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さよならの後、もういちど出会えた幸せ。#2021年の出会い

noteにいると、じぶんのことをふりかえる
瞬間がたえず訪れる。

じぶんをふりかえるって、じぶんだけじゃ
ない。
出会ってくれたいろいろな人達のことを
同時におもいだすことなのだと気づく。

わたくしごとだけど。
去年の今頃はわたしはかなしみのどん底に
いた。

noteでずっと親しくして頂いた方が、新年の
あいさつをひとこと残して去ってしまった
頃だった。

「よいお年を」という挨拶はしばらくわたしの
なかで「さよなら」の言葉になっていた。


もういないのだ。
彼はもういないと。
noteにログインするたびに
そのことを繰り返しながら
そのままにしてある彼の
アカウントへ訪れてみるを
繰り返していた。

あなたは過剰に悲しみすぎだと
お叱りをたくさん受けた。
今ならわかる。

でも悲しみはじぶんだけのものだから
どうしようもなくて。

彼の不在を悲しむ人達と言葉を交わし
あいながら、彼の気持ちを受け止め
ようと思った。

ほんとうに今ならわかるのだ。

noteでコメントを交わしているとすごく
その人を知ったような気持ちになる。

そしてそのことが、わたしのなかに
すとんとそのひとそのものになってゆく。

あなたの気持ちに気づけなくてごめんね
って言葉をよく聞くけれど。

わたしも言ったこともあるし
言われたこともある。

でもあれは、気づかなくて当たり前だし。

気づかれていないぐらいで丁度いいのだ
と思ったりもする。

そんなに人は心全部をさらけだして生きて
いるわけじゃない。

そんなことしていたらみんなもっともっと
怪我してしまうし、傷ついてしまう。

そしてそのことを経験したわたしはnoteを
暮らしの中にとりこむってどういうこと
だろうと、おずおずと記事にしてみた。

日々言葉を放つ暮らしはnoteがはじめて
だったので戸惑う日々だったけど。


そしてしばらくして彼がnoteにもどって
きてくれた。
奇しくもそれは如月桃子さんとわたしの
誕生日の日だった。

また会えたねって気持ちになっていた。

いちどさよならして、もういちど会う。

それは単なる再会という意味ではなくて
あたらしく出会い直すってことなの
かなって思った。

そして彼は戻ってきてからも少しnoteの
投稿がお休みになっている時があった。

どうしているのかなって思ったら、みんなの
おすすめの本を読んでいるらしく、仕事の
合間を縫って読書に勤しんでいたことを
記事で知った。

じぶんの時間をじぶんだけじゃなくて、誰かと
わかちあうように使っているってとてもいい
時間との付き合い方だなってまぶしかった。

わたしは時間にただただ追われている1年だった
ような気がするから。

来年の反省を彼を通して今みている気がする。

そして今ではnoteで楽しそうに企画したり、
企画するとたちまち参加者が集まってくる
ところ流石だ!

わたしも参加しました。

プランナーとしてだけじゃなくて企画に参加
することも果敢に挑戦している。
それもとびきり楽しそうに。

よかったなってほんとうに思う。

あのままnoteを去ったままでも、もちろんずっと
応援していたけれど。

またnoteに戻ってきてくれて、温かい言葉を
交わしてくれてほんとうにそのことじたいが
あの日のことがうそのように思える。

そしてわたしが始めた仕事にもエールの
声をいちはやく届けてくれたのも彼だった。

ほんとうにありがたいなって思う。

人って、
ひとって、

初めてが出会った時じゃなくて、
紆余曲折あって、悲喜こもごもを縫いながら
別れもあって、また奇跡的に出会えた時、
やっと出会ったねって気持ちになるのかも
しれない。

風のように去って行った人がまた風になって
ここにいる。わたしもまたここにいられる
ことに感謝しています。

出会い直すことも、出会いの醍醐味である
ことを知った12月のおわりかけです。

ここまでお読み頂きありがとうございました。

出会ったり 立ち止まったり 去って行ったり
おかえりを いえた日が きっとはじまりの日



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