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タイタニック、22年振りの邂逅

映画タイタニックを初めて観たのは19歳で、その時私はアメリカにいた。
1998年1月からサンフランシスコ州立大学への入学が決まり、学生寮に入る予定だった。
その前の年、1997年9月から12月まで、私はカリフォルニア州にあるチコという小さな街の学生寮に住み、ビュートカレッジへ1学期だけ通っていた。学生寮の部屋には2人部屋が2つ、真ん中にバスルームを挟んだ2部屋。はじめてのルームメイトはジェニファー・ケムスタッド。苗字を正しく覚えているか自信はない。栗色の髪を肩まで伸ばし、歯の矯正をした明るいしっかり者の女の子だった。 
タイタニックを見たのは1997年12月。サンフランシスコの大学寮へ移動する前の2週間、サンフランシスコから2時間ほどの小さな町にあるジェニファーの実家に居候させてもらっていた時だった。町の名も忘れてしまった。
お世話になった彼女のご両親と今でも手紙のやり取りをしている、という心温まる話も一切なく、とてもよくしてもらったのに疎遠になってしまった。ジェニファーとも。
クリスマス前、私が20歳になる直前のある日、ジェニファーとその友達で映画を観に行こうという話になり、私は何を観に行くのかよくわからないまま車に乗せられた。田舎町のシネコン。くすんだピンク色の壁に囲まれたチケット売り場。アジア人など私以外には見当たらなかった。
当時、私の英語力はかなり低く、日常会話は理解できても込み入った話になるとさっぱりだった。そんな私に字幕なしで物語の細部が分かるはずもなかったが、豪華なセットに美しい俳優、分かりやすい展開と映像で十分物語を理解して楽しんだ覚えがある。

先日、知り合いから「タイタニックには映画の全てが詰まっている」と勧められ、22年振りに観ることにした。
巨額を投じたハリウッド映画、あの有名で壮大なロマンチックシーン、セリーヌ・ディオンが高らかに唄うエモーショナルな曲。それら分かり易すぎるイメージのせいで、映画が散々バカにされているところをこれまで何度も見てきたので素直にもう一度観たいと思えなかったが、当時理解出来なかった英語を確認できて面白いかなと思った。なにしろコロナで自粛が続いている。時間は溢れるほどあるのだ、見てみようと。

観終わった結果、映画の全てが詰まってるかどうかは疑問だったけれど、19歳の私が理解していなかったのは英語だけじゃなかった、ということが分かった。
私は映画を観て、ボロボロと涙を流した。今の私は若い男女がお互いを認めて恋をするみずみずしい瞬間がどういうものなのか知っていたし、死を受け入れ、その時がくるまで仕事をやり遂げる船員と音楽家の姿に仕事をする人間として感動した。心の中にある、もう二度と触れられぬ過去の想い出を抱えて生きる老婆の姿にさえも、自分自身を重ねることが出来た。

分からなかった事が分かるようになる経験は、学生時代の勉強で散々やってきた。勉強では学びのスタート地点があり、経過があり、理解という結果がある。
22年間の間に、私は恋とは愛とはどんなものであるのかを自分なりに体験し、仕事の責任と他者への奉仕を経験した。歳を重ねて行く事が深く切なく儚いことであるという事実の片鱗を見てもいた。19歳を一つの人生のスタート地点としたら、そこから”分かっていなかった私”が、分かるようになった経過を図らずも走馬灯のように見せられた、そんな映画体験だった。

タイタニックはもう後20年は観なくていいくらいお腹が一杯になる映画だったけど、ルームメイトだったジェニファーが今どこでどうしているのかを知りたくなった。そしてあの時、一緒にタイタニックを観に行ったことを覚えているか、それを今、彼女に聞いてみたい。

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