大して深くもないポケットに、僕は青春を押し込んだ

 3月は卒業シーズンですね。

 卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
 これから書くのは数十年前にあった、私の卒業式のエピソードです。

 小学校の卒業式は今でも記憶に残っていますが、悲しみや寂しさはありませんでした。
 理由は中学校に上がっても学区が多少広くなるだけで、同級生のほとんど全員が同じ中学校での学生生活を送るからです。
 ところが中学校の卒業は、随分と意味が異なります。進路先が同じ都道府県内でも、同じ高校に進学する人数は、かなり限られてしまいます。

 中学生だった私には好きな同級生がいました。彼女とは幼馴染みのクラスメイトでした(「彼女」と書いていますが、交際相手を指す「ガールフレンド」ではありません。便宜上、そう書いているだけです)。
 進路先は私が電車通学、彼女は自転車通学の高校でした。中学を卒業したら会う可能性は限りなくゼロに近いと、すぐに分かりました。

 中学の卒業式であれば、親が来て校門の前辺りで写真を撮る方も多いと思います。しかし私の両親は小さな商店を営んでおり、週末も営業していましたので、卒業式には来られない事がほぼ確定的でした。
 親のカメラに期待出来なかったので、私は「使い捨てカメラ」を買いました。卒業式が終わった後に、彼女と一緒に写真を撮ろうと思ったからです。
(当時はスマホは勿論、ガラケーもありません。「チェキ」のようなインスタントカメラも、デジカメもありません。そんな時代でした)

 卒業式が終わり、担任や教室にも別れを告げた後、多くの同級生が校庭に集まっていました。誰もが中学生活最期の時間を、ギリギリまで引き延ばしたかったのだと思います。

 私は「使い捨てカメラ」を学生服のポケットから取り出す前に、彼女を探しました(ご存知の方も多いと思いますが、このタイプのカメラは撮影枚数に限りがあり、先に友人達と撮り始めると、途端にフィルムが終わってしまいます)。

 彼女の姿は、大勢の女の子の中にありました。目は涙で潤んでいる様でしたが、笑顔が絶えない、いつもの彼女でした。

 彼女を見つけたその瞬間、私は急に怖気づいてしまいました。

 先程書いた通り、彼女とは幼馴染みのクラスメイトですが、交際相手ではありません。デートはおろか、二人だけでどこかに遊びに行った事もありません。
 冷静になって考えてみると、彼女から見れば私は多くの同級生の内の一人です。
 だとすれば、彼女と一緒に写真を撮ろうとする私は、周りにいた女の子たちや彼女からは、とても気味悪く(あるいは奇異に)見えるのではないか。

 私の右手はずっとポケットの中のカメラを掴んでいましたが、取り出す事が出来ませんでした。
 むしろ反対に、大して深くもないポケットの、奥へ奥へと押し込めていました。

 小説や映画、アニメなどでは、中学生の日常は甘酸っぱい青春として描かれる事が多いと思います。私自身も3年間の中学生活は楽しい日々で一杯でした。

 しかし最後の一日だけは、少し違っていました。

 4月に入り、次第に春は本番を迎え、高校生活も始まるというのに、私には「喉の奥に刺さった魚の骨」の様な感覚だけが、ずっと残っていました。


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