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頑張っているのに、心が虚しい

こんにちは。今日は「2つの努力」というお話を書きたいと思います。

ぼくは努力には2種類あると思います。

1つは、自己満足の努力。
例えば、子どもが夢中で泥だんごを作っていて、気が付いたらツルツルピカピカの凄く綺麗な泥だんごが出来上がっていたとします。
その子は何も無理して頑張ったわけではありません。泥だんごを作る行為自体が楽しくて熱中していました。
そんな、そのこと自体に充実感があり満足感に繋がる努力を、ぼくは自己満足の努力と呼びます。

2つ目は、自己犠牲の努力。
先ほどの子どもが、親にこんなことを言われたとします。
「今勉強しないと、大人になってから困るぞ。泥だんごなんか作っていないで、将来の為に勉強しなさい。」
そしてその子は本当は泥だんごを作りたいのに、その気持ちは我慢して仕方なく勉強を頑張ったとします。
そういった努力を、自己犠牲の努力と呼びます。将来の為に今を我慢する、将来の自分の為に今の自分を犠牲にする、そういった努力です。

さて、皆さんの中には『頑張っても頑張ってもなぜか心が虚しいまま…』という人もいるかも知れません。
そういった人には、自分が自己犠牲の努力にばかり偏ってしまっていないかを振り返ってみて欲しいなと思います。

頑張っても虚しい人。そんな人のベースには、きっと向上心があると思います。常に向上していたいから、努力家です。
でも、もしその人の中で「努力=自己犠牲」になってしまっているとしたら…。常に将来の自分の為に今の自分を犠牲にし続けているとしたら…いつまでたっても心が満たされることはないかもしれません。

今の自分が満足感を得るためにする自己満足の努力も、本当は自分の向上につながる立派な努力です。
子どもがとても綺麗な泥だんごを作れたように、自ら進んで熱中して行う努力は、仕方なくする努力よりよっぽど成果が出るということもきっとあるでしょう。

頑張っているのに、努力しているのに、心が虚しい。
そんな時は、今の自分を満足させるようなことが最近できているかな?と振り返ってみてほしいなと思います。