ポケモンGOは命を救う
フィールドリサーチを常習的に行う者であればその途中で生命の危機に瀕したことくらいあるだろう。私は一度死を覚悟し、二度もうダメかもと思ったことがある。死を覚悟した方はトラウマなので今語る気にはなれないが、ダメかと思ったくらいならここでおもしろおかしく語ることにそれほど抵抗はない。今回はそのうちのひとつ『十勝岳遭難未遂事件』について語ろうと思う。
序
1982年生まれの私にとってポケモンブームは中学生の頃に訪れた。しかし私はその波に乗ることなく大人になった。子どもから大人に変わろうとしている時期だから「ポケモンなんて!」と思ったわけではない。スーパーファミコンばかりやっていたからである。ちなみにその頃にはもうプレイステーションが出ていたが、家にあったものの接続の仕方がわからなかったのである。つっこむのはやめてほしい。いろんな子どもがいる。
そんな人間がポケモンのすさまじさを知ったのは2023年5月23日(これは1926年大正15年5月24日に十勝岳が大噴火を起こした、その日の前日)のことである。端的に言うと、ポケモンGOがなかったら私は命を落としていたかもしれない。だがこれはポケモンGOというゲームだけに救われた話ではない。私が子どもの頃から世界中の人たちを魅了し続けてきたポケモンというコンテンツの積み重ねだと思っている。Googleマップにはおそらく永久には到達しえない文化に対する人間の愛と情熱が、北海道の真ん中でひっそりと一人の人間の命を救ったのだ。
この文章はエッセイの皮を被ったポケモン讃歌である。
十勝岳の山開きは例年6月18日や19日など下旬に近い6月中旬だ。山開きとは一般的に「登山しても良いですよ、山小屋も使えますよ、気をつけて登山してくださいね」とアナウンスをする日である。裏を返せば、山開き以前は「とても危険ですよ」ということになる。どんな山にも危険はつきものだが、それでも道を整備したり清掃したりすることで少しでも山登りの環境が良くなるのが山開き以降である。私が遭難未遂にあったのは5月23日なので山開きの1ヶ月ほど前の時期だった。
事件が起こる前年の2022年にも十勝岳を訪れた。凌雲閣の青野さんに望岳台まで車で送ってもらい、そのときは山小屋にも達しないもっと手前まで登って引き返した。感覚的には3合目と4合目の間くらいだと思う。目的は泥流の元になったと言われている残雪が5月下旬の十勝岳にどれくらいあるかをドローンで撮影するためなので残りはドローンに登ってきてもらった。
一方、2023年は2022年とは違う意図を持った作品を作ろうとしていた。2023年は5月24日に大正火口の写真を撮ることになったため火口の近くまで登る必要があった。火口の多くは頂上に近いところにある。火山島は例外で裾野から噴き出すこともあるが、十勝岳は北海道島を作った火山ではない。火口付近まで行くのならまたドローンに行かせればいいじゃないかと思うかもしれない。しかし、気づいたら目視外飛行の許可証の期限が切れており、新たに承認を得なければ目視できる範囲外で飛ばせなくなっていたのである。また、2022年12月に新たに設けられたルールに気がついたのは撮影前々日だった。私の落胆は想像に難くないと思う。2023年も2022年と同様に大正火口から望岳台までゆっくりドローンを飛ばす予定だった。しかしそれでは目視できない。しかも新ルールによる補助者もいないし当時はレベル3.5飛行もなかった。火口から裾野まで立入管理区画を作れるはずもない。そんな状況でたった1日で制作可能な作品を思いつかなければならなかった。登山者の朝は早いから夜もまた早い。静かな宿の休憩所でキーボードを叩きながらこの状況で何なら制作可能かを午前1時まで調べた。そうしてできたのが『5月24日に大正火口を撮る』である。
美術家のみんなは律儀に法を守る(という体でいる)私を疎ましく思うかもしれない。安心してほしい。みんながドローンのルールを無視して作品を作ったとしても私は何も思わないし、その作品がすばらしかったら賞賛する。誰でも少しくらいは法律違反をして生きているものだから、私は作品の作り方などは人に問わないようにしている。一方で、法を守らなければドローンで撮影した映像を展示できないという事例もあったので、遵法精神が溢れていて良かったとも思っている。美術家は必ずしも美術関係者とだけ仕事をする訳ではない。できる限り社会の規範を守って制作して損はない。
私は2022年から十勝岳の噴火という地球の活動と生命の生死を重ねる作品を作ってきた。1926年(大正15年)5月24日に十勝岳は噴火した。上富良野と美瑛合わせて144名もの犠牲者を出した巨大な噴火だった。もちろん動物も田畑も家屋も甚大な被害を受けている。そして、犠牲者の多くが本州からの開拓民だったことはもっと知られて良い。アイヌ民がその一帯を「フラヌイ(富良野の語源。臭い川を意味する)」と名付けた理由に気づいていれば、アイヌ民と和人が心の通った交流をしていれば、少なくともここまでの犠牲はでなかったのではないだろうかと想像する。それを人に言うと「アイヌの人たちも十勝岳の過去の噴火をどこまで知っていたかわからないから」となだめられる。きっとそうなのだろう。そうなのだろうが、それでもどうにかならなかったのかと思わずにはいられない。
大正噴火がもたらした大正泥流の凄まじさについては三浦綾子著『泥流地帯』に詳しい。フィクションだが丹念な取材がなされている。私は2021年に上富良野開拓記念館を訪れて80代と思われる受付のおじいさん(三重県からの移民四世)に大正泥流について聞いた。大正泥流を覚えている人はその時点でかなり少なくなっており、高齢なため話を聞くのは難しいと言っていた。おじいさんが両親や祖父母から聞いた話も多くはないらしかった。あるいはいきなり訪ねてきた素性不明な者に肉親の辛い記憶を話す気になれなかったのかもしれない。私は車ではなく電動自転車で来ていたし格好も汗だくで小汚い。弱っちい見た目という以外警戒の対象だったことだろう。それでもおじいさんは私を開拓記念碑まで案内してくれた。おじいさんの軽トラに電動自転車を積んで。そんな私とは対照的に三浦綾子は時間をかけて被災者との関係を構築し取材している。十勝岳の噴火について知りたければ彼女の仕事は一読の価値がある。
破
2023年5月23日、十勝岳遭難未遂事件当日。本番の撮影は24日なのでこの日は下見兼山登りに体を慣らす準備登山の日とした。500mlのペットボトル2本、昼ごはん、スーパーで買ったチョコレート菓子、ドローンを持って白銀荘を出た。
車を持たない私はこのまま白銀荘からアタックする。上富良野の人たちからは「白銀荘から横に行けば30分で望岳台から伸びる登山道にぶつかる」と聞いていた。簡易な地図を見ると、たしかに白銀荘から歩き登山道に着いたときは2.5合目くらいになっている。1時間歩いて望岳台に行くよりもそのままここから登山道へ向かったほうが断然疲れないし時間も節約できる。登山道までの途中には沢があり道も整備されていないとも聞いていたが、上富良野の人たちの口ぶりからも簡易地図を見た印象からも、さして問題はないと思われた。だが5月24日に沢に落ちるはめになるのだがその話はいつかまた。白銀荘の横には入山届のポストがあった。大々的に推奨しているわけではなさそうだがこの登山口を知っている人は知っているし、このショートカットの道はないことにされているわけでもないようだった。
白銀荘を出てからは多少迷うこともあったもののそれでも何となく道のようなものが見えた。不安なのは熊だけである。動物の足跡がないかは注意して観察する。熊鈴は家にあるが使用していない時は愛鳥のヒミちゃんの籠に飾られている。ヒミちゃんが羽繕いの最中や移動のときにふと体が触れてささやかな鈴の音が響く。私が使うときだけヒミちゃんから借りる算段になっていたがこの時は持ってくるのを忘れたため手をパチパチ叩いて自分の存在を自然に訴えかけた。途中で動物らしき足跡を見つける。きっと鹿か狐だ。そうに違いない、熊にしては小さいと暗示をかける。
歩いて10分くらいだろうか。行き止まりにぶつかった。前方左には何か建物がある。とすると右に曲がらなければならないのかと思い曲がったが怪しい。植物がまばらだから歩けるといえば歩けるが道という感じがしない。植物で塞がれているけれどかき分けて行くしかないのか。いや、やっぱり変だ。ここはささやかだが登山口もある登山道だ。戻ろうと思い振り向いたら自分がどこから来たのかわからなくなり突然道を見失った。
自然のなかで自分がどこにいるのかわからなくなる経験は二度目である。若かりし頃ベルリンの森で作品の撮影をしていたとき、リュックサックを置いて森の中を散策していた。根拠地であるリュックサックに戻ろうとしたとき、突然森がどこもかしこも同じ風景に見えた。私は何度もぐるぐる森の中をさまよった。この体験は映画などで使われる心理描写によく似ている。どこまでも続く同じ風景。まっすぐ行けば良いものを不安により曲がってしまいまた同じ場所に戻ってくる。
森とはいってもあくまでドイツの森なのでほぼ確実にどこかしらに人はいる。ドイツに住む人の多くは散歩など屋外での活動が好きなので森には大体誰かいるものなのだ。私はさまよっている間に何やら準備をしている二人のネオヒッピー風の男性をみつけていた。彼らも私をみつけていた。しかしそんなことには構っていられない。リュックのなかには財布も入っている。海外で財布を失くせば大変な目に遭う。私はぐるぐるぐるぐる、おそらく同じところを何度も歩き回った。
その内にネオヒッピーの一人がやや遠くから私に話しかけた。私のことをずっと目で追っているのは気づいていた。何だと思ったら「リュックそこにあるよ」と教えてくれたのである。彼が言う方向を見ると本当にあった。私はお礼を言いリュックの方へと向かった。そのときネオヒッピーは私に「Crazy」と言い放ったのだ!えっと思ったがとにかく早くその場を離れたかったので反応するのはやめた。彼の髭面はまだぼんやり覚えている。お兄さんその節は本当にありがとうございました。何してたんですかそこで。
そういうことがあったためトラウマがフラッシュバックする。ここはドイツではない。今この時期にこの道を散歩する人はいないだろう。まず私が白銀荘を出たのが遅かったし、登山の時期ではないので宿自体も閑散としていた。私は動かずに考えていた。落ち着いて考えれば解決することが多かったのが40年生きてきたなかで得た知見である。
静かなので熊に備えて耳を澄ます。前年十勝岳を登ったときは木も植物もそれほどなかった。だからこの道も同じようなものだろうと思い込んでいた。しかし、実際はなんと植物が多いことか。熊が出たら、とまた心が不安定になる。ご記憶の方も多いと思うが、2023年も札幌市内に熊がたくさん出没した。5月22日までは南区を中心に48件である。それを心配する母には「火山だから餌になるようなものはない」と言って流していた。でもこの辺にはたくさん植物が生えているではないか。
そうだ、Googleだ。Googleマップならどっちに行けば良いか教えてくれるだろう。ありがたいことに電波はある。GPSもあることは前の年にドローンを飛ばしているから知っている。私はスマートフォンでGoogleマップを開いた。とりあえずの目標として目指す九条武子歌碑方面への道は、Googleマップにはまるでなかった。
鳥が鳴く。愛鳥家は鳥の鳴き声に対し愛おしさを感じるものだが、今の心理状態では怪鳥の叫び声だ。春望風に言えば、
恨Google鳥驚心
(Googleを恨んでは鳥にも心を驚かす)
Googleマップが使えないトホん当に不便。
いや、Googleマップは100%使えないわけではない。九条武子歌碑の方向は示している。コンパスだ。iPhoneにデフォルトで入っているコンパスを使えば行くべき方向はわかるはず。
この考えは実際ダメである。方向がわかったとしてまっすぐ歌碑の方へは行けない。ゼルダの伝説ブレス・オブ・ザ・ワイルドでも目的地に向かってまっすぐ進んで川を渡り崖を登って酷い目に遭ってきたのに、ゲームでの反省が何ひとつ現実で生かされていない。やり込んだ結果はその辺の草がハイラル草に見えただけという。
しかし他にできることもなかったからコンパスの通りに進んでみた。普段でも道に迷ったときはコンパスか、時間と太陽の位置を照らし合わせて方角を知り進む。夜なら北極星か惑星だ。向かう方向さえわかれば大抵は目印となる建物などがみつけやすくなる。
私はすぐに歩みを止めた。どんどん藪の中に引き摺り込まれていく気がしてひたすら不安になった。コンパスは道をみつけるのに実際全然役立たない。植物をかき分けて進んだ道は覚えているからそこまで戻ろうとするが、元の場所に向かっている気がしない。若干登っている感じがするのも意味不明だ。ここは一体どこなのか。
もし今熊が現れたら。もう頭はそれだけである。熊の対処法は覚えている。じりじりと後退し熊間距離が開いたところでリュックサックをポンと投げる。熊がそれに気を取られる。その間に全力疾走すれば良い。理屈ではわかるが熊が気を取られなかったらどうすれば良いのか。背中を守る防具がひとつ失われるだけだ。
とりあえずGoogleマップを開いた地点まで戻ってみる。どこかわからなくなっていたが下れるところまでは下ったほうが良いだろう。頭は元の位置に戻ることと熊への警戒のふたつを同時にこなさなくてはならないから大変である。なんとなくコンパスを使う前の場所には戻れた気がした。コンパスの方向と真逆に進めば良いのだから楽勝といえば楽勝だ。収まりの良いところまで戻りまた考える。Googleマップはダメだった。というか、Googleマップは上富良野町営バスの情報も載っていないから元からダメである。
ポケモンGO……。
咄嗟に思いついた。きっと今までそれなりにフィールドワークやリサーチしてきたなかでポケストップすごい!体験をしてきたからだろう。
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