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町石道で高野山を目指した歩き旅

今回は1月21日に歩いてきた
高野参詣道こうやさんけいみち町石道ちょういしみちについて

ハイキングはいつも喫茶での
モーニングから始めますが
この日は早朝出発のため
前泊した麓の宿から出発です🙌

高野参詣道の町石道について

僕がこの道を知ったのは
前泊宿に8年前宿泊した時だと思う
その時は高野山周辺ハイクが目的で
山上の地図を見た時だったはず
宿泊した宿が町石道の麓起点の
九度山だったこともあって
いつか歩いてみたいなって思ってた

ただその気持ちは忘れてて
今年に入って急に思い出した感じ
寒いから春まで待とうかと思ったけど
先週は雪も無かったこともあり
今だ🙌となったのが今回の経緯😆

高野参詣道の町石道とは

高野山という単独峰は無く
標高約800mの盆地状の地域を指す

100以上の寺院が密集し
宗教都市を形成しています
真言宗の宗祖である空海が
修禅の道場として開創し現在も
真言密教しんごんみっきょうの聖地となっている

高野山への参詣道は7本あるが、その中でも弘法大師空海が高野山開創の際に切り開き、1町(約109m)毎に木製の卒塔婆そとばを建てて道標とし、その後も表参道として利用されてきた道が高野山町石道です。
鎌倉時代に覚斅かくきょう上人の発願により、朽ちた木製の卒塔婆の代わりに、20年の歳月をかけて現在の石造りの町石が建てられました。

町石には壇上伽藍(高野山)からの距離(町数)のほか、仏教を表す梵字、寄進者の名前、建立年月日や目的などが彫り込まれています。216基のうち179基については当時のものが遺り、参詣の様子を今に伝えています。

現地の看板(一部抜粋)

町石道も含めて高野山一帯は
紀伊山地の霊場と参詣道として
2004年に世界遺産登録されてます

町石がこちら

町石は高さ3mほどで五輪塔の形を模して造られています。
密教では、「宇宙は、の五つの要素から構成されている」いわれており、五輪塔はこの五つの構成要素を宝珠半月三角方形にかたどったもので、それぞれの部分に要素を表す梵字(サンスクリット語)が刻まれています。

現地の看板
高野山上の地図

町石道は麓の慈尊院じそんいんから高野山に通じる180町(曼荼羅まんだら胎蔵界たいぞうかいを表す)と壇上伽藍だんじょうがらんから弘法大師御廟こうぼうだいしごびょうまでの36町(曼荼羅の金剛界こんごうかいを表す)とに分かれています。

上の地図で言うと赤線が胎蔵界
オレンジ線が金剛界に該当します

実はこの内容を知ったのは
歩いてる道中の看板でした
最終地点は大門、壇上伽藍と
思ってたので正直な感想は
うわぁゴール遠なったでした😆

町石道(胎蔵界)で高野山上へ

前置きが長くなりましたが
どういう道かの基本情報と
自分自身の頭の整理も兼ねて
長々と書いてみました🙌

それを踏まえて慈尊院から
高野山上へ続く町石道について
道中の名所や風景とともに
振り返ろうと思います🌱

6:40に出発

辺りはまだ薄暗くて
東の空はほんのり朝焼け

慈尊院から町石を辿る

宿から慈尊院までは1kmほど
町石道ではないけど時代を感じる
建物が連なってて楽しめました
真田ミュージアムも含めて
また別で九度山には来てみたい🤗

慈尊院
慈尊院|本尊弥勒菩薩

絵馬の形状が少々気になりつつ
出発点である慈尊院の御本尊様に
道中安全、諸祈願をしました🙏

慈尊院境内から続く階段

寝起きにはきつい階段を登り
丹生官省符にうかんしょうぶ神社にも参拝
神社の裏から山道へ入りました

道中を案内してくれる看板
竹林と町石

町石が無いとどこにでもある
普通の道なのに町石あると
タイムスリップした感覚になる
その感覚は道中ほぼずっと…
山道と町石がそう感じさせるのかな

九度山と橋本方面

果樹園の中を抜けていくと
急に景色が開けてくる🙌
あいにく朝日は雲の中やけど
雲が染まってて絶景でした

絶景と町石

近くに展望台あったけど
立ち止まると極寒なので
歩きながら景色を楽しんだ

かつらぎ町方面

町石道はここまで絶景道🌱
ただそれは最初の2kmほど
その後は森の中をひたすら歩き
たまに景色が見える道でした

大門まで17km

山の看板でよくある
小数点が消えてるやつではない
目的地まで1.7kmではなく17km
これはもう道路標識レベル😆

出発から1時間先は長いと
悟った瞬間の写真です😓

名所で当時に思いを馳せる

絶景道から森の中へ…
代わり映えしない道ですが
所々に名所を知らせる看板がある
それは普通の石だったりするが
昔からこの道を見守った石なのかな
そう思うとロマンを感じてしまう😆

そんな道中の名所を紹介

榧蒔石かやまきいし

弘法大師がこの道を通り高野山まで登る途中、当時の山崎の集落の貧しさを見かね、この石の上から榧の種をまきました。山崎の地は榧の木のおかげで大いに栄えたと伝えられています。

現地の看板(一部抜粋)
銭壺石

1265年、町石道整備作業の際、北条時宗の外戚である安達泰盛が、この石の上に置いた壺に給金を入れ、作業員につかみどりさせて与えたという伝承があります。銭壺は上部がくびれているため、大きな手の者も、小さな手の者もつかめる量は大差なかったと言われています。

現地の看板(一部抜粋)
接待場の石像

空海は835年3月21日に入定にゅうじょうしました。毎年この入定の日に高野山で行われる法会を御影供みえくといい、大正末期まで人々は歩いて高野山を目指しました。当時、御影供の日に有志たちが高野詣の人々にこの場所で、握り飯や湯茶の接待を行なったことから接待場と言い伝えられています。
ここには空海の石像があり、石像を拝むと「遠く高野山奥の院の御廟を望む」と言われています。

現地の看板(一部抜粋)

言い伝えではあるけど
実際に現地に行くと
この場所でそんなことが…と
色々想像してしまいます😆

歴史ある道や場所は
こういうとこが他にない魅力👍
静かに楽しみました♪

名所ばかり取り上げたけど
町石はもはや当たり前のように
道を案内してくれてます

登りを突破すると林道のような
平坦な散歩道なところも…

六本杉から神田地蔵堂

六本杉|三谷坂分岐

丹生都比売神社への三谷坂と分岐
神社も気になったが町石道ではなく
一回下山すると登るの辛い理由で
今回は大門方面に向かいました

補修された町石(百廿六町)

補修されてる古い町石
町数が見慣れない漢字でした

百卅八町(百三十八)

調べてみたところ漢数字では
二十廿三十と書くそう
二十って書いた町石もあったけど
入り混じってるのは時代の違いかな🤔

二ツ鳥居

鳥居の横にある休憩スペースから
久々の景色を望めました🙌
天野という地区だそうで
六本杉分岐で神社へ行くと
この地区に行ったみたい🤗

ここから先は町石道も下り
先ほど見えた地区とは逆にある
神田ごうだという集落に下山する

久々の人里|手前の小屋はトイレ
神田地蔵堂

地蔵堂のベンチに腰掛け
柿の葉寿司を食べる😋
昔の人もここで休憩したかな♪

矢立茶屋までは森の中

序盤の絶景エリアから先
大門に至るまでほとんどが
森の中を歩くんですが
神田から矢立までの区間は
アップダウンも名所も少なく
ただひたすら森の中を歩いてると
実感できた道でした😆

町数以外の書いてる内容が気になる
百町🙌ただ中間は九十💦
町石ないと普通の道
杉林と町石(六十六町)

矢立まではおよそ5.5km
細かくアップダウンがあり
最終的には神田より低くなる
一筋縄では山上に行けないんやな😓

森を抜けて車道と合流する

矢立茶屋といえばやきもち👍
というのはここで知ったけど
小雪舞いだして寒すぎたので
暖を取りついでにGET😋

店内で食べれたみたいですが
腰を下ろすと根が生えそうなので
食べながら先を目指しました

大門までは山登り

矢立までは山の中を歩くが
高低差はほぼなく散歩に近い
ただ矢立から大門までは
山上に向けて登りが多くなる
矢立に茶屋がある理由は
登りに備えて…ってことなんかな

袈裟掛石

空海が山を登る際に袈裟けさを掛け休んだと言い伝えられる石。袈裟掛石は高野山の聖域と俗世の境界を示す清浄結界しょうじょうけっかいを表しています。この石の下をくぐると長生きするとも言い伝えられていることからくぐり石とも謂れています。

現地の看板(一部抜粋)

下の隙間が狭かったので
くぐるんはやめときました💦

聖域に入ったからか
辺りに巨木が増えてきた

さっき降った細かい雪が
溶けずに残ってる切り株
動いてるから感じてないけど
それほど寒いんやと実感❄️

奥の山の中央辺りが大門

目的地辺りがやっと見えてきたが
距離も標高もまだまだ😓
目的地は見えない方が
良いってときもあるよね…

景色ひらけたと思ったら
今度は川沿いの谷道を登る
総じて変化の多い面白い道🙌

気付けば十二町(約1.31km)

歩き始めは珍しいもの見るように
町石を目で追ってたんですが…
中盤からは当たり前になってて
町石をスルーしてしまってました

慈尊院で180だった町石も
いつの間にか12になってて
もうすぐ終わる嬉しさと
あと少ししかない悲しさが
心の中で錯綜しだす終盤です🤗

見上げると道路のガードレール
あそこまでの最後の登りが
疲れの蓄積もあり一番足にきた💦

登り切って見えた景色
そして高野山大門

高野山の盆地の西端にあり、西の入口の正門である。重層の五間三戸、入母屋いりもや造、銅瓦葺の楼門。大門は1688に炎上し、現在の門は1705年に落慶らっけいしたもの。

現地の看板(一部抜粋)

町石道の標識は大門を指してたが
大門の脇にある町石は六町なので
まだ歩き切ったわけではない😓

町石は高野山の町に入っても
最終地点の壇上伽藍まで続く…

一町は柵の中

目指した一町は石垣上の柵の中
近くことはできないけど
見つけることはできたので🙌

壇上伽藍|金堂と根本大塔

長かった町石道(胎蔵界)は
ここ壇上伽藍で歩ききりました🤗
その後、金剛界も歩きます
長くなるので、続きはこちら🌱

今回のルート

◉印:起点と終点
●印:記事で触れたスポット
○印:その他スポット

今回は山頂を一度も通らずでしたが
山をまいたり稜線歩いたり
谷を越えたりする道だったので
大門に至るまでは登り下りが多い💦
高低差は700mほどなのに実際には
倍以上の1700m登ってました🤗
充実感、達成感、最高でした🙌

YAMAPより引用した地図に書込み

町石道(胎蔵界)壇上伽藍まで…
・時間:約7時間15分、・距離:20.3km
・登り:1712m、・下り:950m
中川旅館(前泊宿)→慈尊院・丹生官省符神社→六本杉峠→二ツ鳥居→神田地蔵堂→矢立茶屋→大門→壇上伽藍

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