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重たさ

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なんで生きてるんですか
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#創作大賞2024

鈍感

鈍感

 盆を過ぎ、駅前の夜はじっとりとした熱気の中にあった。拭えぬ湿気の中に漂うたばこの匂いが鼻に当たり、目前を歩く中年の男が手に差した小さな赤い光に視線が当たる。男が歩くたび、腕が振れて赤い点が暗い中で明滅する。僕はシーツやらTシャツやら何やらがぎゅうぎゅうに詰め込まれたIKEAの青いキャリーバッグを手に歩いていた。街灯が道路脇に植った低木の葉々をぼんやり照らし、その景色が歩道を沿っていた。低木の導く

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泳ぐ

泳ぐ

実家では臆面もなく放屁できて、それでひと笑い起こせたり、近所の田んぼの中にある墓石がぽつんと建っている景色とか、その周辺の田んぼに波打つ泥の轍とか、雨風に晒されたせいで褪せた〈川で遊ぶと危ないよ〉の看板とか、七年前から変わらない風情に現在の自分の抱えたしがらみや鬱屈を二重写しにして眺めてみた。その映像は今でも変わらない風景の中に溶け込めず、圧迫するような形のない焦りがちくちくと内臓をつつき回す。

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駄堕

駄堕

 人生は後悔だ。
 気に入りの皿を割ってしまった今朝とか、勉強を放って遊んでいた過去とか、自分可愛さに吐いた嘘とか、故人に言えなかった言葉だとか、好きよ、なんて言い合っても数ヶ月後には倦怠抱えたり、意図せず殺してしまった虫に今更慈悲かけたり、老いれば若いうちにできなかったことを悔い始める。
 くだらないもんだ。
 人間なんてのは薄情なもんで、気紛れに湧き出る利他主義によって他者と関係を繋ぐ生き物の

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生活と平穏

生活と平穏

 同級生が捕まった。画面越し、唐突な再会だった。まっさきに浮き出た感情は懐かしさで、その感情に引かれるように、警察車両に乗せられる彼の茶色くなった頭を見ていた。帰宅途中の女子大生を誘拐したのち殺害したらしい。いまいちぴんとこなかった。彼が? まさか。

 彼は明るくて友達の多い、みんなから好かれてるような子だった。彼とは中学の頃からの同級で、担任とも仲がよく、いつも誰かと笑っていた。彼の高い笑い声

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同居

同居

「ねえ果子。今度駅前にカフェができるらしいんだ。一緒に行こうよ」
「嫌。どこにも行くたくない」
 ソファに沈む彼女の声は薄く、どこか浮ついた調子だった。ソファから垂れた彼女の腕は白く、二の腕から肘先ときて手指に至る線がなめらかだ。その中を静脈の青が枝を分けていて、彼女はもう人間とは別の、透き通った神聖な生き物のようにも見える。
 同居を始めてから彼女は部屋から出なくなった。外に出ようと誘っても、日

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化け物

化け物

 茸沢果子がしんだ。先週に起きた誘拐事件の被害者だった。
 彼女とは長い付き合いだった。物静かで髪の短い、一月の雪みたいに肌の白い子だった。好きなものは花と恐竜と靴で、嫌いなものは血の出る映画とトマト、そんな子だった。僕らは六年もの間付き合っていたけれど、結局は退屈な恋愛の果てに別れたのだ。十月のはじめ、切り出した別れ話に彼女は鼻をすすってうなずくだけで、言い終わりに顔を覗いたら、彼女は顔をそむけ

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