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note感想文「モラルと道徳」を考える

コロナ渦の不自由な中、いかがお過ごしでしょうか?
私はなんだかんだ言っても、ギリギリの合間を縫って温泉行ったりしていますが、それでも行動はかなり制限させられています。

なんだか、この「我慢の心構えに」慣れてきて、過去の自由な世界を忘れてしまいそうです。


そんな中、私のマガジンのひとつ日日是好日にちにちこれこうじつより、ピックアップして、簡単な感想を添えさせていただきました。

ご紹介したい記事は他にもたくさんあるのですが、
「モラルと道徳」というテーマに絞って、泣く泣く厳選させていただきましたのでご了承ください。

他のマガジンの記事はまた別の機会に紹介させていただく予定です。


つくづく、noterさんたちの記事は素晴らしい!
そのおかげで、相変わらず一般本の読書量は減ってしまい、就寝前の読書タイムはnote記事を読み漁る毎日です。

恐るべき素人集団だと心の底から感じずにはいられません。


◆Bun banさん

仕事とは何か?
生産性や効率性を上げて利益を追う事が全てだろうか?
文化人類学者D.グレーバーの唱えた「ブルシット・ジョブ」から意見を述べられている記事です。

ブルシット・ジョブ=クソどうでもいい仕事

日本語に訳してしまうと、なんともストレートで攻撃的とも言えてしまうものになってしまいますが、本来の仕事とはどういうものであるべきかを考えさせられてしまいます。
これらはコロナ渦を経験したからこそ、本来の労働のあり方に気づくことができるものなのかもしれません。
Bun banさんは、その真意を短い文章中に的確に問いかけ、深掘りされています。
皆さんも、御一読いただき、原点にかえり、本当の意味で社会に必要な労働とはどういうものなのか考えてみてはどうでしょう。


◆ももまろさん

ももまろさんのエッセイは、いつも素直で正直な言葉が綴られていて、ドキリと胸に響きます。
この記事では本当の「育ちの良さ」はどのようにして表面化するのか、考察されています。
「育ちの良さ」とはすなわち、高い教養と深めた見識をさらけ出すのではなく、奥深くに仕舞い込んで、確実に自身の最強アイテムとして装備し、万人を受け入れる大きな器を持った人の事なのです。
そのような人は、見えない所で努力を積んでいるからこそ、回りの人の努力や真意を直感して、優しくもなれる。
表面的な失敗行動から、その人の何を読み取る事ができるかは、自分自身の中の見識や経験によるものだと確信しました。
これは、自分の今までを反省させられ、それでいて読後は清々しくもなったエッセイでした。


◆Love is ミラクルさん

とにかく面白い!
軽快な大阪弁一色で、リズミカルに端的に、社会のモラルに反する事を挙げています。
笑いはもちろんありますが、核心はしっかり衝いていて、思わず私は、
「そやそや!」「ええで、ええで~!」とつい、合いの手を入れてしまいました。
モラルの基準は、人それぞれ違うかも知れませんが、この記事は私にとってはビンゴの指摘でした。
ミラクルさんは毒舌になり過ぎない範疇で、実は言いたい放題言っているのが的を得ていて、読んでいるこちらもスッキリしてしまうのです。


◆ぢぇいさん

note始めた頃からのお付き合いですが、こんな隠し玉を持っていたとは、今さらながら驚いています。
私も、高校が女子高だったので、週一で「茶道」の時間があり、一応は習った事がありますが、ややこしかった!
その言わんとしているものは、決してルール通りの型に閉じ込めるのが目的ではなく、それら所作を学ぶ事で、無の平常心を得ながら精神を向上させることにあります。
それは宗教や哲学にも通じる事で、確実に自分の中に蓄積され、自然と「立ち居振る舞い」が出来上がるものでもあるのです。
茶道であれ、華道であれ、その「道」には本筋があって、それは表面的な技術を指すのではなく、いかに自分の精神の中に取り込んでゆくための「道」でもあるのです。


◆yasuchinさん

実は、私の最後の職場は介護関係の事業所でした。
このyasuchinさんの記事を読んで、思い出した事があります。
この記事にもあるように、同じように働いている職員の中には、利用者さんが知的障害であるのを都合の良いように利用するような人がいました。
私は事務職だったため、直接、仕事として利用者さんと接する事はなかったので、決めつける事は出来ないのですが、正直言って、それはどうなの?と疑問に思う対応はしばしば目にしました。
その対応の裏には、
「どうせわかってないから。」
「この子のせいにしといたらいい。」
という思惑がありありと見えて、不快に感じる事もありました。
明らかに偏見からくる、ある種の見下した対応であり、
私が親だったら、こういう接し方をされたら嫌だな、と思う態度です。
確かに生きてゆく上で必要な世の中のルールはちゃんと指導しなくてはいけません。
しかし、いくら指導する立場ではあるにせよ、それ以外の部分では、障害があろうがなかろうが、そんな事は当然ですが関係なく、フラットな関係であるべきなのです。




先週も皆さんおかげでお祝いをいただきました!ありがとうございます。



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