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家族の事実と幻想

 演劇が好きで、興味ある舞台はチケットを取って観に行くことを楽しみにしている。すごい舞台を観た後は歩いて感情を落ち着かせ、頭の中を整理したくなる。その日もそうだった。池袋の劇場を出て20分ほど電車に乗り最寄駅で降り、まだ夢の中にいるような余韻にふけりながら歩いていると、突然左側の家から怒鳴り声がした。
「これは私の所有物だよね!?」
すごい剣幕で怒っている女の声。
私の所有物?まるで舞台のセリフのよう。はっきりとは聞こえないが、返事をする相手の男の声が小さく聞こえた。それにまた答える怒声。
「これは私の所有物だよね!?でも、じゃないよ!イエスかノーで答えろ!」
どんどんと大きくなる声。舞台を見て来たばかりの私にとってそれは、物語が現実にも続いているかのように感じるおもしろい瞬間だった。
立ち止まらず歩き続けたけれど、一度だけ振り返り声が漏れてくる家を見た。建売らしき同じ形をした、特筆すべきところもない家が二軒並んでいる。
東京の真ん中に一軒家を持つ家族。おそらく喧嘩しているのは夫婦。さぞお金があるのだろうと想像する。どれほどの稼ぎがあれば東京のど真ん中に一軒家を持てるのだろうか。きちんとした家。けれどその家の中に執拗に怒鳴る人間がいて、それを受け止めている人間がいた。

何か事情があってこうなったのだろう。怒鳴っている女は、怒ることをずっと我慢していて、それがたまたま爆発した瞬間に私が家の前を通ったのかもしれず、いつもは仲の良い夫婦なのかもしれない。他人の私がとやかくいうことではない。
でも、声が聞こえなくなるところまで歩いてから、あぁ嫌だと思った。
私は誰かにあんな風に怒鳴りたくないし、誰からも怒鳴られたくない。そんな日常があるくらいなら家族を持たず、一人でいる方がずっとましだろうと心から思った。嫌な気持ちを振り払うように早足で進み、いつもとは違う道を通ったら正面に夕日が表れとても眩しかった。
オレンジの光の中、歩いている親子の姿が見えた。小さな男の子と両親。父親は牛乳が入ったビニール袋を下げている。男の子は子供用の小さなビニール傘をさしている。母親は二人に何かを話し続けている。私は後ろを歩き様子を観察し、ゆっくり散歩する親子の様子に彼らの穏やかな日常を想った。

3人は左へ曲がり、家が密集する方へ歩いて行ってしまった。これから家に帰ってきっと一緒に夕食の支度でもするのだろう。買った牛乳は子供が飲むのだろうか。
私は知ることが出来ない、彼らの幸せな日常を想像した後に思う。
この家族にも、もしかしたら怒鳴り合いの喧嘩をする日があるかもしれない。そして、これは私の所有物だと怒鳴っていた女にも、こんなふうに穏やかな夕方はきっとあるのだ。怒鳴った相手と笑い合うことだって。何が本当の姿かなんて、私に分かるわけがない。
不幸な喧嘩。幸福な散歩。私が垣間見た2つの家族の瞬間はまぎれもなく存在していた事実だけど、決してそれだけが全てではないのだろう。真実は分からない。一点だけを見るということは幻想を見ているようなもので、私には知り得ない家族の姿があるのだろう。
池袋で見た舞台の余韻はどこかへ吹き飛び、私はその後スーパーに寄って安物のデザートを買って帰った。スーパーで売っているスイーツはそういえば、みんな同じ種類の砂糖の味がする。


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