【短編】あなたと私は同じ人
私を私たらしめるもの。
十年前からずっと探していたそれが、最近ようやく見つかった。
「はじめまして、こんにちは」
「はじめまして」
三十近くになって、親がそろそろ結婚しろとうるさった。まあ、私を心配してのことではあると思ってはいるが、それでも煩わしく感じてしまう。
実家に身をおかせてもらっている以上は、そんな事も言ってられないかと、自分の部屋でベッドに横になりながら、マッチングアプリを開く。
一応登録は以前からしていたのだが、仕事やなんやを言い訳にそこで止まっていた。
初めてすぐ、運命的出会いをした。
その人が今、眼の前にいる。
「とりあえず、行きますか」
「はい」
たどたどしくも、彼は私をエスコートしてくれた。
私はそれについていく。
私より少し背が高くて、私より声が低くて、私より髪が短くて、見た目は何もかも私と違う。
それでも私は、彼と出会って、私が私であるとようやく認識することができた。
二人で洋服屋を軽く回った。
「沙織さん、この服好きそうだね」
「そうかな?」
「うん」
「じゃあちょっと着てみようかな」
試着室の中で、試着をして鏡に映る自分を見つめる。
口角が上がっている。
本当に私好みの服だ。
カーテンをザッと開けて彼に見せる。
「うん、似合ってる」
「ほんと? 私これ買おっかな」
「そしたら、僕も欲しいのあったし、会計一緒にするね」
「ありがと」
その後ちょっと近くの公園を散歩した。
せせらぐ小川の横を通って、まだ肌寒く感じるが、所々にある梅の花には蕾がついて、もうすぐ冬が終わろうとするのを告げていた。
その風景を眺めながら、私はずっと退屈でいた。服屋にしろ、公園にしろ、私はちっとも楽しくなかった。
「ねぇ、沙織さん。今楽しくないでしょ」
二人で公園から、喫茶店へ向かっている最中、彼が私にそう言い放った。
その時、私はゾクゾクした。
「ううん、楽しいよ」
「そう」
ああ、私の作り笑いも全て見透かされている。
「…ねえ、なんで今日僕とデートしてくれたの?」
わかっているくせに。
「趣味とか合う人だったし、チャットでも雰囲気良かったから」
「そっか」
「うん」
カランカランという鈴の音と共に、戸を開くとコーヒーの香ばしい匂いがふわっと私の鼻腔をくすぐった。
店内はそれなりに広く、4人以上が座れるようなソファの席が十席はあるように見え、私達以外にも数組の客がそこに座っていた。
「いらっしゃいませ」
少し若めの店員さんが、道路に面した窓際の席へ案内してくれた。
「ご注文は」
「モカのホットを二つ。あとショートケーキを一つ」
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
やっぱり、彼は私が頼むものを知っている。
なんなら、今日二人でいった場所全て私がいつも立ち寄っている場所だ。
「いやあ、少し疲れたね」
出されたお冷を口にしながら、彼がつぶやいた。
「そうだね」
「そういえば沙織さんてここらへん出身だっけ?」
「うん。実家この辺。明夫さんは?」
「僕は東北の方から上京して来たんだ」
「へぇー。どのくらいこっちにいるの?」
「そうだな、大学のときからだから、もう十年近いかな」
「そうなんだ」
「うん」
二人してお冷を飲む。
周囲の軽いざわつきが、店内に流れる柔らかなBGMと混ざって一つの音楽を作り上げていた。
「明夫さんて、今年で三十一だっけ?」
「うん、そうだよ」
「大学どこだったか聞いてもい?」
「ああ、S大だよ」
「やっぱり。私もなんだよね」
「えっ、ホントに? 学部は?」
「私は経済学部」
「あー、僕法学部だったんだよね」
「そっかー。でも2つ違いだから、大学のどっかですれ違ってたかもね」
「う、うん。そうかもね」
彼はまた、お冷を一口飲んだ。
「そういうところも運命的だよね、私達」
「そうだね」
面と向かって話しているが、一度として彼と目が合わない。
「お待たせしました。こちらモカのホットと、ショートケーキになります」
「あっ、ショートケーキは彼女の方で」
「かしこまりました」
ゆったりと置かれたショートケーキ。
私の好きな食べ物。
「ごゆっくりどうぞ」
目の前に置かれたコーヒーを手に取る。
そこから白く湯気が立ち上り、私のふーっと吐いた息にそれが乱される。
一口飲むと、じわじわと苦みと温かさが口から、食堂から体中ヘと沁みわたっていく。
彼は猫舌なのか、五、六回冷ますように息を吹きかけてから、一口飲んだ。
まだ熱かったのか、彼は軽く顔をしかめた。
私はそれをどうでもいいように、頬杖をついて見ていた。
「ねえ、どうして私がショートケーキ食べるってわかったの? 自己紹介の欄にも別に好きな食べ物書いてなかったけど」
「あ、あの、えっと、なんとなく、だよ」
「そう」
なんとはない私の質問に、何故かあたふたする彼を見て少し面白可笑しく感じた。
「いただきます」
私は、ケーキを一口食べた。
うん、やっぱりここのは格段に口に合う。
「ねえ、明夫さんてこれまでどれくらいの方とお付き合いしてきたの?」
「えっ? どうしたの急に」
「いやー、なんかそれなりに慣れてるような気がしたから。私こういうの初めてだけど、ちゃんとデートっぽくなったの明夫さんのおかげだし」
「あ、へぇー初めてなんだ。僕も初めてだったよこういうの」
あー、わざとらし。
「じゃあ、恋人いたことないの?」
「うん、ないかな」
もう一口ケーキを食べる。
「あのっ、沙織さん」
彼が少し改まるように背筋を伸ばした。
「うん?」
「そのっ、僕、あなたに伝えたいことがあって」
「なに?」
「えっと、その」
彼の目がそこら中を泳いでいる。
肩どころか全身に力が入って、暖房もそこまで強くないというのに、少し汗ばんで見える。
「一回水飲んで落ち着いたら?」
「え、あ、は、はい」
彼は手を震わせながら一口水を飲むと、深く息をすった。
そして、決心したように真っ直ぐこちらを見つめた。
私は彼がこれから何を言うのかがなんとなくわかってウズウズした。
「僕、実はあなたのことずっとストーキングしてました」
「うん、知ってる」
彼は即答した私に、驚きを隠せなかったのか、目をカッ開いたままただ硬直していた。
「わからないとでも思った? 何なら大学のときからでしょ。あ、安心して警察には何も言わないから」
彼は依然固まったまま、困惑した目で私を見ている。
「最初は誰かにつけられてんなーって、ちょっと怖かったけど、何も危害加えて来ないからいいやって思って放っておいたんだよね」
私の口角が段々と上がっていく。
「それでさ、マッチングアプリ始めて、明夫さんとチャットで話してみてさ、ちょっとおかしいなって思ったんだよ。この人明らかに私のこと知ってるなーって。それでもしかしたらって、思ったんだよね」
ああ、やばい、声出して笑ってしまいそう。
「それで今日会ってみて、やっぱりそうだってなったんだよ」
うふっと、漏れそうになった笑いを咳払いでごまかした。
「あ、あの本当に、すみませんでした―」
「謝らなくていいよ。私むしろ感謝してるから。」
下げられた頭を、首はそのまま、顔だけ上げて彼は傾げた。
「かん、しゃ?」
「うん。私、明夫さんのお陰で私が私であるということの理由が分かったの。明夫さん―」
興奮が止まらない。
「あのね、あなたももうすでに私なの。だってあなた、私がいつどこで何を考えて、どう感じるかわかるでしょう。今日だって私の好きな服だったり、私がつまんないことだったり、ショートケーキ食べたいって思ってたりを全部当ててくれたじゃない?」
私は自分の語気を自分で操れなくなっていた。
「私わかったの。自分が自分であるという認識は、そういった自分の感情やすることしたいこと、欲しいものとか、全部がわかっているということなんだって。何をして楽しいとか、何をするのが嫌とか、そういうの全部ね。どうすれば自分が自分であると証明できるのか、ずっと私はこれを探していたの。そしてそれをあなたのお陰で見つけることができたの」
本当にまずい、さっき抑えれたのに、もう無理。
「アハハッ。だからね、明夫さん、私と付き合って。何なら結婚して。あなた、ずっと私のそばで私でいて。私と一緒に私でいて。私と一緒に私を知っていきましょう」
己を知ることが、こんなにも嬉しいことだなんて、私は全く知らなかった。
「ねえ、明夫さん。できるでしょう? あなたと私は同じ人なのだから」
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