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53日ぶりのポートレイト

先日、撮影の仕事があった。久しぶりの人物撮影。数えてみたら、53日ぶり。
もう風景写真じゃなくそろそろ人が撮りたい、という欲がふつふつと沸いていたところだった。
文芸誌からの依頼で、小説家のポートレイト。zoomでインタビューは済ませたので、あとは作家さんを某公園で撮影して欲しいとのこと。いつもは車で移動するけれど、機材も少なかったのでリュックにカメラを入れて電車で移動した。平日の昼間、車内に人はまばら。

待ち合わせ時間前に公園をロケハンし、駅へ戻ると改札前に編集者のHさんを見つけた。マスクをしている。離れたところから名前を呼んで近づく。久しぶりに会ったのでお互いに声が弾んでいるし、目だけでも笑っているのがよく分かる。
近況報告に盛り上がっているとふと人の気配を感じ、見ると男の人がこちらに向かって歩いて来ていた。背が高く、体はがっしりとして、きりっと強い目をしている。
編集さんが、「Yさん!」と作家さんの名前を呼んだ。
Yさんは手にマスクを持っている。「マスクしてくださいね!」と編集さん。
しっかりマスクした私達2人にじっと見守られ、照れくさそうにほんの少しだけ口の端で笑いマスクを付けるYさんの姿を見て、私は少し緊張がほぐれた。

紹介されて挨拶をした時、こちらをまっすぐに見る目を見て、さらにほっとした。最初の挨拶で人と目が合った時、その人とコミュニケーションが上手く行きそうかどうか、なんとなく分かる気がする。Yさんとはきっと大丈夫だと思えた。
目を合わせれば、こちらにしっかりと意識を向けてくれているかどうかが、言葉を多く交わさなくても伝わってくる。

移動しながら公園や高架下で撮影した。まっすぐカメラを見るYさんの佇まいは素敵だった。静かで、ずっしりとした重さがある。そして鋭くて優しい。どこか、Yさんの書く文章に似ているなと思った。

ポートレイトを撮る時、私は相手の一部だけを垣間見ている。だけど、たった数分のやり取りの中で、相手が今まで生きてきた時間や持っている想いの片鱗に触れられると思っている。ほんの一瞬、その片鱗に深く触れられる事に、たまらない魅力を感じてしまう。ぐわっと血がたぎるような興奮がある。

撮影している時間は10分もなかったけれど私は気持ちが高ぶり、終わってから作家さんを見送って編集さんと電車に乗り、解散した後もまだ興奮してそわそわしていた。このまま真っ直ぐ帰っても落ち着かない。
電車を乗り換え、等々力駅のアナウンスで思わず下車して等々力渓谷を散歩。さらに近くの日本庭園を見学し、それでも足りず側にあった古墳のてっぺんに登って街を見下ろしてやっと、さて帰ろうという気になった。
等々力駅に戻る頃には夕方で、気持ちは落ち着いていたので電車に乗って帰った。もっと人を撮りたいと言う気持ちに、ますます火が付いた日だった。



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