神ノ川智早 / 写真家が書く文

写真家。鹿児島産まれ岐阜育ち。サンフランシスコの学校で写真の勉強をしたのち、東京。人を…

神ノ川智早 / 写真家が書く文

写真家。鹿児島産まれ岐阜育ち。サンフランシスコの学校で写真の勉強をしたのち、東京。人を撮ることに魅力を感じています。撮るだけでなく、書くことにも惹かれてはじめました。http://chihayakaminokawa.com

最近の記事

拾いもの

  先日、自宅から車で15分ほど行ったところにある大学で撮影があった。9時半に大学教授の取材が始まり、11時には終了する仕事。 午後から神保町で次の仕事があったのでそのまま現地に向かってお昼を食べようか考えたけれど、車を停めてお店に入ることを考えたら煩わしくなったので自宅に一度帰ることにした。 駐車場に車を停めて自宅へ向かう下り坂の途中、ふと見るとアスファルトの上に何かが落ちていた。白く細長い何か。 あ、花だ!と気づく。 近づいてじっと見る。細い枝に、小さな白い花がきゅっと集

    • 家族の事実と幻想

       演劇が好きで、興味ある舞台はチケットを取って観に行くことを楽しみにしている。すごい舞台を観た後は歩いて感情を落ち着かせ、頭の中を整理したくなる。その日もそうだった。池袋の劇場を出て20分ほど電車に乗り最寄駅で降り、まだ夢の中にいるような余韻にふけりながら歩いていると、突然左側の家から怒鳴り声がした。 「これは私の所有物だよね!?」 すごい剣幕で怒っている女の声。 私の所有物?まるで舞台のセリフのよう。はっきりとは聞こえないが、返事をする相手の男の声が小さく聞こえた。それにま

      • 画家が夢見た青空

        仕事で仙台へ行った。ホテルの部屋は扉を開けたらすぐにベッドが見えるような小さな部屋だった。空気を入れようと窓に近づいたが、埃がたまって汚れた窓は開けられないようになっている。 ここで2泊するのかとげんなりしたのに、2日目の夜、お風呂から上がりベッドに腰かけたらもうすっかり体が部屋に馴染んでいることに気が付いた。 仙台3日目の朝、ぼんやり懐かしい気持ちで目が覚めた。 久しぶりに鹿児島の祖父が夢に出て来たのだ。甚平を着て楽しそうに喋る祖父の隣に座って私は手を伸ばし、その背中にそ

        • 目に見える意識

          以前、20人の俳優を3日間かけて撮る仕事があった。 スタジオにだいたい毎日9時か10時に入って撮影し、19時30分頃にスタジオを出た。 普段は起床時間や行く場所がばらばらで規則性というものがほぼ無い生活をしているから、決まった場所へ通勤し、毎日同じスタッフと仕事することが新鮮で短いながらも楽しい時間だった。 スタジオに行くと、照明セットを言う通りに組み立ててくれ、撮影をサポートしてくれ、相談すればアドバイスもしてくれるスタジオマンと呼ばれる人達がいて カメラマンアシスタン

          隣の部屋から消えた声、日々の淡い気持ち

          今の部屋に引っ越してきた去年の6月、引越しの挨拶で両隣の部屋を訪ねた。 右隣は表札が出ているのに、いくら訪ねてもいつも留守。よくよく1階のポストを見ると、その口はテープで閉じられていた。部屋は空っぽだったのだ。 左隣の部屋からはおしゃれな金髪の女性が出てきて、うちには子供がいるからうるさいかもしれませんと言い、どこから越してきたんですか?と気さくに聞いてくれた。オープンな人だった。 それ以降、金髪の女性とは廊下で、エレベーターで、とにかくよく遭遇した。話に聞いていたお子さ

          隣の部屋から消えた声、日々の淡い気持ち

          新しい時代の意味を見た気がした

          ある俳優さんの取材で、映画配給会社へ行った。 ロビーに集まったのは3つの雑誌からそれぞれ集まった編集者、ライター、カメラマンのチーム、合計9名。 30畳くらいある映画配給会社のエントランスを3人のカメラマンで場所分けし、それぞれが撮影用にストロボを立てたり背景紙を設置する。 ぱっと見てすぐ誰がカメラマンなのか分かる。目を合わせて会釈し、よろしくお願いしますと言いながら場所どうしますか?と相談しすんなり場所が決まっていく。私以外は、若い男性のカメラマンだった。恐らく30歳前後。

          新しい時代の意味を見た気がした

          劇場へ行った日

          6月12日土曜日。金曜の夜はずいぶんと遅くに寝たので、9時過ぎに目が覚めた。遅いスタート。 東京は5月中旬に梅雨が来たかのような雨が続いていたのに、6月に入るとすっかり晴れてもはや夏のように暑い。 母に電話する。母は昨晩私の一人目の弟と2ヶ月ぶりに電話したようで、嬉しそうだった。彼は仕事の話となるとそれはもうよく喋る。昨日もそうだったんでしょうと聞くと、 「そりゃもう。しかし我が家の3人姉弟はそれぞれに語ってくれて楽しいわよ!」と明るく笑っていた。 今日の予定は午前中のピラ

          ある日のガソリンスタンドで

          仕事で車を使っているので、月に何度かガソリンスタンドへ給油しに行く。 店員が給油ついでに私の車をチェックし、時々ボンネットまで開けて不備がないか確認している。 その間、私は車の中から店員の動きをちらちらと観察している。車のことなど何も分からない女だと思われ何か買わされたりしないだろうか、とちょっと卑屈なことを思いながら。実際、私は車のことなど何も分からないのだけれど。 給油だけして一刻も早く家に帰りたいのに、何かを勧められると30分は待たなければならない。でも、オイルが汚れ

          ある日のガソリンスタンドで

          17歳の時に言われた言葉

          パソコン仕事をしながらピーター・バラカンさんのラジオを聴いていたら、曲のリクエストメールが読まれた。 「僕の息子が今年17歳になります。ついに受験生となりますが、受験にストレスを感じる事なく、今後自分の好きな道へ進んでいくためのステップとして前向きに楽しんで欲しい。」 
リクエストはエルビス・コステロの1曲だった。優しく落ち着いた目線で子供を応援し、エルビス・コステロを息子のためにリクエストする親。 すごいな、どんな素敵な親なのよと曲を聴きながら思った。
こんな人が自分の親だ

          17歳の時に言われた言葉

          ゴミ出しと救急車とおじいさん その2

          2週間前、「ゴミ出しと救急車とおじいさん」という文章を書いた。 おばあさんがマンションのエントランスで立てなくなり、救急車で運ばれるところに遭遇した話。その時一緒にいたおじいさんに、昨日ゴミ出しでまたばったり会った。 あっと思って近づき挨拶。おじいさんはいつものようににこっと笑う。 「あれから奥さま大丈夫でしたか?」 気になっていた事を聞くと、おじいさんは笑ったまま 「いや、あのあとね、亡くなっちゃった。」 と答えた。ちょっと困ったように笑っている。 想像もしていなかった答

          ゴミ出しと救急車とおじいさん その2

          53日ぶりのポートレイト

          先日、撮影の仕事があった。久しぶりの人物撮影。数えてみたら、53日ぶり。 もう風景写真じゃなくそろそろ人が撮りたい、という欲がふつふつと沸いていたところだった。 文芸誌からの依頼で、小説家のポートレイト。zoomでインタビューは済ませたので、あとは作家さんを某公園で撮影して欲しいとのこと。いつもは車で移動するけれど、機材も少なかったのでリュックにカメラを入れて電車で移動した。平日の昼間、車内に人はまばら。 待ち合わせ時間前に公園をロケハンし、駅へ戻ると改札前に編集者のHさん

          53日ぶりのポートレイト

          ゴミ出しと救急車とおじいさん

          目が覚めたら8時過ぎていた。仕事の予定が無いので、ここ1ヶ月は目覚まし時計をかけていない。 窓の外、遠くからカシャーン、カシャーンとガラス瓶がぶつかり合う音が聞こえて来る。そうだ、今日は資源回収日だと飛び起きた。 急いで着替え、プラスチックごみが詰まった袋とガラス瓶、缶、ペットボトルがごちゃごちゃと入ったゴミ箱を持って廊下へ出て、階段で1階へ降りた。マンションの入口はガラス張りで、外から入ってくる光が明るくエントランスを照らしてる。 入口に目をやると、扉の側に人が座っていた

          ゴミ出しと救急車とおじいさん

          まだここから話がある

          NHKのある番組で、男性ディレクターが小学生の女の子に 「あなたはどんな人ですか?」 と質問した。すると、その子は質問を返した。 「そういうあなたはどんな人ですか?」 ディレクターが答える。 「テレビ番組のディレクターです。」 それを聞いた彼女は言った。 「じゃあ、私は小学生です。」 こんなやり取りをテレビで見たよ、と母が電話で話してくれた。 なんて話だ。すごいなその小学生。 高名な仙人の元で修行した男が修行の最後に質問され、正しい答えを導き出せずに仙人試験に失格した、みた

          まだここから話がある

          タイタニック、22年振りの邂逅

          映画タイタニックを初めて観たのは19歳で、その時私はアメリカにいた。 1998年1月からサンフランシスコ州立大学への入学が決まり、学生寮に入る予定だった。 その前の年、1997年9月から12月まで、私はカリフォルニア州にあるチコという小さな街の学生寮に住み、ビュートカレッジへ1学期だけ通っていた。学生寮の部屋には2人部屋が2つ、真ん中にバスルームを挟んだ2部屋。はじめてのルームメイトはジェニファー・ケムスタッド。苗字を正しく覚えているか自信はない。栗色の髪を肩まで伸ばし、歯の

          タイタニック、22年振りの邂逅

          目が合うための散歩

          ステイホーム、エンジョイホームが叫ばれはじめた頃、家は大好きだからいくらでも部屋の中ですごせる、余裕だよと思ったのに、それはすぐに無理だとわかった。 家が好きでじっとしているのが苦じゃなかったのは、いつも外に出て気力&体力を消耗して仕事する日々があったからだった。編集者やデザイナー、クライアントがいて出来上がりを相談し、はじめて会う被写体とコミュニケーションを取って撮影する。ある時は作家の自宅、ある時はスタジオで。刺激の多い毎日。 それが無くなっている今、ステイホームだけで

          この空白に

          2020年4月、私のスケジュール帳はまっしろになった。ノープラン。ゼロ。撮影がなくなり、行くところがなくなった。フリーランスで写真の仕事をしている私は、コロナの影響を大きく受けたのだった。独立以来、初めての空白。 1月から3月までは忙しかった。2月、コロナの報道が増え、中国の武漢という街の名をはじめて知った。ニュースに心を痛めながらも、まだ遠い世界の出来事に見えていた事が、下旬になるとじわりと近づいて来た。 3月、学校は休校。感染者が増えはじめ、撮影を担当した演劇の舞台も中