということだとすれば、それは自分を甘やかすこととも、堕落させることとも、自分さえよければいいんだと自己チューになることとも違います。少なくとも、きっと「悪いこと」ではない。ぼくはそんなふうに思います。