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記憶って、思い出しているその一瞬だけリアルになる。

あんまり昔の話ばっかすると、バチがあたるぞ。

って、渋川清彦さん演じる主人公の同級生が言ってて。

それを聞いていた時、それ、わたしやんか!ってツッコミながら。

おじさんのまま、高校の制服きたまんまでいうその言葉に耳を傾けつつ

聞いていたら、

終わったこと話すのは罰あたりで。

これから起こること話すのは、恥ずかしいことなんだって。

って、渋川清彦さんがリフレインする。

その映画を見たのは数か月前の事で。記事にもしてみました。

ずっと気になっていたけれど。
なんとなく機会がなくて、観ずにいた映画、三宅唱監督の「playback」。

映画って、観た後までずっと引きずってしまう。

そのシーンであったり、台詞であったり。

台詞って書いたけれど、その映画は台詞っていうより、その主人公の言葉
そのもので。

主人公ってタイピングしながらも、違和感がある。

あれは主人公っていう第三者的なものではなくて、とても知っている人の
物語のようだった。

40歳前の、今まではなにかにうまくいっていたかもしれず、それなりのチャンスに恵まれていたらしい主人公が、身体の不調に加えて、仕事のつまづきを覚えていた。

ある日、ボン(三浦誠己)っていうむかしの同級生が訪ねてくるってところから始まるのだけれど。

って書いていて、ある日この映画評を新聞で見てすこし驚いた。

知ってる知ってる。見た見たって感じで、馴染んだものに近づくようにその記事を読んでいたら、すごく不思議な現象が起きた。

冒頭のシーンからして、え? こんな始まりやったっけ? みたいな。

そのシーンは覚えているけれど、冒頭は違うシーンだと思っていて。

少年がスケボーしてるシーンなんだけど。

次から次へと少年たちが、スケボーで腰をくねらせながら、おそろしいぐらいのバランス感覚で繰り出してゆく。

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見ているとグルーヴ感が気持ちよくて。

わたしは冒頭のシーンを見逃したんだって、かるく戸惑った。

この映画って。
過去と現実と回想がぐるぐるとループしてゆくから、
どこからがはじまりだったのか、記憶に頼ってるとすごく不安になるほど
あやふやになる仕組みに長けている。

そして主人公の友人ボンが、友人の結婚式に出るために主人公のハジを誘いに来ていて、

それを忘れていた主人公のハジは、彼の車の中でうとうとしていたら、
(いますごっくショートカットするけれど)
目覚めると、20年以上前の高校生になっていたって感じで。

過去に戻っている彼らは、歳は現在のそれなりにおじさんのままなのに、ちゃんと制服を着て、やんちゃに楽し気にあいつバカやってるよねぇ見たいな感じでみんなで大笑いしてたりする。

彼らが歳を重ねていることを除いたら、いま、まさに高校生だよねって思えた。

ありえない設定だけれど。

そして。

過去の同級生達やほんとうは亡くなっている恩師との再会が、それこそ次元を超えてループしてゆく。

ある日、ハジは路上で昏倒するのだけれど。

伏線として、あまりいい結果が得られなかったような診察室のシーンを思い出して、ついに人生に翳りが差すのかって思っていたら、ふたたびハジの1日がはじまる観客としては何度も見慣れたシーンに戻ったりする。

このいつか彼の人生が終わるんだよねって思うシーンで、またふりだしに戻るようなすごい時間の描き方に、ふるえた。

でも、

映画とかではなくてふだん記憶を辿る時って、こういう感じだって思う。

リアルの身体や顔や肌ではなくて、心ん中はまだぜんぜんいわゆるあの頃のままだったりするし。

すべてモノクロームで描かれていて、とにかく美しい映像なのだけれど、あれはノスタルジーとかではなくて。

妙に、不思議に、なにゆえなのかわからないけれど、とにかくリアルだった。

リアルという言葉で逃げたくなるほど、どうよかったのかを説明できない。

タイトルの「playback」にはいろいろな思いが込められているのだろうけれど。

まだ生々しく覚えてるはずの見終わった翌日だって、じぶんの中でそれこそ
プレイバックしようとすると、うまくできなくて。

誰かにあれよかったってまだ喋っていない。

じぶんの中にしまっておきたい。ただそういう思いと、映像の断片とともに頭のすみに棲んでいるそんな感じがしている。


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