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もういいよ、と、さびしさについて。

もういいよ、まぁだだよ、って近所の
学校帰りの子供たち。

出窓近くで仕事しているといつも彼らの
声を聴くのが楽しみになってる。

もういいよ、まぁだだよ。

ずっとまぁだだよって言いたくなって
のばしのばしに、いまいる場所から
離れていく。

声がどんどんちいさくなって、目隠しして
いる人はきっと不安になってるかもしれない。

これはちいさいころのじぶんの記憶かもしれ
ないけれど。

大人になってしまった今。

もういいよってじぶんは思っても、たぶん
大事なひとにはもういいよって思ってほしく
ない。

もういいよ、まぁだだよって。
よくよく考えてみると、いろんなものが
つまった、ことばだと思う。

もういいよって、ほんとうはなにがいいん
だろうって。

まぁだだよだって、なにがまだなのか。

子供がなにげなく遊んでいる時の昔からの
遊びの言葉って、すこしだけ遠くてこわい。

遠くにあるものは怖くないはずなのに。

色々なものが遠くに行ってしまうことが
無性にいやだったころ。

でもほのかに温かく感じるのはそこにはちゃんと
待ってくれている人がいるということの
証だと気づいたとき。

ゆうこちゃんのもういいよがあんまり遠くに聞こえ
すぎてどうしようかとおろおろしていた。

遠くの雷が近寄ってきたらこわいなっていうあれと
似ているのに、遠くで聞こえるといやなのだ。

かぎかっこの中に住んでいた、ことばたちが、
かぎかっこをはずして、何処かにゆきたくなるとき。

もういいよが、言葉を脱いでそこから離れる。

まぁだだよも、言葉であることをやめて、ふらっと
どこかへと、とびだしてみる。

子供たちは、すぐになんでも飽きるから。

わたしがつらつら思っていた間に

近所の子たちはもうその遊びはやめにして、
ふしぎなステップを踏んでふりつけごっこを
していた。

声とリズムが聞こえてきて。

あ、BTSかって思ってあのもういいよとまあ
だだよの世界から戻ってきたみたいで
ひとり勝手に安堵していた。

その後もどこからが風のまにまに聞こえるのは
どこかで誰かが呼んでいる、だれかの名前
だったりして。

春の風は、葉桜も連れてくるし。

夕刻チャイムの鳴るころ、きまって誰かの子供
たちの声もつれてくる。

いっしゅんさびしいなにかが追いかけてくる
ような気がしてしまう。

けれど、こんなさびしさもきっとこうやって
エンタメのようにわたしは楽しんでいる。

🍃     🍃     🍃     🍃     🍃

今年から、これでも母さんと一緒に言葉の
マガジン「言ノ葉」を共同運営しています!
これでも母さんに素敵なサムネも作って頂き
ました!とっても気に入っております。
言葉について、テーマにして書いた時は
こちらのマガジンに収録したいなって思って
おります。フォローなどしていただけたら
とってもうれしいです。


    

問いかけが たたずんでいる 夕暮れ時は
沈黙を 貫いたまま 誰かと歩く


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