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破れかぶれだったわたしを、みつけてくれた。

あんた、じぶんのことあほやと

思ってるやろう?

そう言われたのだ。

たーみんに。

たーみんは、六畳の御息所が大好きな

『源氏物語』をこよなく愛する高2と高3の

担任だった東山先生。

わたしは人の三倍もし努力してやっと

一人前のちょっと手前って父に言われて

育ったせいか、なにをやるにも自信が

もてんかった。

今も新しいことをやるときには、すごく

不安になるし、自信がなくなるし、

寝て過ごしてしまいたいようなとても

ダウナーな気持ちになる。

いつの頃からか、勉強ができないことを

隠さずに生きてきて。

それを公言することはなんら恥ずかしいことと

思わなくなっていた。

学校でもあほやからわからんを繰り返しながら。

開き直って暮らしていた。

たーみんは、はじめてわたしのクラスを担当した

時、最初になんでもいいからと作文を抜き打ちで

書かせた。

それは、漢字をどれだけ知っているかとか、

起承転結が守られているかじゃなくて

わたしたちがどんな感じ方をするのかを知りたくて

書かせたものだった。

たーみんは、民子というのでたーみんだったけど。

ロン毛を朝シャンしたままグラサンで乗っかって、

ぎりぎりに学校に到着するようなちょっと

不良先生だったけどクラスの人気者だった。

その作文は、顔と名前が一致しないわたしたちの

ことを知るための第一歩だったと後から呼び出しを

くらったときに教えてくれた。

あれは自己紹介みたいなものだったと。

わたしはそこに何をかいたのか忘れたけれど。

そのゲリラ的抜き打ち作文書けよ攻撃は

幾度となく続いた。

それを読んでくれたたーみんは、わたしの考え方の

プロセスや、何かに出った時の気持ちの処理の仕方を

受け止めてくれた。

わたしが家族のことで破れかぶれになっていて

明日だけじゃなくて進路のことも考えられない頃に、

そんなにくさるなって放課後の教室に呼び出された。

その教室はシスターたちの勉強室の小部屋だった。

クリスチャン系の学校だったので、そういう部屋が

渡り廊下に沿っていくつもあった。

時々、そこにずらかることができたらいいなと

思うような、ニッキの匂いが満ちた懐かしい感じの

部屋だった。

そこで、わたしにあんたはじぶんでじぶんのこと

どう思ってる?って言った。

俯瞰して答えよと。

答えようと思ったらたーみんが答えてくれた。

あんたは自分であほやと思ってるやろう?

って。

図星やった。

わたしはほんとうのあほがどんなものなのか

ほんとうは知らんかったけど。

そう思う方がずっと楽だったので、声を出さずに

うなづいた。

それからたーみんは、あんたは自分で思ってる

やろうけどあほなんかとちゃうでって、

割とマジに言うてくれた。

それを聞いて嬉しいとかそうなんや!わたし

あほやなかったんや!とかそんな気持ちに

なったわけじゃなかったけど。

友達らしき人はいても、誰も味方らしきひとは

いないと思っていたし。

そんな時にここにいるロン毛を窓から吹く風に

靡かせているグラサンの奥の眼が笑っているのか

なんなのかわからない怪しい担任、たーみんは

唯一わたしの味方だと思ってもいいのかも

しれないと思った。

ただ、そう思った。

わたしは、小6からこのクリスチャン系の学校に

ずっと通い続けて、信用してもいい大人に

やっと会えたような気がした。

それは、あほちゃうんやでって言ってくれた

からじゃなくて。

あんたほんまにあほやでって仮に言ったと

しても、同じだったと思う。

放課後ことあるごとにわたしのことを

呼び出しては話をする時間を特別に

設けてくれたたーみん。

たーみんはわたしが笑えない時は笑えないまま

ふざけてる時は、いい加減にしーやと頭を

軽くはたかれながらも。

わたしをいつも受け止めようとしてくれた。

そしてあの日の放課後を思い出すたびに

思うことがある。

年齢はおとなになったわたしはそんなふうに、

誰かの支えになったことってほとんど

なかった気がするから。

だから今でもこんな年になっても思い出せる

たーみんに出会えたことは、ほんとうに

ありきたりだけど宝物だと思ってる。

わたしのなかの忘れられない先生のベスト5の

中にたーみんは絶えずランクインしている、

つわものだ。


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