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画家が夢見た青空

仕事で仙台へ行った。ホテルの部屋は扉を開けたらすぐにベッドが見えるような小さな部屋だった。空気を入れようと窓に近づいたが、埃がたまって汚れた窓は開けられないようになっている。
ここで2泊するのかとげんなりしたのに、2日目の夜、お風呂から上がりベッドに腰かけたらもうすっかり体が部屋に馴染んでいることに気が付いた。

仙台3日目の朝、ぼんやり懐かしい気持ちで目が覚めた。
久しぶりに鹿児島の祖父が夢に出て来たのだ。甚平を着て楽しそうに喋る祖父の隣に座って私は手を伸ばし、その背中にそっと触れた。夢だったとしても会えて嬉しかった。
仙台の仕事はすでに終え、あとは帰るだけ。快晴の金曜日。東京でやるべき仕事があったが、夕方までに帰ればよいと駅に荷物を預け街へ出た。
日差しがジリジリと暑い。汗をかきながら、もう何年もタイミングが合わず行けなかった光源社という店に向かう。日本中の工芸品を丁寧に扱うお店で、店員さんは実直、発する言葉とその人の心がちゃんと繋がっているようだった。お店とそこで働く人がとてもよく似ていた。

素敵な物と人に触れて気持ちが高まった私は、行くかどうか迷っていた宮城県美術館へ行くことにした。全く聞いたことのない画家の展示だったけれど、ためしに行ってみようという気になったのだった。

画家の名前は香月泰男さん。1911年生まれで、画家として活動中の31歳に太平洋戦争で兵隊として満州へ行き、戦後はソ連に抑留され2年間シベリアで強制労働させられていた。
その時の記憶を元に描かれた絵があり、そのどれにも主に真っ黒い絵具が使われていた。重く暗く、底の見えない黒だった。

内臓まで凍りつきそうな寒さの中での森林伐採や建築現場での穴掘り、朝8時から17時までの過酷な労働にほんの少しの食事。どんどん仲間が倒れ死んでいく毎日。

そんな中でも彼は、自分が切り倒したばかりの木の断面のみずみずしさに能の舞台のような静謐さを感じて美しさに見惚れたり、労働後ふと目を上げた先に沈みゆく真っ赤な太陽を見て、その力強さに心震わせたという。

絵と共に展示されている香月さんの言葉を読み、その凄まじい現実に苦しくなりながらも感動した。すぐそこに死があり、希望が無い毎日でも目の前の自然に美を見ていた香月さんの柔らかくも強い心、それが彼を生かし続けたのかもしれないと思った。
絵の前に立ったまま、その日の朝、夢に祖父が出て来た事をはっと思い出した。祖父も満州で兵隊となり、同じくシベリアで4年間の強制労働の末日本に戻ってきた人だった。
祖父は私によく言っていた。ソ連兵もいい人達だった。悪人は誰もいやしない。戦争に翻弄されただけだ。平和ほどありがたいものはないよ、と。祖父のその優しい心もまた、祖父を生かし続けたものの一つだったのかもしれないと思った。

かつてシベリアに居た祖父を夢で見た日に、こうしてシベリアでの日々を描いた画家の作品を見ていることが不思議で、奇妙な縁を感じた。

帰りに一枚絵葉書を買った。真っ黒い土の中に浮かび上がる青い空とそこに浮かぶ白い星の絵。それは、香月さんが辛い労働の中、いっそのこと蟻になって土に潜り穴の中から青空を見上げていたい、と想像した時の絵だった。
暗い穴の底からは、昼間でも青空に星が微かに見えるらしいと聞いて星も描いたという。なんて悲しくて美しい想像だろう。
東京に戻り、私はその絵葉書を冷蔵庫に貼って毎日眺めている。



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