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名前がない文章、そこに名前のある文章。

わたしがはじめて署名でエッセイを書かせて

頂いたのは「ダ・ヴィンチ」誌だった。

その頃はまだ、公募でエッセイを書く人を

募っていて。

色々なジャンルの本を紹介するところの

扉に掲載されるエッセイを幾年か

書いていた。

今も読み返すと、赤面モノだし。

あれでよくゴーサインでたなって思う。

編集者と初めて仕事した。

編集さんと組まれたことのある人は、

誰もが経験済みだと思いますが。

編集者とは、より厳しい目で原稿のあらを

探していらっしゃる。

これは悪口じゃなくて、雑誌は読者への

サービス業であるから、読者へのサービスが

行き届いていないと判断されると、

すぐさまにダメだしが出る。

その頃はわからなかったけど、のちのち

そういうことだと骨身にしみた。

わかりにくい。

言葉が届いていない。

何を言いたいのかわからない。

たいていこう言われた。

読者を想って書いてくださいと必ず

指摘された。

わたしは、打たれ弱いのに挑戦してしまうと

いう性分なので。

そのコンテストにもやっと佳作で滑り込んだ

のだけれど。

優秀賞は誰もいないというあのパターンだった。

だから、もちろんもろ手を挙げて

書いてくださいなんてことはなくて、

書いてみますか?

よければ採用しますという話だった。

採用されれば原稿料が発生する。

そして毎回、朱色の原稿になって返ってくる。

編集者だけではなくて校正者からの疑問という

注意点も頂くので、ダメだし祭りのさまだった。

エッセイのテーマは本だったので。

必ず、本のレビューとセットになって

いなければいけなくて。

毎月とはいえ、ジャンル別に

数本出していたのでかなりきつかった。

誰も気づかないぐらいの仕事ではあったけど。

初署名デビュー作があるとするなら、わたしは

祖母のことが書きたかった。

祖母は言葉に厳しい人だったので、わたしが

はちゃめちゃな言葉を使うと叱られた。

ま、笑いながらだけど窘められた。

言葉について書きたかったので、

久世光彦さんの1冊を選んだ。

日本語を使ってものを書くということに

自信がゆらいでいた。

何度も朱をもらってやっと通った原稿だった。

生まれて一度目ののチャンスだからこそ

失ってはならないと思い祖母が使っていた

好きな言葉について書きたかった。

小学生の頃、学校からしょぼんとして帰って

来た時も、忙しかった母に代わって、

おやつをだしてくれるのは祖母だった。

学校どうだった? って聞くことはなくて。

何はともあれ、おやつをたべてしまいなさい。

って言って一緒に祖母とお茶をする。

なにはともあれは、小学校のわたしには

あまりわからない言葉だったけど、

なにはともあれって好きだなって、心の

中でおまじないみたいに、辛い時は

つぶやいていた。

いつだったか、わたしがオニギリぐらい

自分で作りたいと思って祖母に習った。

祖母の三角おにぎりに憧れた。


こんな感じのやさしいおにぎりだった。

わたしのサンカクの頂点があやふやで、

ぐちゃぐちゃだった。

お皿に載っていたいびつなサンカクのそれに

扇風機の風が当った途端に崩れてしまった。

一瞬何が起こったのかと、ばらばらになった

お米のかたまりをみて、びっくりしたよねって

祖母と笑い合ったことがあった。

握りが足りなかったみたいだ。

ふわっと握るがわからなかった。

やはり祖母の握ってくれたおにぎりの

ほうが何十倍も美味しかった。

わたしはそれがなくなってしまうのが

惜しかったけれど、最後のひとつを食べ

終わって

ごちそうさまって祖母に言った。

そしたら、祖母は関西人じゃない

けれど。

わたしに「よろしゅうおあがり」って

答えてくれた。

よろしゅうおあがりは、京都でよく聞いて

いたけど。

ごちそうさまへの、アンサーワードだ。

よく平らげてくれましたねの意味らしい。

不思議なことばが面白くて。

よろしゅうおあがりってもう一度言って

祖母と笑った。

わたしは、初仕事でもうここにいない祖母の

ことを書きながら、祖母のことばを思い出して

いた。

編集さんに叱られて、ばっかりでぜんぜん

うまくやれない。

この原稿が受からないと、掲載もされ

ないんだよ。

なかったことにされるんだよって、

祖母に心の中で泣きついていた。

その時ふっと、あの日の「よろしゅうおあがり」

っていうやわらなか音が耳の中でよみがえった。

まぼろしの祖母の声だったけど。

そう聞こえた気がした。

初めて雑誌に掲載された日は、すこしだけ泣いた。

メインじゃないけど、はじめての署名原稿が

うれしかった。

そしてずっとお仏壇の隣に「ダ・ヴィンチ」も

置いておいた。

祖母は文学好きだったので、生前わたしのことを

嘆いていたけれど。

あれから何年も経って、うまくいかない日の方が

断然多いけど。

まだ書いています。

祖母にわたしの書いたものをひっそりと

読んでもらってごちそうさまの

声が聞こえたら、わたしも

「よろしゅうおあがり(やす)」

言えるような。

かなり果てしない夢だけどそんな文章を書いて

いきたいと、心をあらたに今しています。

お読みいただきありがとうございました。

わたしがわたしになるまえに 生きていたあの人が
今日もそちらで 元気にしていますように 🍙 



酒盗とクレソンのおにぎりのフリー素材https://www.pakutaso.com/20140459111post-4076.html

美味しそうなオニギリの画像をぱくたそさんに拝借しました。
ありがとうございました。

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