見出し画像

「ルビーの指環」を聞けなかったあの頃のわたしへ。

はじめて、今年はひとりお正月を過ごしていた。

母がいた時はふたりお正月で、日常と
ちがうことをするのがふたりとも
乗らないよねって思うタイプなので
いつも通りしようねとか言いつつも
お正月仕様のお節や飾りつけに勤しんで
いたけれど。

ひとりと決まった時、お飾りとかお節とか
作らんでもよかですよねって自分を甘やかして
いたら。

何十年ぶりの一応断捨離的なことをして
みためすっきりしてきたので。

飾ってみるかみたいな気持ちになっていた。

空間は、余白ができると少し演出したく
なるものなのだ。


玄関を飾っていた時。

弟からLineに「お節頼んどいたよ」って
メッセージが届いた。

母とふたりの時からの恒例だったから、
ふたりぶんが届くことになった。

そうすっと、お雑煮ぐらい作るかって
気持になって。お正月用の鶏を買ってきて
煮たりしてたら、ゆるゆるとお正月もーどに
なってきた。

わたしはもちろん昭和の子なので昭和の頃は
大晦日というと、お煮しめやかつおだしの匂いに
まぎれるように紅白が聞こえているものだった。

今の時代紅白で競ってどないすんねんって
いうそういうご時世だけど。

紅白かまぼこだと思えばいいかとか。

まあ、違和感はあるのだけど。

何十年ぶりに紅白を見た。

ずっと見たことなくて。

台所がアイランドキッチンじゃないから
テレビみたい時はいちいち振り返らないと
いけないのが、どうなのよって気持ちには
なるんだけど。

耳から先にそれをキャッチした。

それが聞こえて来た時。
喉の奥がしょっぱくなるようなイントロだった。

寺尾聡さんの『ルビーの指輪』。

わたしたち家族というか母とわたしに
とっては、あの曲はずっと聞けない
曲だった。

あの歌が流行っている頃、わたしたち
家族はもう家族じゃなくなるんだなって
いう危機と言うか、他人事だと思ってきたこと
ドラマの世界ならよくみてたよそれ。

みたいなそういう季節を我が家も迎えていた。

四人家族という四角形の点と点が
三角形になろうとしていて、その暮れに
それになった。

ただそれまで確固たる家族の絆とか
家族大好きとかからは遠く離れた場所に
わたしはいたので、家族が離れ離れに
なることを哀しむのはちょっと違うと
思っていた。

そういうじぶんのことは嫌だった。

その頃知らなかった偽善という言葉が
いちばんあてはまるかもしれない。

そして父が遠くで暮らすことになった頃。
この歌がとても流行っていた。

父も誕生石でいうならルビーだった。
父はじぶんの誕生石なんて知らないと
思うけど。

それを母は教えてくれた。

その時わたしは、歌詞の中に出てくる
「くもり硝子」にも「問わず語り」にも
「枯葉ひとつの重さもない命」にも
惹かれていたのに聞けなくなった。

歌詞を読むということはできたので
文字をなぞりながら、この詞の主人公は
別れを決意したことを知って、心の何処かで
父もどうしてそうしなかったんだろうと
ふとよぎったりもした。

そんな感傷がうっとうしくて、わたしはルビーの
指環の聞こえない場所に行きたくて
いつもヘッドフォンでラテン系の音楽を
聞いて紛らしていた。

ベサメムーチョとか。
すきやすきやしか言ってない曲だけど。
明るさに逃げた。

数年後にふいに昔流行っていた曲として
それが流れて来た時もスイッチを切った。

不自由だな。
聞けない音楽とか作ってしまったよと
思いながら日々は過ぎた。

過ぎ過ぎた。

そしてわだかまっていた父との関係に
わたしはゆるやかにまがりくねりながらも
ほどけてゆく糸の先をみていたのが数年前。

ここまでが長すぎた。

家族の時間はあまりにもうねりながら
疑いながら憎みながらそれでも心の何処かで
懐かしさも覚えながら関係を修復していった。

そして先月母が長期入院することになって。
わたしたち家族四人の最重要案件は母のことに
なった。

父も弟もできうる限り母のことをいちばんに
仕事をこなしながら考えている。

母は倒れたせいもあるけれど、今いちばん
愛されているなって感じる。

上手く言えないけれど。あぁ家族ってわたしたち
今家族なんだなってそんなことを思った時。

2023年の紅白でルビーの指環が流れてきた。

もうリモコンのスイッチをオフにしたくなるほど
ひりひりしていない。

ただ過去の時間がそこにつまっていて。

メロディを聞きながら、お雑煮作りながら。


なぜかボールペンも一緒に写ってしまったけど。

寺尾さんにはなんの関係もないし寺尾さんが
悪いわけでもなんでもないんです、
でもわたしたち家族色々あったんですよ。
あの時はまるでドラマかと思いました。
まだふつうをどこかで信じていた子供だったわたしは
すごく傷ついていたけど認めたくなかったし、
失くしていたし、もう終わったなって感じていて、
やっといま家族になれた気がするんですって。

ルビーの指環をあの頃のように歌う寺尾聡さんに
向かって、手紙を書いているみたいな気持ちで
語りかけていた。

これが問わず語りかもしれないとか思いつつ。

そしてわたしはいま手のひらにあるこの
家族のことをできうる限りいっぱい愛でたいと
心の底から思っていた。

終わったと思っていた家族って案外ほそーい
糸くずのような細さの糸でつながっている
ものなのかもしれない。


『プリンスの言葉』(秀和システム刊行・二重作拓也氏著)
であったことば。
ペン字の書初め二日にしました。



#note書き初め

この記事が参加している募集

これからの家族のかたち

いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊