#192【日記】父親をあきらめた木曜日のこと
今日もお読みくださってありがとうございます!
上記記事を書いたときの父との腹立たしい会話を再現します。
嫌なことは些細を忘れるのが早いので後々使えるよう記録しておきます。
証拠保全。そして自分の整理のために。
木曜に起こった父との会話
仔細も含めたために長文で時系列かつです・ます省略です。
読みにくくてすみません!
6月(母の投薬治療が始まったころ)
母が薬の説明書(副作用が強いので冊子の説明書が3冊もある)を父に読んでおいてねと渡したが「うんわかった」と殊勝なフリのツラをしただけで読まず。(今も読んでいない)
月曜
朝、父が夜中に自室で飲んだ飲みかけのスポーツドリンクのペットボトルをリビングに放置 → くらたが捨てた。
火曜朝
玄関から集積所までの形式的ゴミ捨ては父の役割(家事における父の役割はこれと、父が義理のある安くもない薬屋に飲料水を頼むだけ)。
火曜は収集が早く8:00に出しに行かないといけないのだが父は全く動かず、母が捨ててきたとのこと。なお母は、脱毛で帽子を被らなければ外に出られないうえ、悪心と下痢と発熱でご飯を食べられていない。
くらたがそこにいない間にそれが起こった。
くらたは父の役割については絶対に手出ししない。
もし父のせいで収集に間に合わなければたとえ臭い生ごみであっても父の職場に置かせる。
それがわかっているから、揉め事が嫌いな母はくらたに言わず自分で出しに行ってしまう。
いいじゃんよ、対立してバチバチするのは父と私なんだから母が負うことはないんだよ。
水曜夜
夜、父が持ち込んだ麦茶の飲みかけのペットボトル2本を、リビングのソファの下とシンクの上に放置 → 翌朝気づいたくらたが捨てた(せめてシンクのはそこにゴミ箱があるんだから捨てろ)
木曜 昼 差し入れ事案
母の体調はどんどん悪くなる。
一方この日の午後、父の部屋の雨漏りの修繕下見のために大工さんが家に入った。
この日程も母と私に何も相談せずに父だけで決めてしまった。
しかも決めた後父は日程を控えていなかったので忘れてしまっていた(認知症疑いもある)。
母もくらたもいるからいつでもいいとタカを括っているのだ。
立ち合いなんていう雑用は自分がやるには及ばない。母とくらたにどれだけ用事があろうと、自分の仕事よりは重要度が低いんだから、と。
数日前、母が父に再三言って、大工さんに再度問い合わせさせた。
(こういう、一般社会では当然上司から怒られるようなミスも『忙しいから仕方ない』とか言い訳・逆ギレしてくるからもう母もわたしも怒らない)
大工さんが来る日がわかってみると、もとから母の通院の予定の日だった。
ほら見ろバッティングした。自業自得なので作業立ち合いは父に頼んだが父は不満そうだった。
当日、大工さんを屋根に上げるまでは父が案内していた。
しかし大工さんが屋根に上がったあと父は勝手に階下の仕事部屋に戻ってしまった。しかも下見のはずが、「応急処置」と称して雨漏りの原因と思しき個所を防水パテで塗る作業を今日やると言っているにもかかわらずだ。
はて。
「立ち合い」とは?
父の世界の「立ち合い」の語義は一般社会とは乖離しているようだ。
大工さんが一時間以上作業している間、母は嘔吐と下痢でトイレ入出を繰り返していた。
くらたは母の看護をしたり、母の名誉のためにへろへろの母と大工さんの動線がバッティングしないように見張ったりしていた。
そこへ仕事部屋から上がってきた父が、
「くらちゃあん(父は頼み事をするときに猫なで声でこう呼ぶ)、大工さんに冷やした麦茶持ってきたから持っていってあげてくれないかなあ(頼み事をするときにこういう言葉遣いをする)」
とわたしに命じてきた(これは依頼でなく事実上命令)。
わたしはこれを「わたしを便利に使おうとしている」と感じた。
大した手間ではない。だけどすごく嫌だった。
返事をしないでいたら父が「ねえ持っていってよ」と重ねた。
ここで母が吐いているから手が離せないと父に言えば、トイレにいる母にも聞こえ気を使わせてしまう。
でも、母に関係なくわたしはその雑用を引き受けたくなかった。
それがなぜかはこの時点では言語化できなかった。
父は玄関で靴も脱がないまま、何度かわたしに向かって「ねえ」「ねえ」と猫なで声で言っていたが、しばらく黙っていたら父は一転、憤慨した様子を露にして「面倒くさいか!」と捨て台詞を残して自分で階段を上がって行った。被害者ヅラしてねえで最初からそうしろクソが〇ねと思った。
勝手な思いつきで頼み事をした分際で、断ったらまるでわたしが悪いかのような捨て台詞を吐く。
お前の思いつきはお前の責任で最初から最後までお前がやれ。
面倒くさがるほどの手間でもないものを敢えて断る不要な葛藤をさせられ、捨て台詞まで吐かれたわたしがそこに残る。
トイレで母が吐く声が聞こえる。
木曜夕方 母 入院
大工さんの作業が終わり母の病院へ。
普段なら1時間程度で終わるが、嘔吐と下痢と発熱ということでコロナ検査と血液検査をした。
コロナは陰性だったが血液検査の結果が悪い。白血球が前回の検査の7分の1しかない。好中球の割合も標準の4分の1程度。白血球自体が7分の1に減っているうえに好中球の割合も下がっているので好中球の絶対数はとんでもなく足りない。
白血球を増やす注射を打ち、水分のみの点滴がゆっくりぽたぽた落ちる母の枕元で院長先生(主治医)が最初に「コロナでもない、食中毒でもない。これは確実に薬のせい。くらたさんのせいということはまったくないよ」とゆっくり念を押すように言ってくれた。
これは前回の投薬の際も言われた。
この言葉のありがたさを、あとで一人になったときに改めて実感することになる(後述)。
そして、入院が何より嫌いな母のことをよく知る先生はさらに、
「病院から提案できる方法が2つ。このまま元気になるまで入院する。もうひとつは今日は家に帰って様子をみる」
と言ってくださった。
母に「どうする?入院は嫌だよね」と聞いたら「入院は嫌だけどあなたが決めていい」と言ってくれた。
多忙な院長をあまり拘束するわけにもいかないので逡巡すること1~2分。
わたしは人並みの衛生観念を持っているけれど、白血球が常人の7分の1しかない状態の人のためのご飯の衛生を保つ自信はない。
週末に何かあっても病院は閉まっている。何かあれば救急で来てよいと言われたものの、暑い中具合の悪い母を移動させるのは母にとってもわたしにとっても大変。
まだ木曜だから、今晩入院して良くなれば明日退院できる可能性もある。
母の意思を尊重する方針に変わりはないけれど、ここで母に決めさせて良い結果にならなかったら、母は自分を責めてしまうだろう。ただでさえ具合が悪いのに、自分の決定の責任まで負わせるのは酷だ。
わたしは「入院でお願いします」と院長先生にお願いした。
点滴で水分補給され少しだけ元気になった母は、ストレッチャーも車椅子も断って点滴棒をコロコロ押しながら歩いて病室へ移動した。
母を見送ったわたしは入院手続きや院内着の契約などを行った。
担当の看護師さんから、普段飲んでいる薬、着替えなど必要なもののリストをもらい家に帰った。
木曜夜 対決1 屋根修繕の費用の話
帰り道の間に考えたこと。
こうして突発の入院も発生するとなると思っていたよりもお金がかかりそうだ。
あれ、そういえば今日の屋根修繕の見積もりを見てないなぁ。いくらかかるのかな。
(以前にも少し書きましたが、くらたは5人の係員が数億円予算の事業を行う係の係長をしています。
建物修繕はくらたの係の仕事ではないが、雨漏りだろうがエアコンやトイレの故障だろうが、原則は複数業者から合見積もりを取ってから、応急処置であっても契約後にするのが弊社の決まりです。スピード感はないがそれくらい厳格に支出を精査する文化があります)
さて、帰宅して父に今日の屋根の処置の金額を聞いたところ、
父
今日は下見のついでに必要な応急処置をしただけだから。これで様子を見てと言われた。最終的には屋根全体を塗りなおす必要があると言われたから、今後出る見積もりに今日の分も含まれるから、大丈夫だから。
(みなさんおわかりですか、くらたが聞いたことの回答になっていないことを。くらたは「今日いくらかかったのか」という質問をしたのです。
くらただって人並みにしか稼いでいないが、それよりも稼ぎがないくせにいくらかかるか確認もしないで(+立ち合いもしないで)、こいつのザルな感覚はなんなんだ)
何回聞いても壊れたテープレコーダーみたいに上記を繰り返し言ってくるから噛み合わないし埒が明かない。
ふんぬーーー!!
このクソ馬鹿老害が!
金額を聞いてるんだ金額を言え!
その金額が大丈夫かどうかはわたしが判断する!!!
ヒラのころこういう上司いたなー。
居眠りかキレるかしかしてなかったから「テポドン(眠れる核弾頭)」と影で呼ばれていたバカな係長。くらたは転職したての20代だったからセクハラもひどかった。
「わたしに必要な情報かどうかはわたしが判断するんで係長のところに来た情報は何にも考えずすべてわたしに流してください」と言いました。
閑話休題。
仕方がないので屋根全体の塗りなおしをする費用はざっくりでもいいから確認しているか問うたら、
「聞いてないけど100万円はかからないんじゃないの」
とのこと。
おい。
母が、自分の退職金の残りと父の少ない稼ぎの中から貯めた微々たる老後資金の金額を、父は知っています。
その一人頭の金額は私の年収にも及びません。
その微々たる資金に対する100万円という金額の比率を、どんだけ低く見積もってんだこいつは。
どうしてお前ひとりの判断で、母のものでもある老後資金の使い道を決められると思ってんだこいつは。
こんな奴は一刻も早く○んだ方が世のためだ(『坊ちゃん』夏目漱石)。
このお金は母が貯めたんだ。
母の退職金をもとに母が貯めたんだ。
くらたの感情的にはお前なんかにビタ一文やりたくない。
怒りを抑えながら、母の貯めた老後資金に対する100万円という金額の比率の大きさを改めて伝えました。
現実的な金銭感覚ではこの比率は大きいと判断するのだよ、と。
そして、屋根全体の塗り直しは金額いかんで検討したいから見積もりが出たらわたしにも見せてくれるように頼みました。
父は渋々了承しましたが、また「今後の見積もりに今日の分も出るから大丈夫だから」を繰り返そうとしたので、時間の無駄だなと思って「うん、そのことはもう言わなくていいよわかったから。わたしはバカじゃないからね」と遮りました。
(なお父はわたしのIQのことは知りません。知った後のフリクションのほうがデメリットが大きいと予測されるから言ってない)
木曜夜 対決2 母の病気保険の話
くらた
(怒りを抑えつつ)これから今回の入院のようなことがあると、母の治療にいつまでどれくらいお金がかかるかわからない。母の病気保険のお金だって診断時一度しか出ない。再発してももう出ない。でも母の療養のためにはできるかぎりのことをしたい。だからお金を大事に使いたい。
父
(もっともらしい顔で「それはそうだね」と言った後すぐに)
で、いくら下りたの??200~300万円くらい?
母の病気にも治療にも病気治療費にも興味を持たないくせに入った金の話は飛びついて来やがる。
(そんなつもりはないと本人は憤慨するだろうけど長年のふるまいでそういうふうに思わせてしまう父の低さよ……)
診断一時金200~300万円出る保険を配偶者にかけてやれるほど稼いでると思ってんのかてめえは!(怒)(怒)(怒)
父には伝えていないが(聞く耳持たねえから話す気も失せた)、母はとぼしい資金の中から父の病気保険にはそれなりの金額を、わたしにまで少額の保険を、残りで自分の保険をかけていました。
しかしそれを今言ったところでこいつは配偶者の献身に心打たれるどころか「そんなの聞いてないから仕方ないだろ!ぼくちん悪くない」と言うのだろう。
正しい金額を伝える気にもならずその半分も出ないことだけ伝えました。
今流行のギバーとテイカーの話はよう知らんがこういう人間をテイカーというのだろう。あいにくわたしはこんな奴に一銭だってgiveする気はない。
もう腹が立って腹が立って、わたしの稼ぎは絶対にお前のためには使わないということをもう少し柔らかい表現で伝えました。
案の定「そんなつもりはない」と烈火のごとく怒っていました。
奴はいっぱしの人間のつもりでいますからね、現時点でそのつもりはないでしょうよ、そんなことはわたしもわかっている。バカじゃないんで。
でも父の金銭感覚では遠からず老後の資金を使い果たす蓋然性が高いと、わたしの脳みそは予測している。
そのとき、どうするの?
「くらちゃあん(猫なで声)、どうにか頼めないかな」
「家族なんだから助けてくれたっていいだろう」
って言ってくるのが目に浮かぶようである。
そしてその時もきっとくらたは葛藤する。地獄のような未来。
父
お金のことはぼくも働ける限りは働くから大丈夫。
出たよ「ぼくちんの一生懸命」!
母だってこれまでずっと元気だった。
その母が病気になってこうなったんだ。
その「働ける限り」がいつ突然終わるかわからないことを、母の病気から今さんざん見せつけられているんだということが分かっていないからこういうこと言うんでしょうね。
バカすぎる。
木曜夜 対決3 「もういいよ!俺は店に住む!!」
ここまで来たら言いたいことはすべて言ってしまおうと思い、まずはその日の大工さんについて
くらた
立ち合いは全部完璧に自分でして欲しかった。職場にこもらないでその場にいてほしかったし、麦茶の差し入れは最初から自分でして欲しかった。
すると案の定、
父
(情感タップリ(←皮肉)に)
あれは、暑い暑い炎天下の中、汗をかきながら一生懸命やってくれる大工さんのために、せめて冷たい麦茶を差し入れてあげたいという心からじゃないか!
くらた
善意だなんてわかってる。わたしがしているのはそんな話じゃない。
確かにわたしは今休職中で稼いでもいないし家にいる。
だけどわたしを便利に使わないでほしいの。
父
(ヒステリックに怒鳴る)
便利に使うだと?!そんな言い方はないじゃないか!
(情感タップリに)
あれは、暑い暑い炎天下の中、汗をかきながら一生懸命やってくれる大工さんのために、せめて冷たい麦茶を差し入れてあげたいという心で……
(悲壮感タップリに)
便利に使うなんて……そんな言い方はないじゃないかよー……
あとから「そんなつもりはない。そんな受け取り方はあんまりだという言い草はハラスメントの典型だよ」とあーちゃんに言われました。
でもこれあいつマジで言ってんすよ。
父は父で、本っ気で、大真面目に悲しんでるんです。
「ボクチンのこの善き心をそんな受け取り方するなんてヒドイ!」って。
父はパワハラ問題への理解関心が薄いです。
元明石市長の泉氏が大好きで、彼がパワハラで辞職したのがあれだけ話題になったのに父は「パワハラ辞職じゃないヨ、次のステップにゆくためなんだ☆」と言っていました。
なにそれどういう脳みそしてたらそうなるの怖い。
閑話休題。
ここでもやはり埒が明かないので、くらたは父を黙らせる論法に出ました。
怒鳴られることへの恐怖を骨の髄まで刷り込まれていても怯まず済めたのは、知能検査で自分の知性への信頼を得られたことや、ここで半年にわたりさまざまな葛藤を言語化できたことが大きいと思います。
読んでくださる皆さまのおかげです。ありがとうございます!
瞬間的に父を黙らせる論法を選択できたことには我ながら成長を感じました。
くらた
そんなつもりがないのもわかってるよ。
でもあのとき母はトイレで吐いてたの。
だからわたしはあそこを離れたくなかったの。
父
そんなこと知らないじゃないか!
言ってくれなきゃわからないじゃないか!
くらた
そうだよね、それはわかるよ。
でもあそこで話したらお母さんにも聞こえる。お母さんに気を遣わせたくなくて言いたくなかったの。
(本当はそれを理由にしたくなかったけど、このときは本当の理由を言語化できなかったし、言語化できたところで父には理解できないので、父を黙らせるためにこれを理由に選択した)
それを「面倒くさいか」なんて捨て台詞はひどいよね。
父
だってそれは知らなかったから!
わかるわけないだろう!
くらた
そうだよね、それはわかるよ。(リフレイン)
お母さんいなくなってお父さん仕事一人で大変だと思うし、思っていても言わないで我慢してくれていることもあると思う。
だけど当然わたしやお母さんにも、お父さんに言いたいけど言わないで我慢していることがたくさんあることを、頭の中に置いておいてほしいし、そういう可能性があるかもなって思ってほしい。
父
……。
くらた
(本当に言いたいことは言わずに父が理解できるパッケージに整えてやっているのに父がなお理解しないことに腹が立ってきて)
この際だから言うけど、仕事大変だろうと思うけど仕事のことは自分でしてほしい。
ゴミ出しはお父さんの分担なんだからやってほしいし、自分が飲んだペットボトルは自分で片付けてほしい。
父
ペットボトル?(全く心当たりがない風)
くらた
(リビングに放置してあるペットボトルを母やくらたが片付けていることを話す)
父
(聞いているうちに心底嫌そうな醜悪な表情になって怒鳴る)
じゃあもういいよ!
そんなに細かい文句を言うなら俺は店(職場のこと)で寝るよ!
上(自宅部分)には上がらない!!!
出たーーー!!!
出ました「もういいよ」!
ポンコツぽんちゃん係長にも言われたわ「もういいよくらたさんなんて知らない!」って。どうして足りないおじさんはこれ言うのかな。
上司がバカでも困るけど、父親がバカって……
情けなくてやるせなくてメンタルに来ます。
大体、自分が飲んだペットボトルを捨てないのは100:0で自分が悪いのに逆ギレしてこの言い草はなんなんでしょうね。
家には置いてやるし朝食と洗濯もしてやるから、てめえが飲んだペットボトルはてめえが捨てろっつってるだけなんですが、なんで逆ギレされなきゃならないんでしょうか。
30年前に父が自費出版で出した祖母の半生記で、祖母が父のことを「よく家出する子どもだった」と言っていましたが、後期高齢者になっても「よく家出する子ども」のままなんでしょうか。
何の学びも成長もない無駄な人生でしたね、ご愁傷さまでした。
くらた
そうじゃないじゃん、二言目には店で寝る・店で寝るっていつも言うけどそれは違うじゃん(今日なんか自分の飲んだゴミ捨てろって言ってるだけだし)。
お父さん、以前に自費出版で出した本で書いてたよね?
「家族は相談しあったほうがよりよい結論にたどりつく」って。
だからわたしはこうして話しているんだよ?
大体店で寝るってこんなベッドも布団もないところで寝て健康を守れる歳じゃないじゃん。
母の看病はわたしがする。嘔吐下痢の面倒もぜんぶわたしが見るでいい。
お父さんにしてほしいのは、仕事と、自分の健康を自分で守ることなの。
(自分がかつていい気になって書いた文章を引き合いに出されたうえにこう言われてしまっては父も反論できない……とわかっていてこのパッケージにした)
父
……わかったよ……。
キッチンで主治医の言葉のありがたさを噛み締める
嘆息しながらひとりキッチンに戻り、ふと、
母が入院して家にいないなら、過剰なまでに包丁・まな板・菜箸を取り替えなくていい、日に何度もふきんをハイターしなくていい、多少日付の過ぎた肉や魚を使ってもいい、テーブルにおっことしたレタスも3秒ルールでいい。
と気づき安堵を感じました。
翻って、母の食事になんと気を遣っていたことか。
そうして、主治医の「すべて薬のせいで、くらたさんのせいじゃない」という言葉が、母だけではなくわたしにも向けられていたことに気がついたのでした。
「便利に使おうとしている」を腑分けする
その後も、どうして自分が「便利に使おうとしている」と思ったのか、どうして自分が「誰でもできるような微小な手間」をやりたくなかったのか、考え続けました。
父に伝えた内容は、ほんとうに言いたかったことではないように感じていたから。
そうして考えた内容が下記のとおりです。
父に伝えても理解できないと思うけど、あーちゃんにもカウンセラーさんにも話しました。ふたりとも「あなたが言っていることは、ひとつも間違っていない」と言ってくれました。「ただ、お父さんには理解できないでしょうね」とも。
確かにこの日はすごく暑くて、炎天下の屋根の上で作業している大工さんのために飲み物の差し入れがあったほうが親切だくらいのことは、父でなくてもわたしだって感じていた
でもそれは本来父の仕事。屋根裏修繕周りは父の分担なのだから。
しかもペットボトルの差し入れなど誰がやってもいい微細な雑用、下働き。本来ならば父の仕事なのに「誰がやってもいいこと」=「くらたである必要がないこと」をくらたに命じてくるのは越境。
これがもし職場で、命じてきたのがかぐや姫課長だったら、たぶんわたしはその下命のとおりにする。
建屋保全、雨漏り修繕は私の職務分担ではないがこのくらいならやる。かぐや姫は上司で彼の指示は職務命令だから。
しかし、くらたは父の部下ではない。同時に、屋根上にペットボトルを持って行くくらいは、ごくごく微小な手間だからこそ断るのが困難。この「断るのが困難なくらいに微小な手間」であることがとても悪質である。わたしは知っている。父の手口はいつもこういう、「断りにくいほどに微細で簡単な要求を相手に飲ませる」ことから始まる。そして要求はこれだけでは済まないのだ。一度これを飲んだら、この手の雑用は次回からすべて当然のようにわたしに命じてくるだろう。
「この手の雑用」は多種多様で生活に溢れており、津波のように壁として押し寄せてわたしの生活を破壊する。
思い返してみれば、この被害に遭ったことがあるのは何もわたしや母だけではありません。
父の兄嫁とその娘たち(父の義姉と姪、くらたの叔母と従妹)などは、一緒に住んでいない分労働力こそそれほど搾取されなかったはずですが(義姉は父の会社で経理をやっているから搾取されたかも)、彼女たちの土地・家を父に長年占領されてきました。
たぶん、発達特性で、自他の境界があいまいで、わたしや母、義姉・姪という「他人」の労働力や資産をも、「親類、家族は助け合うべきだ」という反吐が出るほど都合の良い美辞麗句のもと、自分のものとして認識している。そして彼自身はわたしたちに差し出すべき何をも持っておらず差し出さない。同時にわたしや母や義姉・姪は他人の労働力や資産を自分のものと考える脳みそを持っていないので彼に要求しません。
事実として、姪に土地と建物を返して欲しい、と言われたとき、父は怒鳴り散らしたそうです。そして母やわたしには被害者たる自分を猛烈にアピールしていました。
でもこれはパワハラの話と同じで彼の浅薄な演技や計算などでは決してなく、彼の頭の中では真実なのです。母もわたしも当然姪に理があると思っていたけれど、父に何を言っても無駄なので何も言いませんでした。
簡単な要求からエスカレートしていく彼のやり方は、こちら側の良心や善意を悪用する巧妙で汚い手口なのだけど、事程左様に本人も全く気が付かずにやっているからタチが悪い。
本人は本気で、100%自分は正しくて善人で、善意でやっている気でいる。
実際、全く知らない他人の、酔っ払いの筋骨隆々たる若人どうしの喧嘩を、わざわざ割って入って仲介するなど、他人にない美点もあることはある。
「お父さんをあきらめたのね」
カウンセラーさんには「あなたはお父さんをあきらめたのね」という言葉をもらいました。
心の中の重いもやもやがふわっと軽くなった気がしました。
「お父さんは自分の仕事を認めてほしいのだろうけど、あなたたちから『お父さん頑張ってくれてありがとう』と言わせる態度を取るには至らないのよね」という言葉にも救われました。
仕事を認めてあげないわたしたちが悪いのではない。
「あなたはきっと今まであきらめきれなかったのよね。お父さんに理解してほしかったよね。でも、あきらめたのね」
思えば、自分の父親が愚かである事実から、自分の父親に娘を理解する能力がない事実から、目を背け続けてきた40年だったのかと思いました。
敬愛するメンターと夜の車内で話していたとき、間違えて「お父さん」と呼びかけそうになって、己が身のうちに潜む父性に対する憧れの生々しさに吐き気を催したこともあります。
あの対決以来、父とは顔を合わせていません。
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