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わたしが書きました、というのが精一杯だった小6の夏。

春はあけぼの。
夏は夜。
秋は夕暮れ。

そんなことが枕草子では書かれているけれど。

夏は夜もいいけど。

夏はこどもだと思ってる。

夏になると、じぶんが幼かった頃のことを
思い出すそんなしくみにあふれていて。

わたしは夫も子供ももたなかったせいか
いまだに、子供視線でものを追ってしまう。

作文きらいだったなって思いながら今も
noteを書いている。

わたしは小学校を三度転校しているけれど。

三度目は小6だった。

突然クリスチャン系の学校の編入試験を受ける
ことになった。

そして小6からはそこの生徒になった。

ある日、聖書のことを学ぶ授業の中で、
わたしたちはひとりひとり「幸福」について
どう思うかをぬきうちで書かされた。

たいていのことに途方にくれていたけれど。

そのテーマは小6のぬくぬくと生きてきた
わたしにとっては難問だった。

「幸福」のことなんて考えたこともなく。

考えたこともなかったわたしって、なにもかも
あかんのだろうかと、埋まらない原稿用紙を
前にぼんやりと思っていた。

もっと何かを考えろといつも叱られていた
わたしはすこしだけ、反省のふりをした。

その日は私語をしてもいいことになっていた。

時々耳に入ってくるのは、なにかをしている時が
「幸福」というものが多かった。

それはそれであるよなって思いながら。

もう一度、わたしは「幸福」について考えた
ことがなかったのは、なんでなんだろうって思った。

それはまだ子供だからとかじゃなくて。

「幸福」について考えなければいけないような
切羽詰まった環境に陥っていたわけじゃない
ことを思っていた。

そしてそんなときの時間のことを思った。

4つ年下の弟は、わたしの遊び仲間として最高
だったし。

周りの大人のひとたちは、わたしがどんなに失敗
しても、次は大丈夫よと受け入れてくれていた。

父の勉強の特訓は深夜まで続いていたけれど
それは、まだ始まったばかりでいつか終わる
だろうとタカをくくっていたから、そのことを
幸福じゃないとは思ってもいなかった。

それに、子供ながらに。

幸福というものは、もう少し大きなものだと思っていた。

日常のなにかとひきかえにしてはいけない空気だけを
感じ取っていた。

でもクラスのほとんどの人は、おやつのケーキが
食べられて嬉しいとか、クリスマスにたくさん
おもちゃをもらったから幸せだとか。

そんなふうに、目線を落としたアングルで
作文を書いていた。

わたしは野心も競争心もない、志の低い小学生
ではあったけど。

さして不満もなく生きていた。

でも、幸福というものは、父や母が用意してくれた
ケーキやおもちゃのこととはまた違うようなそんな
気持がしていた。

そして、なにかどんどん積み上げてゆくことが
幸福であるという感覚がわたしには
なじめなかった。

そして、作文を書くことに困ったわたしは、
幸福とは

「幸福のことを考えていない時間のことをいう
のだと思う」

そんなことを小6の頭で必死に考えて書いた。

それはわたしにとって、誰にも教えられたわけじゃ
ない、じぶんの頭や心を絞り切って書いたつもり
だった。

その作文が手元に帰ってくる時、わたしが幸福に
ついて書いた箇所に赤い波線が引かれていた。

そこにはあなたの書いた考えは

「本からの引用ですか?
ご両親が話していたことですか?
誰かから聞いたことですか?」

と記されていた。

先生の赤い波線と、きれいな文字がわたしには
とても意地悪な問いかけに聞こえてきて
気持が曇った。

別室で同じことを問いかけられて、悲しく
なっていたんだと思う。

信じてもらえてないのだなって思って、
信じてもらえてないということがこんなにも
人の心があちこち穴があいたように
さびしくなることを知った。

わたしの考えで書きました。

そういうのがやっとだった。

そうなのね、ってシスターは怪訝な表情から
笑みに変わった。

あ、この曇り空な心を言葉で言い放ちたいと
思っていたら。

シスターはその作文の波線にかぶるように
赤いペンでおおきな花丸をつけた。

一度ケチがつけられて、みぐるみはがされた
言葉が、一転してきれいな包装紙にくるまれて
もどってきたみたいで、居心地が悪かった。

その瞬間、いまわたしは不幸なんだなって
少し甘えたことを思った。

幸福の裏側は不幸だなんて誰が決めたのか
知らないけれど。

はじめて誰かに疑われるという経験をした
わたしは、子供のこともっと信じてくださいよ、
心の中でそのシスターのことを遠くに感じる
ことを決めた。

人はこうやって人の言葉を傷つけるのだなって
感じた。

大人は子供のことをこんなふうに簡単に傷つける。

罵詈雑言で人は傷つくのではない。

あなたのこと信じていないという空気を感じ
とって人は傷つくことをはじめて知った。

わたしにとって「幸福」とは?

その始まりはとても苦い思い出になったあの作文
だった。

後にその説は、芥川龍之介も全く同じことを
言っていることを知るのだけれど。

本が嫌いなわたしは芥川龍之介のことは小6では
まだ読んでいなかった。

でもあの時疑われたその言葉は今もわたしの中で、
記憶している。

言葉でなにかを表すことに長けてもいなかった
小6のわたしは。

言葉は自分の中から必死に見つけ出したものだから、
誰に信じてもらえなくてもじぶんだけは
それでええよって言ってあげたいと思った。

たったひとりが信じていればよい。
そんなことを思って作文をきらいになった夏を
過ごしていた。

幸福よりも「信じる」ことに思いを馳せた夏
だった。





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