うつ病から社会復帰に向けて動き出した話(自分なりの困難の解決法)
久々の投稿になります。
今日は近況について。
2021年春にうつ病を発症し、復職に失敗⇒2021秋から休職⇒退職をしました。今は今年春の復帰にむけて動き出しています。
働く気になれた理由
昨年は、実父の病気と死別、相続のプレッシャー、そして自身のコロナ罹患や自粛に伴うリハビリの停滞など、様々な問題の対処に追われた一年でした。
一通りのことが終わり、今年春から再就職に向けて活動しています。
エンジニア経験があるため、それを活かした講師業を始める予定です。
「働いても良いかな」と思えるようになったのは、今年の1月。それから1か月かけて求人検索や応募活動を進めていきました。仕事に対する情熱はまだ戻っていませんが、フルタイム以外なら「働いてみようかな」という気持ちになれた。
なぜ、そうなれたのか。その理由を語ってみたいと思います。
周りの支援を受けまくった
自分は昔、困難は自力で立ち向かわなくてならないと思っていました。それが一人前の社会人であり、他人の助けを借りるようでは情けないと。一人で乗り越える事でしか、価値が無いのだと。そう思っていたのは、小中高で受けたいじめの経験が大きかったのかも。
でもうつ病を経験し、努力できなくなってしまった。湯水のように湧いていたモチベーションが枯れて、他人の力を借りないと前に進めない状況になったのです。でも人生は諦めたくない。大げさかもしれませんが、自分にとって人生の危機でした。
居てもたってもいられず、色々な所に足を運んで支援を求めました。
自立支援制度
医療費1割負担で、通院と服薬とデイケアも使用できる傷病手当金
以前の月給の2/3を、1年半の間受給可能。自立支援もそうですが、いわゆる"公助"の力を借りました精神科のデイケア
復帰を想定した各種ワークや、心理士さんのサポートを受けるカウンセリング
キャリアコンサルタント、心理士のサポートサポートステーション
キャリアコンサルタントのサポート勉強会のサークル
情報収集や質問に活用。情報発信の手助けにもなり、共に頑張る仲間もできた。実家の両親
この年になって田舎にいる母親とは頻繁に電話し、父親とは手紙のやり取りをした。うつ病の治療中に父は亡くなってしまったが、力をもらった。心の相談窓口
自助会への参加
励ましてくれた人の存在を思い出す友人との交流
旧友と会ったり、新しい友人を作ったり。実家の両親の近所の方
父が亡くなった時に、寄り添ってくれたハローワーク
初回面談では、自分の境遇に職員は泣を流してくれた。。
立ち直るには、マイナスをプラスで埋めていく
色々な支援を受けることで、人の優しさを実感することができました。色々な分野の人との交流も少しずつ増えています。
そして「自分でも救われる価値がある」と思えるようになりました。それまでは体を壊すほど劣悪な環境に居たので、そう思える状況になかった。学校でのいじめや、職場でのパワハラが、環境を変えても付いて回ったからです
そして、「これだけ力を借りているんだから、前に進もうかな」という気持ちも芽生えてきました。
うつ病というのは、不遇な環境を強いられて(あるいは自分で強いて)、自分にも社会にも絶望して発病する疾患だと思っています。希望があればくじけない。だからこそ、マイナスの体験を埋めるだけの、人の優しさや愛情を受ける必要があるのだと。回復するには、ネガティブな経験を中和できるまでポジティブな経験が必要なのですね。心の傷の深さや広さに応じて、治療期間は決まってくるのかもしれません。
自分は独身でパートナーも居ませんが、なんとかここまで漕ぎつける事ができました。まだ問題だらけの社会ですが、悪い人間ばかりではない。
今も不安事はたくさんあります。転職は無事決まるのか?再発しないか?いつ稼げるようになるのか?自分に出会いのチャンスはあるのか?結婚はできるのか?
こんな時は一つ一つのリスクに対して、自分ができる対処法を考えていくこと。同じ失敗を繰り返さない事。できることをすること。運悪く、望みは叶わないかもですが、ノウハウは他人に伝えられる。
困難に立ち向かう姿に共感してくれる人も現れるかもしれない。仲間も増やしていける。報われない事はあっても、自分を惜しんでくれる人は現れるかもしれないです。そうやって他人に惜しまれる人生も悪くない。
孤独感が強い時もあります。現状を嘆きたくなる時もありまが、幸せすぎても、足元を見れずに大コケすることもある。「何事も過程を楽しもうぜ」と思うようにしています。
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