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病気と障がい

『口唇口蓋裂』
『性同一性障がい』

私には2つの言葉が当てはまる。しかし私はこの言葉が苦手である。というより素直に書くと嫌いである。それは特に差別的な気持ちではない。当事者である私自身が病気とも障がいとも思っていなければそれを抱えて生きていないからである。上手く伝わるかこれから書く内容は私自身の個の本音の意見として読んでほしい。

先天性といわれる口唇口蓋裂。これも病気の1種としてその名称がついている。私自身産まれた時から手術を何度も繰り返し、中耳炎や歯科矯正と今もある意味治療中ではあるが果たして病気と呼ばれる程なのか。そう思うのは今現在確かに顔には違和感もあり、口唇も口蓋も裂けて産まれているため傷跡も未だに残ってはいる。しかしである。自然と食事もでき、滑舌は悪いが話すこともできる。顔が病気で産まれているからといって仕事ができないわけでもない。極一般的な生活ができているのが現実だ。だからこそ「病気」と表記されるこの言葉に違和感がある。今も私は病気と共に生きているのだろうか?

よく目にする私は○○という病気です。というフレーズをSNSはもちろん、ネット社会でもよく目にすることがある。もちろん言論の自由であり、個の意見は尊重されるべきではある。が、同じ病気と呼ばれるもので産まれた私からしたらまだその言葉に縛られてるの?とすら思うのだ。病気という言葉で後ろ向きな発言が容易に想像できてはしまわないだろうか?

私自身も未だに歯列矯正をし、治療中ではあるが自分を病人とは思っていない。なぜなら一般的な生活ができているからである。もちろん人によっては症状の重さは計り知れないが令和のこの時代である。ネット社会でもあり仕事のあり方も変化してきている。だからこそネガティブな言葉がどこか残念に感じるのだ。同じ当事者だからこそ。

それでいうなら私はそれに加えて性同一性でもある。何度かこの言葉を記しているが私は敢えて障がいという言葉を書かないようにしている。なぜならこちらも自身を病人だと思わないからだ。男の身体だから男、女の身体だから女なのか?世界には様々なジェンダーがいる。性自認が女性でそのなりを目指していくことさえも障がい者と表現されてしまうことも、そのような差別的な目を向けられることもどこか悲しいものがある。今メディアでも取り上げられているLGBT法案などもあるが、詳しくはわからない。また別の機会にこの話はとりあげるとして、それくらい私は女性として生活させていただいているために関心も薄いのかもしれない。もちろんルールは守っている。同じ世界の人間のくせにと思われるかもしれないが、その中でも個は存在する。十人十色、色んな考えや思いがあってもよいはずである。

ここまで来るのに様々な困難なことは他の人より多かったのかもしれないが、それでも生きている。その経験があったからこそ今の私がいる。だからこそ病気や障がいという言葉にとらわれすぎて自身を見失わないでほしい。それが私の願いでもある。私自身が言葉を用いて発信するのは今後未来の当事者や関係するであろう人の為にもその言葉が風化して、心無い言葉や差別的な態度が少しでも減るようにとの思いがある。伝えることはなにかを残すことであり、後ろ向きな考えばかりを誇示することではない。

余談ではあるがこれも個の意見として聞いてほしい。最近口唇口蓋裂の動画も増えてきており、私自身も様々なチャンネルを閲覧しているが隠してまで言葉を並べて発信するのならやらないほうがよいのにと思った。自分の意志で決めて発信しているはずなのに、その重要なとこが隠されていてはなにも伝わらない。傷つきたくないなら寧ろ控えたほうがよいと感じた。生意気にもとられたり賛否両論もあるかと思うが中途半端な覚悟で顔も出せないなら傷つくこともそれ以上にあると思うから。さらけだす覚悟となにかを伝えたい熱量がなければどんな綺麗な言葉やエピソードを語っても人の心には響かない。

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