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わたしも、世の中のノイズのひとつになってゆく。#坂本龍一

空がとつぜん、きれいに見える時がある。

空はいつもと変わらないのに。

ただ、雲の形がちがってそのレイアウトが
ちがうだけなのに。

空に心はないのに。
そこに心をかってに託してみたくなる。

いつか聞いたことのある坂本龍一さんの
言葉を日記の中から探していた。

「みんながざわざわって客席がざわつき
はじめて曲が始まると、とても静かに
なって。

ひたひたとしーんとして。

曲が終わって最後の音符を引き終えて
余韻がほんとうのおしまいを迎える頃に、
彼らはまるでサッカーで自国チームが
ゴールを決めたかのような、
はじけたもりあがりをみせるんですよ」。

柔らかなきれいな鼻濁音の声で
つぶやくように

インタビューでそう話していた
坂本龍一さん。

『bibo no aozora』 を聴いていた。

イントロが始まると、わたしのこころも
ざわざわしてくる。

音の階段をすこしずつ上ってゆく感じが
じわじわとしてくる。

bibonoaozora

美貌の青空。

イタリアの人たちの耳やからだにどんな作用を
もたらしているのか計りかねるけれど、

でも 、彼らがことばのない音のつらなりに
感じているかけらほどのなにかを共に
受け止めているようなそんな気持ちに
一瞬なった。

と、

記しつつそれを感じているのは今の気持ちで
ほんとうに音に耳がふれたときには、
そんな余裕は
なかったのかもしれない。

どんなにやさしい曲だったとしても、
やっぱりそこで音がなり始めると、
耳から、どこかしらを通って
うなじへ伝わって、瞬時に涙腺辺りまで
結ばれてゆく。

おとずれという言葉。

むこうからなにかが運ばれてくる。
音づれ。

音がつれてくる。

「耳こそが最初の世界観をもつにいたる」
という文章を読んだ時から、とても気に
なっていたけれど。

そのことばを体現したような感覚に
さっき陥った。

だれかのゆびで震わせたり響かせたり。

あてもないけれど、ちゃんとおしまいが
くる予感もはらませながら。

余韻が耳におとずれるとき。

余韻のいちばんさいごの終止符を打つ
時のしずかな音まで聴いてしまって。

あたりのしずけさは、さっきまで聴いていた
曲が連れてきたものなのだと、しみしみ
する。

きもちが順々に折りたたまれてゆく
感じってじぶんでもよくわからない
けれど。

たぶん何かの訪れを待っていたのだなって
ことだけは、たしかなことのようだった。

そう、空がきれいにみえると近頃はちょっと
泣きたくなる。


年なんだなって思う。


世の中にはドレミが溶け込んでいる。


坂本龍一さんが3月の初め頃の音楽番組で
仰っていた。

一度聞いた時に好きだなって思った。
これは暮らしの中には色々な雑音が
まぎれこんでいるという比喩らしい
けれど。

言葉にしてみると、その佇まいから
ノイズがきえてゆくところがいい。

音のノイズもそうだし。

わたしだって世の中のノイズのひとつ
なのだと思ってみる。

そう思いながら、日常の中の音に耳を
澄ませたくなる。

テレビもスマホもエアコンも切った後の
夜のしじまの静けさを聴く。

風が窓を揺らす音や、遠くでのサイレン。

どこかの工事現場の尖った金属音。

そして朝方に鳴く鳥の声を聴きながら。

誰かを読んでいる声なんだなって思い

ながら。

ノイズを集めた音楽を聴く。

どんなノイズものけものにしない。

こんなノイズのわたしも受け入れられ

ているような気持になる。

そんな坂本龍一さんの音たちは、

こうやって記録されてとても幸せそうだと

予期せぬ音のつらなりを聴きながら

思ったりしていた。



世の中のノイズを集めた『andata』


大貫妙子さんの歌声と共に



坂本龍一さんのオリジナル版の『美貌の空』   

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