「ねえ、明日香。明日香って焼きそばをおかずにご飯食べられる人?」 「無理。炭水化物に炭水化物っておかしいでしょ」 「じゃあ焼きそばパンは?」 「当たり前に食べられるけど」 女子高生二人が、長い髪を揺らして夕日を背負っている。長い影を前に作りながら、明日香は後ろに手を組んで、千恵は何か考えるように顎に手を当てながら、ゆっくりと歩みゆく。 「どうしたの急に」 「いや、なんとなく」 「ああ、そ」 特に意味のあったわけでもないやり取り。それが二人にとっては日常茶飯事
君は誰? 私はあなただよ。 本当に? 本当だよ。 でも私、君のこと知らないよ。 それは当たり前だよ。だって、私があなたである以前に、あなたは私なの。あなたがあって私が存在するのではなくて、私があってあなたが存在するの。 それならどうして、私が苦しいの? 私が痛いの? 私が辛いの? どうしてって、だからだよ。 だから? そうだよ。だって私があなたを作ったんだから。私が痛くないように、私が苦しくないように、私が辛くないように。 どうしてそんなひどいことするの
昨日、弟が転んで怪我をした。それはそれは大きな声で泣き叫んで、とても痛そうにしていた。 擦りむいた膝小僧には、抉れた皮膚が赤に染まっていた。 七つも離れた私の弟。可哀想なその姿を見て、私は彼の痛みを肩代わりしてあげたいと思った。 だから私は祈ってみた。 「どうか、彼の痛みを私が代わってあげられますように」 瞬間、さっきまで泣いていた弟が突然泣き止んだ。あやす母に弟は「もう大丈夫」と、微笑んだ。 母の方は感情の余りの急ハンドルに困惑した様子だった。 私はというと、
カーテンの隙間から漏れ入る日差しに僕は顔をしかめた。 ベッドの上、とても眩しい。 スマホを見るとアラームの鳴る十分前だった。 僕にとって最悪の目覚めだ。ムカつく。とても気分が害された。 僕は起き上がると、スマホを手に取った。少し重さを感じながら、窓際に佇むカーテンを睨みつけた。 こいつが油断したせいで、日が部屋の中に入ってきたんだ。 奥歯がギリギリと音を立てる。 「パリンッ」と続けて大きな音が部屋に轟いた。 数瞬して誰かが階段を駆け上る足音が次第に大きく近づ
うぐいすは、今日もきれいに鳴く。 波打つ様に滑らかな抑揚で、「ホーホケキョ」と鳴いている。 梅雨も迫りくる六月初旬。 私は湿気でくるまる毛に少し鬱々としながら、蒸し暑い夜を、部屋のベッドで過ごしていた。 カーテンも閉め切って、辺りは黒一色。 エアコンなんてハイテクなものはない。扇風機もまだ出すには早いと押し入れの奥にしまったまま、肌にまとわりつく熱気と汗を、暗闇で感じ取る。 目を瞑っても寝られない。 どうして暗闇の中、うぐいすの声が聞こえてくるのか、私はそれが
私が綴ったこの手紙は、果たしてあなたに届くのでしょうか。 拝啓 けんじくん、今日は私の上ばきをいっしょに探してくれてありがとう。 学校中探しまわってくれて、中庭の池の中まで見てくれて、服とかよごれちゃったよね。お母さんにおこられちゃうよね、ごめんね。 見つかったって言ったけど、本当は見つかってないんだ。けどさ、やっぱりけんじ君にはめいわくかけたくないよ。 いつもたくさん話しかけてくれるけど大じょうぶだよ。 ありがとう。
私を私たらしめるもの。 十年前からずっと探していたそれが、最近ようやく見つかった。 「はじめまして、こんにちは」 「はじめまして」 三十近くになって、親がそろそろ結婚しろとうるさった。まあ、私を心配してのことではあると思ってはいるが、それでも煩わしく感じてしまう。 実家に身をおかせてもらっている以上は、そんな事も言ってられないかと、自分の部屋でベッドに横になりながら、マッチングアプリを開く。 一応登録は以前からしていたのだが、仕事やなんやを言い訳にそこで止まって
嫌いなあいつが死んだ。 昨日のことだった。夜中の一時に友人から電話がかかってきて、そのことを知った。 「大山、今朝病気で亡くなったらしい」 その言葉を聞いた私の心臓は高鳴った。我ながら最低だやめておけと思ったのだが、心拍数は倍くらい速くなって、全身で鼓動を感じた。どれだけ上からその感情を抑えても、体は正直にその体温を上げていた。 「そっか…。教えてくれてありがとう」 私は嬉々たる思いを殺して、静かに言った。 翌朝、目が覚めて、昨晩の着信履歴に友人の名が刻まれてい
固く針のように逆立つ白と黒の毛。水を浴びるかのように砂にまみれて、本来の艷やかさは消えていた。 私の家の庭先に、たまにふらふらと散歩しに来る猫。そいつは来るたびに、自分の綺麗な毛並みなんてどうでもいいように呑気にして、ただ自由に四本の足を滑らかに運んでいた。 しかし、今日はその自由さも美しさもなく、薄汚れて庭先へと現れた。 リビングの窓越しに、私の目にそんな猫が映った。口元寸前でコーヒーの入ったコップが止まる。そして私は、思わず二、三秒固まってその姿をじっと見つめてし
微かに湿ってひんやりとした空気を纏い、私は畳の上に寝そべった。大きく深呼吸をすると、鼻腔に溜まるのは乾いた草の香り。 「ただいま」 実家のお座敷、仏間で私は大の字になって呟いた。小さく囁いたその声だったが、周りの静寂に当てられ、独りの八畳間に響いた。 廊下側、障子は一杯に開け放たれていて、その先大きな窓から差し込む陽光は、フローリングを朱色に染めていた。 ここを去ってから五年。その頃同じ空間で笑っていた祖父母は今、写真越しに私の事をじっと見つめてくる。何も語ってくれ
吐きそうだ。本当に吐きそう。 とにかく気持ち悪い。今ここにいる自分がとても気持ち悪い。 憂鬱な気分でいるはずなのに、どこかそれに興奮していて、誰とも関わりたくないと思っているのに、友人から連絡がくれば心が躍って。 そんな自分のことが、とても大好きな自分が本当に気持ちが悪い。 黒くてドロドロしたものが内から湧き出てきそうだ。絶対に血ではない何か。今日食べた焼きそばでも、さっき吸い込んだ空気でもない。 そんな変なものが胸の中でうごめいて、のたうち回って、口から外に出て
「おはよう」 隣の席の大田はいつも私に挨拶をしてくれる。別に特段仲がいいわけでもないのに、毎朝必ずおはようと言ってくれる。 「おはよ」 それに私はいつもそっけなく返す。 大田の席にはいつも数人が集まって、隣が少し騒がしくなる。私はそれを遠く聞き流して、すぐ横の窓外を眺めている。流れる雲とか、青い空とか。 今日は中庭で揺れる大きな木に目をやった。隣ではいつも通り男女の笑い声がする。 最初の頃は私のこと笑ってるのかと思ってたけど、多分そんなことはない。だって私は誰か
満天の星。 ビーズを床いっぱいに撒き散らしたように、星々は空を埋め尽くす。そんな夜空を眺める少女は、両手を絡めるようにその控えめな胸の前で合わせていた。 彼女の着る白のワンピースが夜風に揺られ、彼女の長く細やかな毛先から甘い香りが漂う。庭先、生え揃った緑の芝生の上、リビングの大窓から漏れる明かりが裸足で降り立つ少女の影を作る。 「いつまでそうしてるの。風引くわよー。早く家の中入りなさい」 「今日は流れ星が見える日なの。流れ星は、願い事を叶えてくれるのよ」 母の言葉
私はこんなことをするために生まれてきたんじゃない。 私は、誰かをひもじくさせるために生まれてきたんじゃない。誰かに美味しいものを届けるために生まれてきたの。 私は誰かを囚えるために生まれてきたんじゃない。誰かを自由に羽ばたかせるために生まれてきたの。 私は誰かを泣かせるために生まれてきたんじゃない。誰かを笑わせるために生まれてきたの。 私は誰かを殺すためじゃない。誰かを救うために生まれてきたの。 それでも今日もどこかで私によって誰かが苦しむ。私によって誰かが悲しむ
今朝はとても目覚めが良かった。日曜、休日の私。壁にかかった時計に目をやると針は八時を示していた。 私は伸びをしてから、カーテンから漏れ入る薄い色をした朝日に誘われてベランダに出た。少しの眩しさに軽く目を細める。当たる日差しに温もりを感じながらも、吐く息の白さに、もうすぐそこまで来たの冬の訪れを予感した。 「おはよう」 道端をヒョコヒョコ歩く鳥に笑いかけてから、私はリビングへと向かった。 こんなに気持ちの良い朝に、最も合うものはこれしかないだろうと、私はキッチンで淹れ
私は昨日、敵を撃った。 血飛沫がとても綺麗で胸躍った。 反面、彼の服を漁ったとき、胸ポケットにあった写真はひどく私の胸を締め付けた。 どうすればよかったのだろうか。 彼だけに向けたはずの銃口は、彼の後ろ側にいる人間にも向けられていた。一人の向こう、何人もの人間、さらにその向こうの何人もの人間。 連なって繋がって、そこで私は改めて気付いた。 鉛の使い道はこれではないと。