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我慢しなくていいよって、はじめて言われた気がした。

わたしが我慢すればいいんだって思う
性質だった。

わたしより誰かの方が我慢しているはずだから、
わたしはその誰かより我慢しなきゃいけない
みたいな。

誰が決めたんだそういうの。

それってわたしが決めたんだよってもうひとりの
自分が言う。

なんか嫌な性格だなって思うけど。

それでまるくおさまるなら我慢するよって。

わたしのせいにしたらいいよ、叱られに今から
行くよって。

ふわふわしているから傷つかないってよく
思われていた。

我慢ってなんだ。

我慢ってちょっとナルシシズムだと思う。

あの我慢があったから今のわたしがいるんだ
みたいな感じってちょっとよくないと近頃は
思う。

ベルギーのアントワープ出身の振付家、演出家で
ダンサーのシエルカウイさんという方の舞台を観て
いた。



演奏家も踊り手も世界中から集まってきていて。

彼らがひとつになるまでの葛藤が描かれていた。

テーマである「フラクタス」という言葉に惹かれた。

破片という意味もある。

「骨は折れると強くなる。一度壊したかった。人生を」
「花は開花しきったあと、一度捨てることで、成長できる。
捨てるから生まれ変われる。自分を壊し、こわして自分を
受け入れる」

一度壊せと言っている。

いちどこわせと。

変化によわいわたしにはすぐには
真似できない。

でも心にとめておくスペースを作っておいて
そこに入れておく。

こうやって、わたしはつらい時に誰かの言葉を
集めている。

そしてその時がきたら心の傷にすりこむのだ。

心の傷っていうことばは言葉だけど言葉じゃ
なくて。

心がどっかから血を流しているんだと思う。

その血はできうることなら止血しなければ
ならない。

なのにわたしは人よりは傷は少ないって思い
こみながら暮らしていた。

もっと傷ついている人はいるはずだと。

誰と比べろと言われているんだろう。

比べたいのはれっきとしたわたしだ。

いつだったか婦人科の先生に言われて
びっくりしたことがあった。

わたしを診察したその先生は、今までずっと
痛かったね、我慢してきたんだねって、
おっしゃった。

そしてよく頑張ったねとも。

その声を聞いていて、ちょっと涙が出そうだった。

その時も、もっと痛い人はいるはずだからと
痛みをこらえて、ずっと薬は飲まないでいた。

それが正しいやり方なのだとどこかで信じて
いた。

高校の保健室の先生が、痛いからって薬を
飲んでいたら、クセになるわよって言った。

クセになるのかって鵜呑みにして、ずっと
痛みは我慢してきた。

そのことを婦人科の関先生に言うと。

そんなことはないよ。痛みってないほうが
ずっといいんだよ。

痛みは無いに越したことはない。
これからは痛くなるなって思ったら我慢しないで
その前にそれを飲みなさい。

痛くなる気配はもうわかるでしょ?

わたしが黙っていたら、我慢ってろくなもんじゃ
ないよって、畳みかけた。

我慢しなくていいって、もしかしたら大人の誰にも
言われたことはなかったかもしれないってその時
思った。

そして関先生の病院に通院している中で、わたしの
身体と心の不調が、心の病から来ていることを、
みつけてくれた。

先生があの時おっしゃった、我慢ってろくなもんじゃ
ないよって言葉は、身体だけじゃなくて、心にも、
効いているようだった。

関先生の言葉を聞いてから、わたしは少しずつ我慢
しない術をじぶんの中に育てていったような気がする。

我慢したくなった時は、書いて言われた言葉をそっと
葬ったり。

しんどいんだって、近しい人に打ち明けようとして
みたり。

そこから始まる時もある。

わたし自身はもうそんなに若くないから、我慢
しない生き方をしたい。

だから誰かがかつてのわたしと同じ痛みを我慢して
いるのをみると、関先生のように、痛みってろくな
ことないよ。

我慢しなくていいよって言ってあげたくなる。

大好きな人たちには、我慢してほしくない。

土の中に大きな声を放つみたいに、心の痛みからも
解放されてほしいのだと、じぶんの我慢について、
書きながらそんなことを思っていた。

もうだれの ものでもなくなった その痛み
我慢が まぼろしになってゆく その日まで


  

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