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(104)「自己犠牲の愛」はあるのか?④

【原則3】「幸せ」とは「チームワーク」
【原則4】「魂でつながる人」があなたをさらに「ゆたか」な人間にする

今日も続き。
【原則3】「幸せ」とは「チームワーク」

「自己犠牲の愛」とは「自己犠牲の愛」で愛されたほうも迷惑なもの。
「あなたのために、私は自分の人生を犠牲にして不幸を耐え忍んで生きてきたの。だから、あなたは私の分も幸せになってね。」という「愛」を押し付けられたら、あなたは嬉しいですか???

全くもって「迷惑な愛」。
「自己満」のただの「エゴ愛」。こういう「愛」は重すぎるので夫も子どもも潰れてしまう。

「自己犠牲の愛」が成立するとするならば、
溺れている我が子を助けて自分が命を失うケース、ならばそうかもしれない。
それでも救われた本人は一生苦しむ。
一生十字架を背負って生きていくことになる。

「自己犠牲の愛」を受けたものは「その苦しみ」の呪縛から解き放たれることは一生ないだろう。
本当に愛する人を幸せにしたいのならば、そんな「おぞましい愛」はサッサと手放した方が良い。

本当の「幸せ」とは「自分も幸せ」「夫も幸せ」「我が子も幸せ」全員が「幸せのグルーヴ」を回すことなのではないの?

「幸せ」とは「チームワーク」

【原則4】「魂でつながる人」があなたをさらに「ゆたか」な人間にする

この彼女は「自己犠牲の愛」をふりかざし「夫に虐げられていること」をもはや自慢にしている。耐え忍んでいる自分に酔いしれている。

そのようなステージの人と付き合わないほうがいい。
「類は類」「朱に交われば赤くなる」。
己もそのステージの人間に落ちてしまう。

よく生徒に話していることがある。
「魂でつながる人」と「手でつながる人」と、繋がり方が二通りある。

「本当に大切な人」は自分の胸の中に入れることができる。つまり「魂でつながる人」のことだ。「胸の中に入れられる人」とは、あなたがその人をあなたの胸の中に入れて「幸せ」に感じられる人。

「胸の中に入れることが難しい人」は手でつながる人。表面だけのお付き合いでよい人のこと。

大概の人は「手でつながる人」を自分の胸の中に入れようとするから、心がざわついて人間関係が苦しくなる。

「胸に入れられない人」をあなたの胸に入れてはならない。

「魂でつながる人」はあなたの心をさらに「ゆたか」にする。

従って「自己犠牲の愛」を振りかざす人を果たして「胸に入れてくれる人」がいるだろうか???

続く

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