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明けてないから、おめでとうもまだ言えない、って。

今年ももう2週間をすぎて、noteで親しくして

いた方達とおめでとうを言い合ったのが、

遥か昔のように感じられる。

時にはほんとうに羽根が生えているとしか

思えない。

1月のはじまりになると、いつも思いだす

挨拶がある。

まだ学生だった頃、ラジオが好きで

ハガキ職人していた頃の話。

そこで知り合った人がいた。

演じることを生業にされていた方だった。

生まれてはじめてわたしの言葉を

おもしろがって読んでくれた人だった。

書くということにおいての原風景として

思いだすのはその方だ。

年齢も離れていたけれど、今思えば父親の

ような憧れもあったかもしれない。

でも、交流していたころは年の離れた

親友のように感じていた。

同級生に親友と呼べる人が誰なのか

わからなかった頃だったけど。

彼はずっと役者という仕事をされていた。

すべてのキャスティングをオーディションで

選ぶという映画があって。

ある日、彼が勝ち抜いて武田信玄の側近役を

演じることになった。

彼とは、学校の他愛ない話や愚痴を電話で

喋るようになっていた。

家電にかけてきて母しかいない時は

母とも喋るし、弟ともよく話していた。

そんな、三が日をすぎた4日ぐらいの頃。

電話口で、あけましておめでとうございますを

わたしが言ったら、彼が一瞬黙った。

世の中はそんな季節なんだね、そうか年が

明けたんだって、すこし沈んだ声で笑った。

歳が明けりゃ、あけましておめでとうじゃない?

そう思っていたわたしに、彼がごめんって謝った。

映画がクランクインしたのはいいけれど。

1年経ってもまだアップしないのだと。

歳をまたいでしまって、ぜんぜん

明けました感がないんだよ、降りたくなるぐらい

ダメだしでさちょっと吐きそうになる。

仲間達と俺たちの正月はまだこねーなって

言ってんだって。

だから、ぼんちゃんにもあけましても、

おめでとうも言えるのはもっと先になると

思うって言った。

うん、わかったってわたしは言ったけど。

そんなのすごく簡単なのに。

ただの挨拶じゃないって正直心の底では

思っていた。

思えば彼は心にもないことを言わない主義

だった。

カタチとしての言葉を使えない。

そういうところがあって。

わたしにもそういうところ、多々あったから、

どこか似ていたのかもしれない。

その時は、新年の挨拶言えないなんてちょっと

大げさだって思ったけど、あの時の言葉は

思いだす度に、彼の仕事への熱量に触れている

気がする。

仕事ってまだわたしには未知で。

じぶんが仕事を持つことのビジョンが

みえなかった。

でも彼とつきあっているうちに、知らず

しらずのうちに仕事の輪郭を教えて

もらった気がする。

彼は演じるということに生涯を懸けた

人生だったと思う。

彼がこの世からいなくなって、はじめて

演技することを生業にするひとたちに

興味をもちはじめた。

この世にいないひとりの人を作り上げる

ことに勤しんだ人生って素敵だと思う。

いま、彼がこの文章を読んでいたら

「素敵」っていうひとことで逃げたなって

笑われそうだけど。

ハガキ職人とはいえ、書くということが、

じぶんを解放する場所だと教えてくれた

彼に感謝している。

そして言葉と思いの距離感。

礼儀は必要だけれど、親しい人たちには

心のままの言葉を放つということ。

それが言葉に対してもその人への信頼でも

あるというあたらしい視点を彼に学んだ

ような気がする。

やっぱり「書く」ことを仕事にしたいと

その根っこを植える土に彼がなって

くれたことにありがとうをすごく伝えたい。

そしてもし今彼が生きていたら、演じるとか

書くとかについて思いっきり喋りたかった

なって思うこの頃です。

生まれてから 生きるんだって 教えてくれた
こころの場所が 感じられる 君がいるから 






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