〇〇って、クソだよね! って。 あれって、なんなんやろうって。
尾崎世界観の小説『バズの中にはおよそシェア100万個分の栄養素が含まれている』を読んでいて、その言葉を読んでいると、さっきまで読んでいた文章の少し手前のことが気になって、どんどん違うイメージが浮かんできて。
そういうときこの小説、すっきゃわーってなるんだけど。
どんどん違うイメージってなんだろうって思ったら。
この間聞いた、いやずっと昔から耳にしたり目にしていたタイトルの言葉。
〇〇って、クソだよね!
についてなんだけれど。
誰かは忘れたけど、この間、インタビューで、役者さんがほんと〇〇ってクソだよね! っておっしゃっていて。
それは、ちゃんと見出しになっていて。
へぇ~。あの人は、まぁまぁ好きな役者さんだったけど、〇〇はクソだよねって思ってるんだ。
なかなか、言葉ちゃんと背負って生きてるんやって、妙に感心してしまって。
そんなこと言うたらあかんって、言われそうやけど。
なんていうか、仕事場でもなんでも。
人としてなんか全否定されたとき、心の中でほんとあんたクソだねって思うことにしてる。顔はちゃんと口角あげて、すみやせんみたいな口元で。
インタビューで聞く時とは違って。それは生身だから、胸の内で言った後、
気持ち晴れ晴れかっていうと。そうでもなくて。
嫌なこと言われた時って、なんか静電気みたいにまつわりつくやん。
それをブロックさせていただきます。みたいな儀式で。
くそだねって思ってるのかもしれない。
インタヴューで、誰かの質問にアーティストか誰かが、くそだねって言ってるのを見るのは嫌いじゃない。でも、その現場にいるとして。
じゃ、なにかその後。言葉を繋げられるかっていったら、そのニュアンスにもよるけど。難しそうで。
そうですよね! あれってクソですよねっていう風にはならない。
ならないし、愛想笑いでリエゾンするかもしれないけれど。
文字に起こされること承知でその人は言っているわけだから、ちゃんと負荷かけて生きていて、逃げも隠れもしなくて潔くって良いよねって感じはあったりする。
ほら、あったりする。って今、保険掛けたよね。言葉に。その差やなって。
なんか、
尾崎世界観さんの小説『バズの中にはおよそシェア100万個分の栄養素が含まれている』
と、なんら関係なくなってしまったけれど。
アメリカのドラマとかでも、クソだねって言う時は、こそこそ言わへんやん。ちゃんと、相手の目をガン見してでも言うやん。たいてい。
ああいうことで。
言うんなら、ちゃんと相手の
目をみて言えるようじゃないと、あかんのかもしれないって。言えないんやったら言わんときっていう話で。
心の中で、うじうじ、クソだねって言ってるのは、まだまだ言葉とちゃんと生きてることには、ならへんのかもって。
何回、クソだねって言っただろう。
だって、すっごく気になって仕方なく。今の所属場所ではとうてい書けないし。そこで書いてこそ、なんだろうけど。唯一の場所なので、保険だけは掛けときたいみたいな。ヘタレやわ、ほんまに。
noteってなんかすごい。言えない言葉まで、わたしに吐き出させてる。
どういうことやの? って。
note29日目、こわれた。こわれてみたかった。
こんなひとりごと。
ここまでお読みいただきまして、ほんとうにありがとうございます!
いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊