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劇場へ行った日

6月12日土曜日。金曜の夜はずいぶんと遅くに寝たので、9時過ぎに目が覚めた。遅いスタート。
東京は5月中旬に梅雨が来たかのような雨が続いていたのに、6月に入るとすっかり晴れてもはや夏のように暑い。
母に電話する。母は昨晩私の一人目の弟と2ヶ月ぶりに電話したようで、嬉しそうだった。彼は仕事の話となるとそれはもうよく喋る。昨日もそうだったんでしょうと聞くと、
「そりゃもう。しかし我が家の3人姉弟はそれぞれに語ってくれて楽しいわよ!」と明るく笑っていた。

今日の予定は午前中のピラティス、そして夜は3年ぶりに観に行くNODA・MAPのお芝居。何年か前に、野田秀樹さんの舞台は見ておかねばなるまいと観に行ってからというもの機会があれば行くようにしている。
数ヶ月前に応募して取れたチケットは貴重だったが、今夜は他に観たいミュージシャンのライブが配信されることになり、もう舞台のチケットは手放してしまおうかと考えがよぎった。でも、ライブ配信は別の日だって観られるのだから、と自分をなだめ、舞台へ行くことにしたのだった。ライブ配信は、今この瞬間に歌っているのだなぁ!と思いながら観るのがいいんだよ!と、言っている自分も居たけれど。

池袋という街には思い入れもないし、用がなければ行きたいと思わない。人が多くて雑多過ぎるから。渋谷も新宿も同じといえば同じだが、空気が違う。
今日の舞台がある東京芸術劇場はそんな池袋にある。ここ数年はお芝居を見るためだけに行く街になった。
 劇場へ向かう電車の中で、観たかった配信ライブが始まる時間になってしまった。どうせ見られても15分か20分なのだ。途中でブツリと切るくらいなら見ない方がいいんじゃないか?という気持ちもあったが、我慢できずに配信を見始めた。
今まで、電車の中でイヤホン付けて携帯の画面を見て楽しそうにしている人はなんだか公共の場でちょっと恥ずかしいよなあと思っていたけれど、今日の私はまさにそれだった。
池袋に着いた。出口を探す、舞台の開演まであと9分。早足で人混みを抜けながら耳ではライブの歌を聴いたまま、エスカレーターを登って劇場に到着。そこでやっと諦めてライブ配信を切った。

舞台のチケットは、手放さなくて本当に良かった。何の前情報も入れず、ただ題名「フェイクスピア」とチラシの写真だけを見て行ったのでどんな物語が始まるのか全く分からなかったけれど、すぐに引き込まれた。
言葉と、生と死の物語だった。
お芝居の後半に、発せられて来た言葉と物語の意味が一気に繋がった瞬間があり、それまでの時間と膨大な言葉がもう一度ぶわーっと押し寄せて来て、感動で胸がつまって涙が流れた。
主演の高橋一生さん、舞台の上のその声には微塵の迷いも嘘もなく、存在が輝いて見えた。言葉は発する人間の心が純粋で、受け取る人間の心が純粋であるときに初めて、本当に意味を持って響いてくるんだなと思った。

余韻が抜けず、ぼんやりしながらとぼとぼ歩いて劇場を出た。すばらしかった舞台を見た後ほど、歩いて帰りたくなる。家はどっちだ、と調べてみたら徒歩2時間半と出たので、さすがに冷静になり電車で帰ることにした。

始まる前は、舞台の後で見られなかったライブ配信を見ようかななどと思っていたけれど、受け取る体力を使い果たし、感動で胸が一杯だったので、ライブ配信は明日の楽しみに取っておくことにする。



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