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隣の部屋から消えた声、日々の淡い気持ち

今の部屋に引っ越してきた去年の6月、引越しの挨拶で両隣の部屋を訪ねた。

右隣は表札が出ているのに、いくら訪ねてもいつも留守。よくよく1階のポストを見ると、その口はテープで閉じられていた。部屋は空っぽだったのだ。
左隣の部屋からはおしゃれな金髪の女性が出てきて、うちには子供がいるからうるさいかもしれませんと言い、どこから越してきたんですか?と気さくに聞いてくれた。オープンな人だった。

それ以降、金髪の女性とは廊下で、エレベーターで、とにかくよく遭遇した。話に聞いていたお子さんといつも一緒だった。
お子さんは数ヶ月の赤ちゃんで、丸々とした骨太の元気な男の子だった。
彼女とは会うたびに短く言葉を交わした。天気がいいとか寒いとか、桜が咲きましたねとかそんな些細なことを。そして私は、赤ちゃんにもこんにちは、かわいいねと声をかけていた。

私が住んでいるマンションは壁が厚いのか、普段は周りの生活音がほとんど聞こえてこなかったが、隣の赤ちゃんの声だけはよく聞こえてきた。
笑う声、泣く声、まだ言葉にならないおしゃべりのような声が。

夜中の3時や4時、寝室の隣からの大きな泣き声で目が覚めて、しばらく寝付けない事も多々あった。ああ、うるさい。そう思いながらも隣の赤ちゃんの丸々とした顔を思い浮かべると、ああ、あの可愛い子が泣いてるんだと優しい気持ちが湧き、もう一度眠りにつこうと布団の中へ潜ることが出来た。

夏が来て、秋が来て、冬になり春が来る。全ての季節を新しい部屋で初めて過ごす私の日々には、あの可愛い子の声が寄り添っていた。
会うたびに少しずつ大きくなり、私がかけるこんにちは、の言葉に照れて微笑み返すようになり、廊下をよちよち歩きはじめ、最近は廊下をぱたぱたと小走りして楽しそうに笑い、私のこんにちはやバイバイにも応えてくれるようになっていた。
それは何の期待もない、その瞬間だけを楽しむ時間だった。

ところがここ数日、なんだか毎日静かだなとふと気が付いた。
そうか、あの子の声がしないんだ。
近所のコンビニからの帰り道、道路から自分の部屋を見上げ、隣の部屋のベランダに目をやると、いつもそこにあったはずのものが無くなっていた。
部屋へ戻りベランダへ出て、ひょいと体を乗り出し隣のベランダを覗き込む。
そこにあったであろう洗濯機の跡が床に残っていた。物干しも無い。ベランダは空っぽだった。
乗り出していた体を引っ込めて思った。そうか、引っ越したのか。ちっとも知らなかった。
そして少しだけショックを受けた。10日ほど前、廊下で隣の金髪のお母さんとあの子に会ったばかりだった。その時、引っ越すことを言ってくれても良かったのに。

その後ふと、あの子の成長を見ることは、もう一生ないんだな、と思った。
あの子を可愛いと思った気持ち、会うたびに成長に驚き笑いかけていた時間、隣から聞こえてくる声に微笑んだ事。
その全てが、ぱあっと蒸発して消えてしまったようで急に寂しくなった。こんなに突然居なくなってしまうんだったら、あの時間は何だったんだろう。
とはいえ私たちはたまたま隣り同士だっただけで、名前だって最初に聞いたきり忘れてしまうようなただのご近所さんだったのだ。

でも、あの小さくてとるに足らない淡い交流の時間や優しい気持ちが、どれだけ自分の日々の隙間に入り込んでいたのかを想うと切なかった。
彼らがどこへ行ってしまったのか、調べようとすればきっと方法はいくらでもある。そして訪ねて行って、もう一度あの子の顔を見ることだって出来る。

でももちろん、そんな事はしないと自分でよく分かっている。




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