日本の100名城制覇!(茨城県編/水戸城、笠間城、土浦城)
【水戸城】
水戸城は、JR常磐線「水戸駅」から徒歩約8分の場所にあり、「日本100名城」に選ばれています。
水戸は「水戸黄門」として有名な徳川光圀が生まれた場所で、水戸駅には助さん・格さんと並んで水戸黄門の像が建立されています。
水戸城は、那珂川と千波湖に挟まれた城で、鎌倉時代に馬場資幹が築いた居城が始まりとされています。
1590年、豊臣秀吉側として小田原攻めに参戦した佐竹義宣が入城し、近世城郭に改修しました。
この頃、城の名が水戸城になったとされています。
1600年の関ヶ原の戦いで義宣が東軍(徳川家康方)に味方しなかったため、佐竹氏は秋田へ国替えとなりました。
その後、1609年に徳川家康の11男・頼房が入って初代水戸藩主となり、水戸城は水戸徳川家の居城となりました。
そして、「水戸黄門」として知られる第2代藩主・徳川光圀以降、水戸城は徳川御三家の居城として圧倒的な存在感を放っていきます。
ちなみに、光圀は水戸学の基礎となる「大日本史」の編纂を手がけており、これが尊皇攘夷思想へと発展して後の明治維新に思想的影響を与えました。
水戸城三の丸には藩校「弘道館」があります。
「弘道館」では多くの水戸藩士が学んだとされ、、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜も5歳から11歳までこの「弘道館」で教育を受けました。
また、この頃の日本を訪れた外国人が、日本の教育水準の高さを評価する日記が残されています。
例えば、カナダ(英領北アメリカ)の冒険家ラナルド・マクドナルドは
と述べており、
イタリア人宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノは
と記録しています。
これらの記述から、当時の日本人が諸外国と比較して高い読み書き能力を持ち、礼儀正しさを身につけていたことがわかります。
この教育水準の高さや規律の正しさが、後にアジア初となる近代化を成し遂げる原動力になったことが推察できます。
水戸には、梅の名所として知られる「偕楽園」もあります。
「偕楽園」は第9代藩主・徳川斉昭が造園し、岡山の「後楽園」、金沢の「兼六園」と並んで「日本三大名園」の一つとなっています。
【笠間城】
笠間城は、JR「友部駅」から周遊バスで「笠間日動美術館」へ行き、そこから徒歩約20分の場所にあります。
笠間城は「続日本100名城」に選ばれています。
笠間城は鎌倉時代に築城されたとされ、笠間氏が約370年にわたって本拠としました。
1590年の小田原平定後、笠間氏は宇都宮氏によって滅ぼされ、1598年には蒲生秀行の所領となります。
蒲生郷成が近世城郭に改修した後、江戸時代に入り浅野氏が藩主の時に山麓に下屋敷が造営されました。
度々藩主が入れ替わり、牧野氏が藩主の時に明治維新を迎え、1871年、政府に城の破却を願い出て廃城となりました。
ちなみに、2023年に公開され、アジア映画として初めてアカデミー賞視覚効果賞を受賞した映画『ゴジラ-1.0』は笠間市でも撮影されており、それを記念した御城印も販売されました。
めちゃくちゃカッコよかったので、一目惚れで購入しました。
「笠間日動美術館」の隣には、大石内蔵助の祖父らが住んでいた大石邸跡があります。
内蔵助は、藩主・浅野内匠頭(長矩)が刃傷沙汰を起こして切腹となるも、刃傷沙汰の相手・吉良上野介(義央)がお咎めなしとなり、さらに浅野家のお家再興の道も閉ざされたため、赤穂浪士47人の指導者として吉良邸に討ち入り、主君の「敵討ち」を行った人物です(赤穂事件)。
この赤穂事件は、歌舞伎の演目『仮名手本忠臣蔵』を始め、数多くの映画やテレビドラマの題材となっています。
【土浦城】
土浦城は、JR常磐線「土浦駅」から徒歩約15分の場所にあり、「続日本100名城」に選ばれています。
室町時代に菅谷氏が築いたとされ、後に小田氏治が入城しました。
1590年の小田原平定後は、徳川家康の二男・結城秀康の所領となり、関ヶ原の戦い後に藤井松平家が入ります。
1685年の松平信興の時代に甲州流軍学による築城術で大改修され、以後、土屋氏が入って明治維新に至ります。
ちなみに、土浦市立真鍋小学校の校庭にある桜はめちゃくちゃキレイなので、桜の季節にはオススメです。
この桜は、「真鍋のサクラ」として茨城県の天然記念物に指定されています。
また、土浦は、平安時代の六歌仙の一人で、 絶世の美女と謳われた小野小町とゆかりがあり、「小町の館」という施設もあります。
小町に関する資料やグッズがあるので、小町ファンの方にはオススメです!
YouTubeにも動画を投稿したのでぜひご覧ください🙇
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