【短編】隣の席
「おはよう」
隣の席の大田はいつも私に挨拶をしてくれる。別に特段仲がいいわけでもないのに、毎朝必ずおはようと言ってくれる。
「おはよ」
それに私はいつもそっけなく返す。
その後二人共会話なんてしない。
大田の席にはいつも数人が集まって、隣が少し騒がしくなる。私はそれを遠く聞き流して、すぐ横の窓外を眺めている。流れる雲とか、青い空とか。
今日は中庭で揺れる大きな木に目をやった。隣ではいつも通り男女の笑い声がする。
最初の頃は私のこと笑ってるのかと思ってたけど、多分そんなことはない。だって私は誰かに笑われるほど目立っていないし、関与もしていないから。
私が欠伸を噛みしめると、教室のドアがガラガラと音を立てた。と同時に担任が教壇の上へと登る。
「はい、じゃあ朝の連絡します。えーと―」
どうせそんなに重要な連絡事項はないから、私はそれを流し聞く。まだ今日が始まったばかりだけれど、帰ってからのことを考える。
今日は、あの本読んで、それからゲームも進めなきゃ。
昨晩も最近買ったRPGを深夜までやり込んだせいで、とても眠い。まあ、どこかの授業中に寝てしまえば問題ない。
私はまた、欠伸を噛み締めた。
「はい、以上です。じゃあ今日も頑張ってください」
丁度先生の話も終わった。
「あ、ごめんそうだ。そろそろ席替えするから、覚えといて。大体来週ぐらいにする」
あー、席替えか。この席結構良かったんだけどな。窓際の後ろから二番目の席。
私は軽くため息をついた。
そして、いつも通り寝られる授業はどんどん寝て、家に帰ってゲームをして私は眠りについた。
「おはよう」
「おはよー」
今日もまた、大田は私に挨拶してきた。
そういえば私、大田のことちゃんと知らないんだよな。野球部に入ってるくらいで、他のこと何にも知らない。まあ、興味もないけど。
私はぐでっと机の上に体を乗せた。昨晩倒したスライムのように力を抜いて、私は大きく欠伸をする。
ぐっとひと伸びしてから、私は時計に目をやった。長針がピッタリ10を指す。
「はい、朝の―」
今日もまた、変わらない一日を過ごした。
「おはよう」
「おはよ」
大田は今日も私に挨拶をする。
暫くして隣がざわつき始める。
私は今日は机に伏した。ずっと遠くで流れる言葉たち。でもそれは私の頭の中でただの音として処理されて、意味のあるものではなかった。
少ししたら、急にガチャガチャと椅子の動く音がした。
「はい、朝の―」
ああ、先生が来たのか。
私はぱっと顔を上げる。
「今日でこの席、終わりだから。なんかまあ、隣の人とかとテキトーに話しとけ」
隣の席の人か。私は横に目を向けた。が、大田の姿はなかった。
あれ、さっきいたよな。保健室にでも行ったか。そういえば私、大田の顔ちゃんと覚えてないんだよな。
私は窓外に目を向けた。雲一つない青空がいっぱいに広がっていた。
「はい、じゃあ今日も一日頑張って」
今日も私は、変わらない一日を過ごしてベッドに入った。
「おはよう」
「おはよ」
今日も大田は私に挨拶をしてくれた。
そういえば、今日で大田隣の席じゃなくなるんだ。せめて顔くらい覚えておこう。
私は大田の方を向いた。そこに、大田はいなかった。
私は首を傾げる。たしかに今そこに居たはずの大田は、今どこかへ消えてしまったのだ。
どこへ行ったのかと視線を動かそうとした時、大田の席に花瓶が置かれていることに気がついた。そこにはきれいな花が一輪挿されていて、窓からの風に誘われゆったりと揺れていた。
またいつもの如く、談笑が聞こえたかと思えば、それは大田の席の一つ向こうで行われていた。
私はどういうことかわからなくて、暫くの間時計の針の動きを追った。カチカチと長針が一分毎に動いては止まる。
大田の席に花瓶。大田がいない。それでも毎朝、大田に私は挨拶されていたはず…。
「そう言えば昨日さ―」
また大田の声が耳に入った。
私はすぐにそちらを向いた。そこで口が動いている人をようやく見つけた。
「大田」
私が二つ隣の席で話している奴に声をかけた。そいつは不思議そうな、それでも少し怒りと困惑とが混じった表情でこちらを見てきた。他に一緒に話していた奴らも、黙りとして、こちらに刺すような視線を送りつけてきた。
私はなぜそんな風なのかわからず、首を大きく傾げた。
「中村さ、それ冗談で言ってる?」
鋭い視線を向けてきた一人が、冷たく低い声で私に言ってきた。
私はそれに対して首を横に振った。
「そうか、なら教えてやるよ。大田、もう一ヶ月も前に死んでるぜ」
そいつは吐き捨てるように私にそう言った。
私は思った、もう少し他人に興味を持ったほうがいいと。
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