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この空白に

2020年4月、私のスケジュール帳はまっしろになった。ノープラン。ゼロ。撮影がなくなり、行くところがなくなった。フリーランスで写真の仕事をしている私は、コロナの影響を大きく受けたのだった。独立以来、初めての空白。

1月から3月までは忙しかった。2月、コロナの報道が増え、中国の武漢という街の名をはじめて知った。ニュースに心を痛めながらも、まだ遠い世界の出来事に見えていた事が、下旬になるとじわりと近づいて来た。
3月、学校は休校。感染者が増えはじめ、撮影を担当した演劇の舞台も中止になった。役者とスタッフが準備した全てが日の目を見ない切なさにただうなだれた。いよいよ他人事では済まされなくなってきた。でも、決まった撮影は普通に行われていた。
3月下旬、日本も都市封鎖をという話が出て、LINEには4月からロックダウンだから準備をして!というメッセージがいくつか届いて、少し怖くなった。感染者数はじりじり増え、志村けんさんが亡くなり、彼を見て育った全世代が悲しみにくれた。
4月、気が付くと、仕事が激減していた。フリーランスの危機!廃業?!が頭を駆け巡ったけれど、いくつかある仕事をがんばろうと気持ちを切り替える。そこへ、緊急事態宣言。

これを機に撮影はすべて延期。私のスケジュール帳はいよいよまっしろになった。気持ちは晴れず、夜は弟から面白いよとすすめられたアニメをアマゾンプライムで見た。北欧の少年が主人公の復讐劇。戦で沢山の人が死んでいた。極限の人間の物語を見て不思議と心が落ち着いた。
数日後、沖縄に住む幼なじみから元気かと届いたメールに返事をし、送信ボタンを押した後、ふと糸が切れたように暗くなった部屋で私はさめざめと泣いた。想像もしていなかった現状、仕事が無くなった事実、これから先世界はどうなって行くのかの不安。無意識に少しずつ積もっていたストレスがはじけたんだな、と泣きながら思った。

泣いた翌日は少し落ち着き、嘆いていても仕方ない、この時期に今まで出来なかった事をやればいいと静かな決意が湧いた。幸い、撮影した仕事の写真処理や雑務があり、しばらくはパソコン作業に追われていた。
作業の合間に散歩に出ては、だいたい半径2キロ内を歩き回って写真を撮った。人の世界で何が起きても桜は散って新芽が出て、風と雨が汚れた空気を一掃し、東京ではあり得ないほど光が澄んでそのへんにある普通の道さえもが、はっきりと目が覚めたように美しく見えた。

あらかた仕事を終えた中旬以降は自分の写真や資料の整理、散歩して写真を撮って映画見て、時々友達とオンラインで近況報告し、淡々と過ごしていた。
毎日は泡が弾けるように瞬く間に過ぎ去り、気がつくと4月が終わろうとしている。あれ、私は一体なにをしてたんだろう。成し遂げたかった事はもっとあったはず。あの静かな決意はどこへ行った。これからもただ過ぎていく毎日を想像してちょっとぞっとした私は、やってみたくて放っておいた事をひとつはじめようと、登録してそのままになっていたnoteをはじめてみることにした。




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