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自分を省みられない大人たち

こんばんは、yasuchinです。12月ですが例年よりも寒い日が多い気がしますが、皆さまはいかがでしょうか?

さて、今日のテーマは「自分を省みられない大人たち」です。先日、ちょっとイラっとする…いや、それを通り越してもう残念な…悲しいような…出来事が職場でありました。それを中心にお話をしたいと思います。

◆ 障害者でも全く問題ないのに…

先に申し上げておきたいのですが、私は「障害者」という言葉がキライです。だから、本当はこの場でも使いたくない言葉なのですが別の言葉で言い表すのも難しかったりするところもあるので、今日は敢えて使わせて頂きます。なぜ、キライか?については以前、

つぶやき記事でちょっと述べましたので参考までに…

さて、本題にいきます。

私の職場は、もうご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、高齢者施設です。施設では約35名ほどの職員が働いていますが、そのうちの5名ほどは、清掃職員と洗濯物の回収・返却職員です。

清掃職員は正社員ではなく、パート職員で大体、朝8時頃からお昼13時ごろぐらいまでが勤務となり、毎日、入居者の各部屋にお邪魔し掃除機をかけたり、トイレや洗面所の清掃を行って回ります。

清掃職員の中には、今年の4月から就労支援で知的障害の方が1人働いています。知的障害といっても業務に支障が出ることはほとんどありません。仕事を始めたばかり頃は、覚えることや手順、段取り、要領が上手くいかず少し心配もありましたが、現在は仕事も覚えて言われなくてもスムーズに行動できています。

年齢は21歳ですが、一応、知能的には小学校3~4年生ぐらいの知能だそうです。それでも、ちゃんと挨拶をして、礼儀正しく、社会人としてしっかり頑張ってくれています。

先日、とある入居者の奥様から清掃職員に対してお願いがありました。内容は、「夫の部屋で掃除機をかけるときは窓を開けてほしい」とのことでした。内容はごもっともなことです。

清掃職員への伝達事項は連絡ノートがあります。そこに業務連絡や気づいたこと、このような入居者やその家族からのお願いなど書くようにしています。この入居者からの希望、お願いも記入しました。

その後、どういうわけか清掃職員の間では、これが重大なクレーム(苦情)として取り上げられていました。確かにそのままスルーしてしまうのは決して良くない事項ですが、今後、清掃職員間でこれまでの業務を振り返り気をつけてもらえれば良い話でした。

事が大きくなった原因は、主にこの就労支援の職員に対して、その責任の矛先が向けられたことにありました。「自分達の清掃の仕方が悪いという評価をされたのは、あなたのせいだ!」と言わんばかりに、その責任を自覚させたいのか、わざわざノートにこの職員の手書きで「これは○○さんからの苦情です」と他の清掃職員が書かせていました。そういうことをさせる…パワハラ…イジメ…胸が気持ち悪くなりました。

事実としては、確かに、窓を開けずに掃除機をかけていたらしいです。ただ、入居者本人から「寒いから開けないでほしい」と言われたからで、他の清掃職員もそのようにしていた様子もありました。

清掃職員の全員が、この就労支援の職員を目の敵にしているわけではありません。1人の職員が普段から、何が気に入らないのか… 色々とその職員に対して偏見があり、時々愚痴をもらしたり、厳しい言葉を浴びせたりが見られていました。

◆ 同じ職場なのだから…

この後、この偏見をもつ清掃職員に、今回のことはクレームではなくお願いであり、真摯に受けとめてどのようにしていけばいいかを皆で考えてもらえれば……という話をしました。

でも、これが通じません… 

「私たちはちゃんとやっていた、あの子は………」「私たちは、ちゃんと本人の思いを聞いて、寒いからという理由で………」

と、自分にはあくまで非がないと…、就労支援の職員が仕事が遅いだの、要領が悪いだの、テキトーにやっているだの…

論点がすり替わり、すり替わりで的を得た話ができません。挙句の果てには、どうせもうすぐ辞めるから…今、次の働き口を探してるから…と

もう、何も言えませんね…腹が立つを通りすぎてしまいます…

清掃職員といえど、同じ職場の同僚です。チームメイトです。得意、不得意もあれば、要領のいい、悪いもあるし、慣れ、不慣れもあります。

上手くいかないのであれば、手伝ったり、上手くいく方法を教えたり一緒に考えたりすればいい。健常者だろうが障害者だろうが、チームメイトです。フォローし合って、何か問題があれば一緒に考えてお互いが気持ちよく仕事ができることが一番ではないでしょうか…

◆ 偏見の壁と自分を顧みる大切さ

今回のこの一件。色々な問題を内包していると思いますが、2つ大きな点に注視したいと思います。1つは「偏見の壁」

まだまだ世の中根深いのでしょうか…どうして、どうして障害者の方たちを健常者の方たちと同様に接することができないのでしょう…

偏見は持ちたくないですが、この場は敢えて偏見的なものの見方をして言います。気分を害される方がいらっしゃれば大変申し訳ありません。

私の職場に来ている就労支援の職員は見た目も普通、しゃべり方も普通、歩き方も普通、感情表現も普通、意思表示も全く普通です。いわゆる「障害者」と言えるような、体が不自由とか、意思伝達が困難だとか…そんな点は一切見受けられません。少し、仕事を覚えたりするのに時間がかかったり、要領を得るのに時間がかかったり、集中力が続かなかったりがあるぐらいです。

ただそれだけです。支障があるならフォローすればいい。サポートすればいい。ただそれだけです。

どうして、接し方や口の利き方まで変える必要があるでしょうか…。「障害者だから優しく」とか「障害者だから丁寧に」とか「障害者だから…」ってこの言い方がもはや「偏見の壁」を構築しています。

普通の日々頑張ってる職員として接すればいいだけのことなのに…

あらゆる「差別」をなくそうとしている時代かもしれませんが、身近なところを見るとまだまだ壁が厚いと感じてなりません。

もう1つは今日のテーマのタイトルにもしましたが「自分を省みる大切さ」です。

「省みる」とは「自分のしてきたことの良し悪しを考える」ことです。

いわゆる「反省」と同じような意味になるとは思いますが、「反省」=「悪いことをした」=「謝罪」とつながりやすいのは、ある意味「日本人」の特徴のようにも思います。

「省みる」ことは必ずしも悪いことをしてそれを反省することとは限りません。事が起こって、そのことを振り返り、自分の行動や言葉がどうだったのかを評価する、そして、良い部分は次にも生かし、マズかった部分は改め次につなげるためのものです。

この「省みる」がなかなか出来ない人が増えているような気がするのは私だけでしょうか?

この「省みる」ことができない人の特徴の1つが、すぐさま「自己防衛」に走るところにあります。事が起こるとすぐに自分の正当性をあらゆるところから引っ張り集め並べ立てる、そして「私は悪くない!」と…別にこちらは犯人探しや、責任者探しをしたいわけではないのだが…と思ってしましいます。

特徴の2つめが「他者の考えを受け入れない」「視点が1つに固執する」「新しい視点の導入が困難」という点があります。1つめの特徴の後ろ盾となる考え方です。要するに「自分の考えが絶対」ということです。相対的なものの見方や、第三者的に物事を見ることが難しくなり、より偏見を助長することにもなります。

◆ 個人が認められる時代 承認欲求が満たされる時代

全てを時代のせいにしたくありません。ただ、偏見や省みることのできる大人が少ないのは1つ時代のせいもあるかもと思います。

現代は、昔に比べ「個人が認めらる時代」です。そして認められることで「承認欲求が満たされやすい時代」だと思います。

自分の生活範囲の知人に限らず、ネットの向こうの出会ったことのない無数の人達から「いいね!」「goodボタン」「フォロー」してもらい、自分を認めてもらえる時代です。つまり、「自分の考えは合っている、間違っていない」と簡単に思ってしまえる環境にあるのではないでしょうか?

もちろん、認めてもらえるのは嬉しいことだし、良いことです。否定されるよりは認めてもらえる方が良いですし、何より認めてもらえることは生きていく中で素晴らしいことの1つです。

ただ、重要なことは、自分の思いや考えは世の中の数多ある思考の中の1つに過ぎないということをもっと自覚する必要があると思います。大人も子供も…。

認められたから「これでいい!」ではない。否定されたから「自分の考えはダメ」ではない。 

他者の考えを丁寧に受け入れつつ、自分の考えも振り返り「省みる」。そして「考えの相反する部分」「互いに受け入れられる部分」を見ていくことで「他者の考えと自分の考えの位置関係」を見極めていくことがとても重要のように思います。

他者を受け入れ、自分を「省みる」ことができれば固執しないより広い視野の考えを巡らせることができるようになります。そしてそれは「偏見の壁」は低くし、いずれ無くすことにつながっていくのではないでしょうか…

長くなりました、それでは、また。


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