見出し画像

【国民的歴史作家】司馬遼太郎の生涯

みなさんは、『梟の城』で直木賞を受賞し、『竜馬がゆく』『国盗り物語』『坂の上の雲』などの名作を世に送り出した歴史作家、司馬遼太郎をご存知でしょうか?

2023年(令和5年)1月時点で、紙・電子を合わせた司馬遼太郎全作品の累計発行部数は2億673万部となっており、驚異の数字を記録しています。

司馬作品の影響力は大きく、司馬の作り上げた歴史観は「司馬史観」と呼ばれるようにもなりました。

今回は、新聞記者から作家に転じ、数々の名作を世に送り出した功労者、司馬遼太郎の生涯を解説します。

【生い立ち】

司馬遼太郎(本名:福田定一)は、1923年(大正12年)、現在の大阪市浪速区に生まれました。

1930年(昭和5年)、大阪市難波塩草尋常小学校に入学します。

司馬は、古墳周辺で土器のかけらや石鏃を集める幼少期を過ごします。

1936年(昭和11年)、上宮中学校に進学した司馬は、図書館に通ってさまざまなジャンルの本を乱読するようになります。

読書少年の司馬は、中学3年で『十八史略』を読破しました。

また、阿倍野のデパートに通い詰めた司馬が、立ち読みで吉川英治の「宮本武蔵全集」を読破したという逸話も残っています。

吉川英治

ちなみに、いつも立ち読みばかりする司馬に業を煮やした売り場の店員が「うちは図書館やあらへん!」と文句を言ったところ、「そのうちここらの本をぎょうさん買うたりますから…」と返されたという逸話も残っています。

真珠湾攻撃によって日米が開戦した翌年の1942年(昭和17年)、司馬は旧制大阪外国語学校(現在の大阪大学外国語学部)に入学します。

真珠湾攻撃で爆沈した戦艦アリゾナ

この頃の司馬は、旧制大阪高等学校や旧制弘前高等学校を受験するも不合格となっており、「(自分には)何もない、才能もない、学問もない、根気もない」と挫折を経験しました。

司馬は大阪外国語学校でも読書にふけり、特に司馬遷の『史記』を愛読しました。

司馬遷

司馬遷は司馬に大きな影響を与え、「司馬遼太郎」の名前の由来ともなっています。<「司馬遷に遼󠄁(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」>

【学徒出陣と敗戦】

1943年(昭和18年)11月、司馬は学徒出陣により大阪外国語学校を仮卒業します(翌年9月に正式卒業)。

司馬は陸軍戦車学校に入り、戦車部隊に配属されました。

ここでの経験により、司馬は日本陸軍の技術合理性の欠如と精神主義を肌で感じました。

司馬が所属した戦車第1師団の九七式中戦車

文学青年であった司馬は軍隊生活になかなか馴染めませんでしたが、この部隊では、後に文学者となる石濱恒夫と知り合いました。

2人の親交は終生続くこととなります。

陸軍少尉として栃木県佐野市で終戦を迎えた司馬は、日本の敗戦にショックを受けました。

敗戦を通して、戦前・戦中の軍や国家に幻滅したことが、司馬を中世や近世、近代への関心へと駆り立て、後の歴史小説執筆へとつながっていきます。

「なんとくだらない戦争をしてきたのか」と考え込んだ司馬は、「昔の日本人は、もう少しましだったのではないか」という思いを抱き、図書館通いを再開しました。

【新聞記者から小説家へ】

戦後、司馬は新世界新聞社や新日本新聞社で働きますが、会社が倒産するなどし、産経新聞社へ入社しました。

京都支局へ配属となった司馬は、寺社や大学を担当します。

1950年(昭和25年)の金閣寺放火事件では真っ先に取材に訪れ、他紙に先駆けて犯行動機を記事にしました。

1953年に文化部へ配属となった司馬は、突発的な事件・事故に振り回されることがなくなり、学生時代のように本を読み漁ります。

当時、「1日に5時間の読書を日課にしている」と周囲に語っていたといいます。

また、読むものがなくなり、最後は百科事典を読んでいたという逸話も残っています。

この頃、仕事を通して桑原武夫などの高名な学者と出会い、後の執筆活動の糧ともなりました。

司馬は順調に出世し、文化部次長、文化部長、出版局次長などを歴任しました。

1955年(昭和30年)、『名言随筆・サラリーマン』を本名で発表します。

作家の寺内大吉から小説を書くように勧められた司馬は、1956年、「司馬遼太郎」の名で『ペルシャの幻術師』を書きあげました。

海音寺潮五郎の絶賛もあり、この作品は講談倶楽部賞を受賞し、司馬の出世作となりました。

1958年(昭和33年)には、「司馬遼󠄁太郎」としての初の著書が出版されます(『白い歓喜天』)。

1954年に1人目の妻と離婚していた司馬は、1959年1月、同じ産経新聞記者の松見みどりと再婚します。

翌1960年には、『梟の城』で第42回直木賞を受賞しました。

これを機に1961年(昭和36年)、37歳で産経新聞社を退社し、作家活動に専念することとなります。

【国民的作家】

初期の作品は忍者を主人公にしたものが多く、時代小説や伝奇小説を中心に発表していました。

しかし、1962年(昭和37年)6月から坂本龍馬を主人公にした『竜馬がゆく』の連載を産経新聞で開始し、同年11月からは週刊文春で『燃えよ剣』の連載が始まります。

坂本龍馬

これにより、歴史作家として本格的なスタートを切りました。

ちなみに『竜馬がゆく』は、司馬がまだ産経新聞に在職していた頃、社長の水野成夫から「サンケイに本格的な連載小説を書け」「原稿料は吉川英治なみに支払う」と依頼されたことで、連載が始まりました。

『竜馬がゆく』は司馬の代表作となり、2023年1月時点で累計発行部数は約2500万部を記録し、司馬作品で一番売れた小説となっています。

また、NHK大河ドラマの他に民放でもテレビドラマ化され、世間一般における坂本龍馬像の形成に絶大な影響を与えました。

その後も、斎藤道三と織田信長を中心として扱った『国盗り物語』や豊臣秀吉の壮年期を描いた『新史 太閤記』などの歴史小説を発表していきます。

豊臣秀吉

1968年(昭和43年)には、近代国家として歩み出した明治日本を描く『坂の上の雲』の連載がスタートし、翌1969年には『世に棲む日日』、1972年には『翔ぶが如く』を発表、「国民的作家」として定着していきました。

司馬が作品を構想すると史料を膨大に集めるため、各地の古書店から史料が消えると噂されました。

【晩年】

国民的作家として多くの名作を世に送り出した司馬は、1987年(昭和62年)に連載終了した『韃靼疾風録』を最後に、小説執筆の筆を止めます。

その後は『この国のかたち』などの歴史随筆を描き、「日本とは何か」「日本人とは何か」といった文明批評を行っていきました。

また、功績が認められ、1991年(平成3年)に文化功労者となり、1993年(平成5年)には文化勲章を受章しました。

1994年には『街道をゆく』の取材で台湾へ行き、当時の台湾総統・李登輝と会談を行いました。

李登輝と対談する司馬遼太郎(出典:中華民國總統府)

しかし、1996年(平成8年)2月、腹部大動脈瘤破裂のためこの世を去りました。

72歳でした。

これにより、紀行随筆『街道をゆく』は未完に終わりました。

また、晩年にはノモンハン事件の作品化を構想していたともいわれており、司馬の旺盛な執筆意欲は健在でした。

亡くなった翌年には司馬遼󠄁太郎記念財団が発足し、司馬遼󠄁太郎賞が創設されました。

司馬遼太郎賞は、北方謙三、浅田次郎、赤坂真理、片山杜秀、伊集院静、葉室麟など錚々たる作家が受賞しています。

【「司馬史観」とは何か】

司馬作品は国民に広く親しまれ、7つの作品(数え方によっては6作品)がNHK大河ドラマの原作となるなど、日本国民の歴史観に多大な影響を与えました。

司馬の作り上げた歴史観は「司馬史観」と呼ばれています。

ただ、「司馬史観」に明確な定義はありません。

司馬は著作を通して明治を肯定的に捉え、特に日本が近代化していく時期を希望に満ちた成功物語として描きました。

篠田正浩と司馬遼太郎(『映画評論』1964年7月号)

一方で、戦前・戦中の昭和日本を厳しく描いています。

歴史叙述が「英雄」偏重であるという指摘もあります。

これらをいわゆる「司馬史観」とする見方が大勢となっています。

また、フィクションの要素や現在では誤りとされていることが著述されている点を問題視する指摘もあります。

司馬作品はロングセラーとなり、日本社会に広く影響を与えたが故に、称賛と批判が入り混じります。

小説家で評論家の大岡昇平は、司馬の歴史小説に対して「時々記述について、典拠を示してほしい、と思うことがある」「面白い資料だけ渡り歩いているのではないか、という危惧にとらえられる」と苦言を呈しています。

大岡昇平

評論家の加藤周一も「司馬遼太郎氏の史観は天才主義である」「そこには、民衆が演じた役割と、経済的な要因がもったであろう意味は、ほとんど描かれず、ほとんど分析されない」と述べています(「司馬遼太郎小論」より)。

一方で、日本古代史の大家で歴史学者の上田正昭は、「司馬さんほど、歴史に投じつつある人間の翳(かげ)を見事に描く人物は少ない」と評価し、国際政治学者の高坂正堯や政治学者の橋川文三も司馬を肯定的に捉えています。

司馬作品に史実と創作が入り混じっている点は否めませんが、一方で、膨大な史料を緻密に分析し、それを一般読者に物語として提供した功績は大きいです。

「司馬史観」という言葉が誕生したこと自体が、司馬が作品を通じて国家や歴史への社会的関心をかきたてたという証左ではないでしょうか。

以上、数々の名作を世に送り出した国民的作家、司馬遼太郎の生涯を解説しました。

最後に、司馬作品の累計発行部数ベスト10をご紹介します。

1位『竜馬がゆく』 2477万部
2位『坂の上の雲』 1976万部
3位『街道をゆく』 1219万部
4位『翔ぶが如く』 1202万部
5位『国盗り物語』 755万部
6位『項羽と劉邦』 725万部
7位『関ヶ原』 626万部
8位『功名が辻』 531万部
9位『世に棲む日日』 523万部
10位『菜の花の沖』 513万部
(※2022年6月時点/出典:中央公論新社調べ)

みなさんの好きな司馬作品は何でしょうか?

ぜひコメント欄で教えてください。

YouTubeにも動画を投稿したのでぜひご覧ください🙇

=================
【参考文献】 『司馬遼太郎の時代 歴史と大衆教養主義』福間良明,中央公論新社,2022年

よろしければサポートいただけますと幸いです🙇 いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!