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(96)「子どもの夢」を自分の「生きがい」にしてはならない

「血」は繋がっていても「人格」は別

どうしようもない父だったが「小説家」の夢は「重度の認知症」になるまで持ち続けていた。
5分で打てる文章を70代の父は3日かかってぽつぽつと人指し指一本でパソコンに入力していた。(結局できなくて妹に頼んでいたが…)

原稿用紙に万年筆で書く時代の父が、今どき直筆で原稿を受け付けてくれるところなどなくパソコン入力に悪戦苦闘している姿は気の毒でさえあった。

段ボールいっぱいに父の書きかけの手書き原稿が表参道のサロンのクローゼットの中にどっさり入っていた。サロンを引き払う際、亡き父に「ごめんなさい」して赤茶けて変色してしまった原稿用紙を全て捨てた。
書けるものなら私が途中から書いて完成させてあげたかった。山村美沙さんの遺作を西村京太郎さんが完結させたように。が、時代ギャップが大きすぎることと、純文学の父と私の感性とは違いすぎた。

母は「父の小説家の夢」に依存している人だった。「父の小説」が賞をもらい、映画化されるのをひたすら願っていた。しかしその姿は側(はた)から見ていて決して良いものではなかった。 母は自分が「努力」をするのは絶対に嫌。でも父や私が「努力をしない」のは絶対に許せない人だった。

『私頼る人。あなた頑張る人。』

父への応援はひたすら書いているかどうかを見張っているだけ。父が文章が書けなくて何もしないで寝ていると、
「やっちゃん!!ペンを持ってちょうだい!!ペンを持たなければ書けません!!机の前に座ってペンを持ってちょうだい!!」
が口癖だった。

母は完全なる「他力本願」「他人依存」の人。父が亡くなったあと、あまりの「他力本願」の増長に耐えかねて母に私は以下のように言った。
「お母さんは何のために生きているの?
毎日ご飯食べて、息を吸って、寝てるだけじゃないのっ!!なぜ自分は何もしようとしないのよっ!!」
ずっとこらえて黙って飲み込んでいた言葉をとうとうたまりかねて吐いてしまったことがある。当然母は逆上して怒った。
「今なんて言ったっ!!(怒)
ほんなもん、玲子にできるわけないじゃないっ!!」

私は心の中で、
”自分ができないことを人に要求してはダメだよ。”
と。

「人の夢」を応援、サポートするのはいいが、「人の夢」に寄りかかったり、乗っかったりするものではないことを母から学ばせて頂いた。

「子どもの夢」「夫の夢」に乗っかって「自分の生きがい」にしてはならない。

なぜ「子どもの夢」「夫の夢」に寄りかかるのか?

奥底の真相心理は「子どもの夢」「夫の夢」に乗っかった方が、自分が「楽(らく)」だからだ。自分は「努力」しなくていい。

たとえば、息子がJリーガーになることを生きがいにする。娘がバレリーナになることを生きがいにする。しかし実際に努力するのは息子や娘本人たちだ。自分は願うだけ。そんな都合のいい話はない。子どもからすれば、そんな「願い」…重たくて仕方ない。

「健康管理」や「食事管理」「送り迎え」をしてあげているというかもしれないが、それはあくまでも「サポート役」。それを恩に着せて「これだけしてあげてるのだから、私の夢を叶えてもらいたい」は論点からズレている。

「恩を返せ」と思うなら、やらなければいい話だ。「我が子」「夫」には「無償の愛」「見返りのない愛」のはずだ。
「これだけ手伝ってるのだから、愛を返して」は「ただのエゴ」にしかすぎない。夢に向かっている子どもや夫を、自分が助けたくて勝手に助けているだけなのだから。止められても助けたい・応援したいのは自分でしょう?

親は親、夫は夫、妻は妻、子どもは子どもで「自分の夢」に邁進する。
夫婦、親子で「同じ夢」の共有はある。その場合は自分も「努力」が必須は当然。

血が繋がっていようが、
家族であろうが、
人格は別だ。

・・・・・・・

最終選考のリスト:一番下の「佐藤安彦」が亡き父
この時の優勝が「瀬戸内晴美」さん
のちの「瀬戸内寂聴」さんです

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