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映画を観て、無駄について考えた

『ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』という映画を観てきました。東ヨーロッパに位置するジョージアの古都を舞台にした、ちょっと風変わりなラブストーリーです。

ジョージアの美しき古都、クタイシ。通勤途中で本を落としたリザと拾ったギオルギ。たった数秒、言葉を交わしただけの2人は夜の道で再会する。あまりの偶然に、名前も連絡先も訊かないまま、翌日白い橋のそばにあるカフェで会う約束をする。しかし邪悪な呪いによって、朝2人は目覚めると外見が変わってしまい、さらにリザは仕事である薬剤師の知識を失う。一方、サッカー選手だったギオルギは自在にボールを操ることが出来なくなった―それでもリザとギオルギは約束したカフェに向かい、現れない相手を待ち続ける。待ち人も姿が変わっているとは知らずに…。

https://georgia-cafe.com

この映画、見始めてまず思ったのはストーリーがなかなか進まない・・・。

例えばただ道路を人や車が通り過ぎるといったストーリーの本筋とは関係のないシーンが多用されているのが特徴で、引き込まれるような展開がなかなか起きません。

もどかしい・・・初めはそんなふうに思いました。

ただ、見続けている内にだんだんと違う感覚が芽生えてきます。
なぜだか映画を観ているというよりも、まるでジョージアの町を自分が旅しているような感覚になってくるのです。現地の空気や人々の雰囲気を身近に感じるような気がして、それはとても楽しく心地のいい感覚でした。

そして気が付くのです。
一見ストーリーとは関係のない無駄に思えたシーンたちがあったからこそ、そのような感覚になれているのだと。

ストーリーの展開を期待していた間は思い至らなかったのですが、町の様子やそこで暮らす人々を丁寧に描き出す映像の連続は、実際とても味わい深いものでした。
そしてその味わいが、ゆったりと進むストーリー自体にも奥行きを持たせていて、エンディングまで見終えた後はとても満足した気持ちで劇場を後にすることができました。


今回感じたこと、「本筋のストーリーとは関係のない一見無駄なシーンを丁寧に味わってこそ、物語全体が豊かに感じられる」、これはそのまま人生にもあてはまるのではないかなと思いました。

例えば、小説家になることを人生の目標にしている人がいたとしましょう。
若いうちから日々創作活動に励んで実力を磨き、やがて出版社の目に留まり作家デビュー。ヒット作も生み出しそして重鎮作家となっていく…といったストーリーを歩むことを目指してたとします。

でも、実際の人生は、思い描くストーリー通りにいくものではありません。むしろ、思い通りに行かないことの方が多いのではないでしょうか。日々のやらなければいけないことに忙しく創作活動に手が付けられなかったり、面倒くさくなったり、自信を無くしてやる気も失ったり…

そうして「本筋のストーリー」以外に費やす時間、「本筋のストーリー」を中心に考えたら無駄に思える時間を過ごすことが多くなっていくほどに、私たちは自分は怠け者だと思ってしまうものです。あるいはそんな自分を嫌悪してしまうかもしれません。
一心不乱に突き進むことができたらかっこいいですが、現実はそれほど単純ではありません。理想が高い人ほど、現実とのギャップに目をそむけたくなってしまうかもしれません。

でも、その一見無駄に思える時間を過ごす自分を受け入れることができた時にこそ、人生が大きく変わってくるように思います。
一見無駄に思えることも、俯瞰してみたら自分の一部です。
きっと、今の自分に必要だからこそあるものなのです。そんなふうに考えて、時には無駄を味わってみるのはどうでしょうか。

味わうことは、受け入れることです。
無駄な時間を味わってみると、人生は豊かに広がり始める。
この映画を観て、なんとなくそんなことを思いました。


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