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チャーリーの「歌って生きていくサロン」Light
2020年8月4日 13:49
「ゴスペル日記 23」~実弾射撃~日本から友達が遊びにやってきた。 彼とは「骨折つながり」 つまり私がバスケで足を折って入院していた(第10話参照)ところへ 彼はスノボードで転倒し鎖骨を折って入院してきた。 私もスノボ好きで歳も近かったことから意気投合し退院後もちょくちょく遊びにいったりしていた。 さて、本日はその友達と射撃場に行ったときのお話。ゴスペルは出てきません、あ
2020年7月27日 02:37
ゴスペル日記 22 ~コンサートツアー後編~二日目の夜私たちのクワイヤがメインで歌った。ステージに置かれた席に着席。 パスター(牧師)も語りに熱がこもる。今夜は一体何曲歌っただろう?とにかくたくさんたくさん歌った。サービスも終盤に差し掛かり、それなりに収穫のあったツアーだったな~と想っていると、 「CheeseCake!!」 (←15話参照)マザーが私の名を呼んでる。 呼ば
2020年7月1日 01:06
「ゴスペル日記 20」 ~コンサートツアー前編~Jのバックが終わると今度は教会のクワイヤーのほうでコンサートツアーに行くという話が挙がってきた。この前はLA市内だったからよかったが、どうやら今回は他州に行くようだ。後日、ツアーの詳細をまとめた紙が配られた。 その中にあった言葉カンザス州ミズーリ州飛行機移動である・・・。気持ちとしてはモノスゴ~く行きたかった。でもショ
2020年6月30日 04:01
「ゴスペル日記 19」~R&Bバックコーラス~毎週教会のクワイヤでリハそして日曜に歌い週に2回大学でのゴスペルクラスその他にR&BやSoul,Blues,Jazz等を自主トレ生活のほとんどが音楽になりつつあったが、空き時間を日系ラーメン屋の皿洗い&便所掃除のバイトや留学生の空港送迎のバイトに明け暮れた(当時は規制もユルかった)そんなある日教会でリハをしているとボブ(アメリカ生活
2020年6月21日 07:40
ゴスペル日記 18 ~マザーのバックコーラス~教会のマザー(私の師匠)の思い付きというのは、どちらかというと彼女の歌よりもスゴかった気がする。なんというのか、とにかく突然の行動にはいつも「え?」というものが多かった。マザー 「明日の金曜空いてる?」私 「空いています」(空いてなくても空いてると言うことにしてる)マザー 「では12時に出発です」私 「え!?」いつ
2020年6月14日 03:00
ゴスペル日記 17 ~ソウルフード~毎週日曜日はゴスペルシンガー(教会ではミュージックミニスターと呼ぶ)として、教会で歌う。週毎にクワイヤ(ゴスペル聖歌隊)の種類が違い、歌う曲はスタンダード曲~全米のゴスペルヒット曲、そしてトラディショナル過ぎて謎な曲まで、年間約200曲と多数。第一&第三日曜日はメインクワイヤ(キッズと年配者は含まない)第二はヤングアダルトクワイヤ(キッズ&ティー
2020年6月9日 04:20
ゴスペル日記 16 ~リトル東京~あまりの貧乏生活にヤセ細ってブザマになった自分を鏡で見てヒジョーに悲しくなった。毎日モヤシ炒めじゃな。。自分がモヤシになっちまうたまにはいいもん食わなきゃなそこで行くことにしたのはダウンタウンにある「リトル東京」 そこはまさに小さな日本である。 住んでた家の近所にも日系スーパーはあったが、リトル東京はその比にならない。 そこには日
2020年5月28日 22:21
ゴスペル日記 15 ~教会~はじめて教会で歌ったのは大学でのクリスマス・コンサート明けだった。 晴れ渡った日曜の早朝乾いた空気見上げるパームツリーは空の青まで突き刺さるLAの冬はあまり寒くない。日中はジャケットを着ていれば暖かいくらいだ。テキトーにつけたクルマのラジオからはスムースジャズ窓を全開でユル~く走るのはなんともいい気分だ。赤い屋根の白い小さな教会。 そして
2020年5月26日 17:22
ゴスペル日記 14 ~貧乏生活~クルマをゲットと引き換えに凄まじい貧乏生活が始まった。 題して「1週間$10 作戦(ガゾリン代込み)」 *2002年当時のレートは$1=約120円くらいだったかなその名の通り1週間$10で1年間生活するのだ。 これは今までの人生で最高にケチった時期である。家賃は払わないわけにいかないので、それ以外は徹底的に節制した。 クルマで移動
2020年5月24日 20:16
ゴスペル日記 13 ~夢と現実~アメリカ大陸が見えてきた。そしてここから本当の留学が始まる。 まず最初は住むところだが、初渡米のときから世話になっている親友ベーシスト(後にvoicefreaksと留学プランで提携するLAの音楽学校の代表となるノリさん)の住むところに転がり込んだ。基本はホームステイなのだがそのホストファミリーが他州に住んでいるので実質、彼と一軒家を借りているような、な
2020年5月24日 03:28
ゴスペル日記12~再出発~それから数ヶ月後、私はアメリカ大使館にいた。 再び留学ビザの申請をするためだ。 最初に申請したときは大使館のほうでいろいろ事件があった?ことが原因なのか、自分の書類に不備があったのか(←多分それ)ビザが下りなかったため、毎回90日以内での渡米を余儀なくされたが、今回は徹底的に揃えた。 何が何でも行かなくてはならなかったからだ。 留学ビザの申請はハッ
2020年5月22日 05:00
退院後は盲目的に自分探しの旅だった。歌う事以外に自分には何ができるのかを探さなくてはならなかった。ある日、気が付くとなぜか寿司屋で握っていた。こんなツラして「へい!赤貝おまち」とか言っていた。またあるときは弁当配送で道に迷って怒られまくっていた。(天才的方向音痴です笑)最後は焦ってすっ転んで弁当100人分道路にぶちまけてクビ。。そうかと想えば当時のソフトネットのモモちゃん(ピンク
2020年5月17日 17:28
97年の初渡米以降、何かに取り憑かれたかのようにバイトに狂った。 貯金をしては98年99年と毎年のようにカレッジのスプリングとクリスマスのゴスペルコンサートに標準を合わせて3ヶ月渡米を繰り返していたが。しかしその後、柄にもなく音楽に行き詰まる。21歳のときである。 その頃、渡米を重ねる毎に視野が拡がり、今まで見えなかったもの、聞こえなかったものを感じれるようになってきたまでは良かっ
2020年5月5日 15:57
街行く人に「掘ったイモいじるなぁ!」 スーパーのレジ待ちで「掘ったイモいじるなぁ!」 郵便局で「掘ったイモいじるなぁ!」 腕時計を外してポケットに隠し、さも時計を持ってないかのように「掘ったイモ、掘ったイモ、掘ったイモ・・」・・・・ただのヘンタイである。しかしこのインチキ・イングリッシュが後に大活躍しようとはこの時点では知る由もなかった。 まぁそうこうしているうちにな